子育てから逃げたかった

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 (ひろし)さんには離婚歴がある。私と出会う前に一度結婚して、離婚している。  前妻とは大学院で出会って付き合い、3年の同棲を経て結婚に至ったと聞いた。  共通の友人も多くいて学生時代からの信頼を重ねて、(はた)から見れば(うらや)ましい程だけど、結婚生活は3年で終わったという。  寛さんは子どもを欲しいと思っていた。前妻は子どもがどうしても欲しくなかった。  それが離婚理由らしい。  前妻は実家の両親が離婚しており、もとから「家族」というものが好きじゃなかった。  そして後に結婚する私もやっぱり両親と確執が深くて、そこは前妻と似ている。 「ちょっと変わった人が好きなのかもしれないね」  寛さんが言っていたことだ。 「離婚したことがなかったら、みなみは目に入らなかったかもしれないね。もっと“上”を目指したかもしれない」  なかなかひどい言い草だと思うけど、確かにそうだろうと思った。離婚は寛さんにとって唯一の挫折だ。それ以外は全て努力で克服した人だった。  寛さんの両親はともに高卒で、あまり教育熱心ではなかった。  寛さんは「大学に行かせてください」と両親に頭を下げて頼み込み、東京工業大学に現役合格して大学院を修了、時代は就職氷河期だったが日本製鋼(にほんせいこう)に研究職で新卒入社した。国内最大の鉄鋼メーカーだ。 「“鉄は国家なり”だから、鉄鋼会社にしたんだよ」  ドイツでこの言葉が演説されたのは100年以上前のことだ。  鉄は国力の証でもあったし、多くの雇用を創出してきた。“中産階級”を大量に産み出して経済を支えた歴史もある。  寛さんは、修士で学んだ材料研究を活かせる仕事に就いた。努力で(つか)み取った人生だと思う。  前妻と離婚しなければ寛さんの人生は順風満帆(じゅんぷうまんぱん)だった。  離婚して婚活してうまくいかなくて、心が折れていたから私に惹かれたんだ。そう思った。
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