オンライン彼女

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_____________  思うところがあって、リモート彼女サービスというものを利用し始めた。  思うところと言うのは、まあ、三十代にもなって結婚相手どころか、女友達すら作れない、いや、そもそも女性と話すことすらままならない自分というものに、いよいよ危機感を覚えてきたからである。  結婚するしないはともかくとして、いい年こいて女性とまともに会話ができないというのは、日常でも支障が出る。仕事先の家電量販店には女性スタッフも多いのだが、挨拶と業務関連のやりとり以外はさっぱりで、たまに話しかけてもらっても無難な相づちしか打てていない。すると話しかけられることもなくなるので、アルバイトやパートが全員女性の日は、陰で縮こまっているしかなくなるのだ。我ながら情けない。 「よし、行くか」  そんなわけで登録したリモート彼女サービスというのは、ようはオンライン彼女である。レンタル彼女のリモート版、と言った方がわかりやすいだろうか。サイトで好きな女性を選ぶと、その女性がまるで恋人のようにテレビ電話をしてくれるのだ。 『あ、映った。こんばんはー』 「あっ、ども、初めまして……」  画面越しに手を振る女性に頭を下げる。  オンライン彼女というサービスではあるが、恋人としてではなく、初対面の相手として振る舞ってくださいとお願いしている。目的がコミュニケーション能力の向上だからだ。  こういう別の目的で利用する人も少なくはないらしく、今までの彼女たちから聞いた話では、ただただ愚痴を聞いたりとか、一緒に酒を飲んだりとか、恋愛相談を持ちかけられたりとか、そんな要求も多いという。 『そんな緊張しなくていいですよ。えっと、橋本さんって呼んでいいですか? それともお名前で?』 「あっ、いえ、橋本でいいです」 『ほんとですか? お名前は?』 「あの、ほんと名字でいいです。名前で呼ばれることほとんどないんで……」 『あはは、仕事してるとあまり名前で呼ばれなくなりますよねー。私も全然呼ばれないです。 橋本さんは今日どこか出掛けました?』  さすがキャストなだけあって、ポンポンと会話を繋げてくれる。画面越しだというのもあって、少しすれば肩の力も抜けてきた。 「あの、俺、全然普段女の人と話せないんですけど、なにかコツとかありますかね……。気をつけたほうがいいこととか」 『コツですか……。うーん、女性側からするとなんでしょう。やっぱり話をしっかり聞いてくれてると嬉しいですかね』 「はあ。でも、その……まず普通の会話ができないのはどうすれば」 『きっかけはなんでもいいんですよ。今日寒いですねとか、忙しかったですねとか。そこから広げていって、女の子の言ったことに共感するとか』 「……広がりますかね」 『最初はちょっと難しいかもしれませんね。でも、話す回数が増えれば話す内容も増えていくと思いますので』 「話しかけて気持ち悪がられませんか……?」 『大丈夫ですよ。橋本さん、悪い人には見えませんから』  彼女が茶目っ気たっぷりに笑う。客商売なのでリップサービスもあるだろうけれど、面と向かって言われると悪い気はしない。  なんとか一時間の会話を終えてパソコンの電源を切ると、黒くなった画面に、自身の顔と背景が浮かび上がる。 「……片付けるか」  いかにも男の一人暮らしと言わんばかりの散らかりように、独り言を漏らす。  もちろん通話中はネットで拾った画像を背景に使っているが、終わるたびに現実を見せられるのも気が滅入るというものだ。なにかの不具合で部屋が映ったら大変だから、なんて自分に言い訳をしつつ、半開きのケースに服を押し込み、着ているジャケットをハンガーに掛けた。  このオンライン彼女のいいところは、見せる範囲を極端に絞れることだろう。  現実で会うならば服や靴、バッグ、それから髪型なんかも一からコーディネートしなければならないが、画面越しなら上半分だけ整えればいい。家のなかなんだから、寝癖さえなければ髪型だって気にしなくていいだろう。  おしゃれな店を調べる手間もないし、デートプランを徹夜で考える必要もない。それに、好きなタイミングでいつでもやめられるというのも、逃げ腰な俺からしたらありがたかった。 『てるっちは自分でご飯作ったりするの? 三食買っちゃう系?』 「朝はパンとか焼いてるけど……昼と夜は外食になるかな。それかコンビニ」 『わっかる! コンビニご飯ヤバいよね! あたし、フルーツサンド好きでコンビニハシゴしてっから超詳しいよ』  彼女役は毎回違う人を選ぶことにしていた。