私が瑠璃に思い残すこと

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 支援学級の件は、色々な意見や本音をTwitterでちょくちょく見つけていた。こんなツイートもあった。 “中学で普通学級に進むなら手続きがいると思って相談したけど、担任がまともにとりあってくれない。「普通学級に行けても息子くんは支援学級を希望するかもしれませんよ」って、私は今普通学級に行くための相談をしている”  内申点の仕組みが支援学級で普通に過ごすとクリアしにくい問題もあり、普通学級に転向しづらいという話もあった。  幼い頃から「発達障がい」のラベルを貼るのも抵抗があった。自分はこういう人間だから、と決めつけてしまわないだろうか。  親の私も、診断を受ければ発達障がいかもしれない。能力の凸凹が大きい人には可能性があるという。  私の親も、今の時代だったら発達障がいだと思う。親の時代、家事の同調圧力が強かった昭和の時代に掃除しないなんて常識では考えられない。  それでも、今の私があるのは普通学級に通った過去のお陰だと思う。高校からは音大附属でまともに勉強しなかったけど、中学までは一般レベルの勉強をして、小論文を書いたり憧れの先生に恋をしたり期待されたりして、(たくわ)えたものがあるから今の私がある。  両親は大学で知り合って結婚している。兄と私にかけてきた潤沢(じゅんたく)な教育費は、父が大企業に勤め上げたから出せたのは間違いない。両親は、本当は発達障がいだったとしても、健常者として生きたからこそまとまったお金を稼ぎ、子ども2人に好きなだけ教育費を費やすことができた。  親の時代と今は違う。それはよく分かる。  でも今後さらに社会状況が悪くなっていくとしたら、立場が弱い人への支援はどんどん先細って無くなっていくと思う。なおさら支援を受ける前提の人生はできるだけ避けたほうがいいと思った。    私は瑠璃に発達障がいの診断を受けさせようとは思わなかった。実際、親の意向で決まるところも大きい。「生活に困っているかどうか」が大事な基準だと随所(ずいしょ)に書かれていた。  瑠璃は友達が大好きで幼稚園に喜んで行くし、行事でも頑張って役割をこなすことができる。瑠璃は生活に困っていない。それでいいと思った。  長い人生、短く途切れ途切れでいつか無くなりそうな支援よりも、自分で切り(ひら)ける人生の可能性を残した方がいいのではないか?   私なりに瑠璃の人生を考えていたと思う。
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