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私が瑠璃に思い残すこと
瑠璃を連れて外を歩いていると、周りの人が冷たく感じることがあった。
瑠璃が3歳の頃だったか……バスの中で声をあげて騒いだ。まだ公共の場で静かにしていることができなかった。
運転手は途中のバス停で停まったまま粘り、「静かにさせてくれませんか??」と言った。苛立った声で。降りてくれって意味だと思った。
私は瑠璃を膝に乗せて着席したままで「まだ着いてませんから」と答えた。
気を遣って途中下車するのはどうしても嫌だった。子どもが騒いだらバスを降りなきゃいけない決まりなんてないはずだ、みんなが勝手に静かにしてるだけじゃないか、と心の中で毒づいた。
恥ずかしいと思ったかもしれない。
言葉の成長が見た目よりも遅い子どもに向けられる周りの目は、冷たくてしらけている。
瑠璃を連れて外に出るのは気が重かった。その点、夫は気にならなかったようで、瑠璃を外に連れ出してよく遊んでくれていた。
幼稚園では、瑠璃に発達障がいを疑った先生もいた。瑠璃は嫌なことは頑としてやらないタイプで、運動会の演目のバルーンを怖がって拒否した。4歳の時だった。その時、遠回しに発達障がいの話をされた。
私は、できれば学校生活に、支援学級ではない普通学級の選択肢を残した方がいいと思った。
もし発達障がいの診断を受けたら、進路の流れは支援学級に進んでいくだろう。
そんなことはありません、進路は選べますよ、と支援担当者はおそらく言う。幼稚園の先生もそう仄めかした。でも選択肢というものはそんなに簡単に存在しないと思う。
ちょっとしたタイミングで学校から情報が入ってこない、担任にそれとなく支援学級を薦められる、そういう些細なことで子どもの進路は流れるように決まっていくと思う。
周りの顔色だって子どもは気になる。何より私がそうだった。親の機嫌を伺って進路を決めた過去を悔やんでいるから、そう思った。
周りの目を気にせず勝ち取らないと現れない選択肢は、「選べる」と言えるような選択肢じゃないと思った。
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