同じ人を選んでいたら慣れが入ってしまって練習にならなくなるし、なにより、その人を好きになってしまうことへの懸念が大きかった。自分に優しくしてくれる女性というのは、画面越でも魅力的だ。  だからこうして、言い方を悪くすれば若い女性をとっかえひっかえ試している訳なのだが、それなりに収穫はある。話し始めるときの緊張感がなくなったし、敬語を使わなくても話せるようになった。  ちなみに今回は初めて名前を伝えてみたところ、照之という名前からてるっちというあだながつけられた。あだななんて学生時代以来である。 『うち猫飼ってるんだけど見る? 猫平気?」 「うん、平気。……すごくおっきい猫だね」 『でしょ? 大きすぎて抱えるだけで筋トレになんの。名前ふみたんね。ほら、ふみたん、てるっちだよー』  仏頂面の猫が、また違う男かとでも言いたげな顔でこちらを睨んでくる。俺は愛想笑いで答えるしかなかった。  オンライン彼女たちと一時間ずつ話すのが習慣になってから、おのずと近場の女性たちにも目が向けられるようになった。今までは名前と経歴くらいしか知らなかった――いや、それ以上知ろうとしなかった人たちの人となりがわかるようになって、いかに自分が周りを見ていなかったのかを知った。彼女たちはなにも変わっていないのに。 「なんか変わったね、橋本さん」 「え?」  パートの小林さんから感慨深げな視線を向けられる。主婦である彼女は、小学校にあがった子供二人がわんぱくで困るとよくぼやいていた。 「明るくなったっていうか、とっつきやすくなったっていうか。最近ちょっと楽しそうじゃない?」 「そうですか?」 「そうですよ。前はそんなに絡んだりしなかったじゃないですか」  そう言ったのはフリーターの斉藤さんだ。いわゆるバンギャだそうで、好きなバンドを応援するためにあえてフリーターになったらしい。 「私たちのあいだでけっこう話題よ。彼女でもできたんじゃないかって」 「えっ。いや……」 「あれ、もしかして?」 「いやいや、まさか」  つい言い淀んでしまったら、小林さんにぐいっと身を寄せられた。あながち間違いではないけれど、ここで認めたら職場全体まで伝わりかねない。真相を知られたらを考えるとゾッとする。 「小林さーん、ちょっと確認したいんだけどー」  どう言い逃れようかと思っていたら、タイミングよく休憩室の外から声がかかった。天の助けとはこのことだろう。 「はーい、今行きまーす。じゃ、この続きはあとでね」 「あ、あははは」  そうは問屋が卸さなかったらしい。  好奇心に満ちた瞳はさらなる追求を暗示していて、しばらくは食いつかれそうだとひっそりと肩を落とした。 「で、実際のところどうなんですか?」  まだ話は終わっていなかった。すかさず背筋を伸ばすと、その動きが面白かったのか、斉藤さんはクスクスと笑う。 「動揺しすぎですよ。それじゃバレバレ」 「いやいや、ないから! そもそも彼女なんていたことないし!」 「だから、彼女いないことがバレバレだって言ってるんです。勝手に自白しちゃうし」 「あっ……」 「っふふふ」  喉を引きつらせる俺がよほど間抜けに思えたのか、口元を押さえて斉藤さんが笑う。 「べつに言いふらしたりしませんよ、そんなの。橋本さん、見るからに奥手そうだし」 「……あ、あはははは」 「でも、最近ちょっといい感じかなって思ってます。彼女、いないんですね」 「……え?」  今、とんでもない爆弾発言をされたような。   聞き違いかと思って斉藤さんの顔を見つめると、やれやれと彼女は肩をすくめた。 「ほんと、わかりやすい。つまんないなあ」  からかわれたのだろうか。そして反応の悪さに呆れられたのだろうか。やっぱり俺にはまだ生身の女性とのコミュニケーションは早かったのだろうか。  脳内反省会が早くも始まりそうな俺を尻目に斉藤さんは立ち上がり、休憩室から出て行こうとして―― 「……普通、彼女いないか念押しされたら察するべきですよ。そういうことかもって」 「へい!?」 「あはは、変な声。休憩あがりまーす」  理解が追いつかなかった。  ドアは躊躇いなく閉まり、休憩室には俺だけが残され、行き場を失った手が宙をさまよう。斉藤さんの言葉が頭のなかで反響して、なにも考えられなくなっていく。 「……今日は定時であがろ」  そして一刻も早く画面越しの彼女にこのことを相談しよう。そうしよう。  これほどまでに彼女たちに会いたいと思ったのは初めてのことだったが、もはやそれどころじゃない。ますますオンライン彼女の世話になってしまうなと思いつつ、俺は机に身を投げ出した。
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