私の太陽君

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 「おはよーございます」 エレベーターが四階で一旦止まって、扉は開くと同時にいつもの明るい声が耳に届く。スマホから目をあげると、やっぱり小さな男の子がニコニコ笑顔で立っていた。  毎朝元気よく挨拶するのは、同じマンションの太陽君。本名は知らないけど、毎日太陽みたいな笑顔だから、『太陽君』と心の中で呼んでいる。  「おはよう」 と私も返すと、ランドセルを背負った太陽君が小走りでエレベーターに乗ってきた。  特に会話をするわけではない。このマンションは二十階建てでそこそこ高いから、あまりご近所付き合いというものが無いのだ。でも、君はいつも誰に対しても笑顔を崩さない。基本的に無表情な私は太陽君を見習わないといけないな。  マンションから出ると、太陽はもう頭の天辺まで昇っていて溜息が出た。  隣を歩く太陽君はいつも「では、しつれーします」とこれまたお行儀良く挨拶して小学校に向かって走っていく。  …あぁ、走れるのか。私は何故だかひどく裏切られたような気がした。私なんか、小テスト用のプリント忘れたことに気づいて取りに戻ろうか迷っているところなのに。  太陽君がだとは思わない。けれど、彼の笑顔の奥がどうなっているのかは誰にも分からない。毎日エレベーターで会うだけの私は尚更だ。  行こうか。どうせ小テストには間に合わない。11時半をディスプレイに映すスマホをポケットに突っ込んで、歩き出す。あーあ、喉乾いたな。  私が一つ目の路地の角を曲がると、そこには太陽君が突っ立っていた。  どうしたの?と声を掛けた方がいいのだろうか。体調が悪くなっているのなら、見て見ぬ振りをするわけにはいかない。  「大丈夫?」 多少緊張で声が上擦っているが、この際しょうがない。太陽君と挨拶以外で喋るのは初めてなのだ。 太陽君はビクンッと背を震わせたかと思えば、勢いよく振り返る。もちろん、いつもの笑顔を張り付けて。  私はもともと口下手なんだ。なんて言ったらいいか、バイトのようにマニュアルがないと分からない。…分からなかったから、喉渇いたなって思ってたから。  「コンビニ行かない?」 それにしたって、これを私の数少ない語彙から選んだのは、もはや奇跡としか言いようがない。相手は小学生だぞ。高校生と小学生が昼からコンビニへ堂々とサボりとか洒落にならん。  なのに、太陽君は 「いいですよ」 と言った。意外だった。the優等生っぽいじゃん。  コンビニで私はレモネードを、太陽君には棒付きアイスを買って、公園のベンチに座る。  近くに大きい公園が出来てから、この寂れた方の公園には子供連れの母親達が来なくなって、ココは私の格好のサボり場となっている。  「おねーさん、アイスありがとうございます」 太陽君は律儀にお礼を言って、アイスの袋を開ける。ソーダ味のアイスを無言で食べる太陽君は、ボーッと遠いところを見つめていた。その瞳にはなにも映っていなくて、怖いと言うより少し心配になった。  私もレモネードを一口飲み、太陽君と同じようにボーッと虚無を眺める。  時間だけは穏やかに過ぎていく。みんなお昼ご飯食ってんのかなーとか思ったりもするけど、もう行こうとは思わなかった。  「今日、給食、カレーだったんです」 「そっかぁ、懐かしいな給食」 「私は小テストあったんだ、勉強してないけど」 「高校生って大変なんですね」 「まーね、みんなつまんないしね」 中身も何もない会話をポツリポツリと続けていく。 「つまんないのは、小学生だって同じです」 みんないつも言うんです。いつもヘラヘラ笑って気持ち悪いって。楽しくもないのに、なんで笑うんだって。 「そっかぁ…」 私は太陽君の話を聞きながら、青い空を仰いだ。顔は見ていないけど、今もきっとこの子はニコニコ笑いながら喋っているのだろうか。  私は太陽君に何と言えば正解なのかを考える。多分、無理して笑わなくてもいいよ、とか言えばいいのだ。楽しくなければ、笑わなければいい。だけど、そう言えば本当にこの子の悩みはなくなるのだろうか?  いや、多分無理だな。だってこの子はそもそも楽しいから笑っているわけではないのだろう。  笑顔は別に楽しいから浮かべるわけではない。人は楽しくなくても、自分を守るために偽るために笑うらしい。ほとんど出てない国語の授業が役に立った。  「でも私は、どんなに辛いことがあっても、楽しくなくとも、笑えるって凄いことだと思うんだ。君の笑顔で、救われる人だって確かにいるんだから」 きっと正答ではないけど、私が言いたいことは多分これだと思うのだ。  「それって誰ですか?」 不安そうに私を見る太陽君に、私は人差し指を自分の鼻先に向ける。  驚いて目を見開く太陽君は、いつもよりもずっと子どもらしかった。そして、今やっと笑っていない太陽君を見たのだと気付いた。  君は私の太陽だ。君がいつも笑いかけてくれるから、昼からでも頑張ろうと思うのだ。  だから、どうか笑って。  笑わなくていいよとは言えない。私が君に笑っていてほしいから。  昼過ぎにしか昇ることない私の太陽君。遅くたっていいのだ。  それと、一つ思い出した。笑うのは誰かを笑顔にするためでもあると。  だからこれからも、ずっと心優しい君が笑顔で入れますように。あわよくば、心からの笑顔で。  私と太陽君は、真昼間に二人で笑い合った。太陽はキラキラと輝いていた。
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