sideA ep.01 54階のシンデレラ①

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3 まずは多分、雄太との出会いから話さなければならない。 雄太と私は同じ大学の学生だった。 学年も学部もサークルも全部違っていたけれど、唯一バイト先だけが同じだった。 大学からほど近いCDショップ。 彼はバンドをやっていたから、プレイヤーとして音楽を沢山聴いていた。私は楽器も何もやったことはなかったから、ただのいちリスナーとして音楽を聴いていた。 「あれ、相川さん。その鞄についてるやつってもしかして、stellaの限定盤特典?」 たまたまバイトの上がり時間が被った日、先に声をかけてきたのは雄太の方だった。 まだお互いに同じ大学の人くらいの認識しかなかった頃だ。大学構内でも顔を合わせる機会はなかったし、バイトの時間もすれ違ってばかりだったので、私と雄太はその日初めてまともに言葉を交わした。 「あ、はい。早瀬君もstella聴くんですか?」 stellaはその当時自分がとてもはまっていたインディーズバンドで、静けさと激しさのバランスに加え、歌詞の世界観が好きだった。 『顔ではなく音楽で私達を感じてほしい』 そのコンセプトの元で活動していた彼らは顔出しを一切しなかった。ライブもやらなかったし、メディア取材の話もあったようだが、そういうものの一切を断っていた。彼らはただ黙々とネットに動画を上げ続けていた。 そのstellaが一度だけCD音源を発表したことがあった。枚数限定販売という希少性も後押しして、それははすぐに完売となり、彼らは着実に知名度を上げていった。 「俺も限定盤欲しかったのに全然買えなくて!いいなー」 「私も、無理かなと思ってたんですけど、本当に運良く手に入って」 「やっぱ日頃の行いが良いとこういう時にちがうのかなぁ」 モッズコートのポケットに両手を突っ込み隣を歩く雄太は「残念だ」と言いながらもどこか楽しそうに見えた。 「日頃の行いって?」 「ほら、相川さんってよく人助けしてるじゃん。俺にはそういうの無理だからすげえなって思ってた。俺も何度か助けてもらったことあるけど、なんつーの?そういうの自然に出来るやつと出来ないやつっていうのがいてさ、俺は完全にだめなの。自己中なんだよね、俺。だから自分にないもん持ってる相川さんはすげーって思うし、ちゃんとやってる人にはその分何かしら良いことがないと不公平だなって思ってさ」 私は雄太の考え方にとても好感をおぼえた。 突然褒められたことに舞い上がってしまったというのもあったのかもしれない。 どちらにせよ、胸の高鳴りを感じていた。 「早瀬君だっていつも誰かを笑顔にしてるじゃないですか。私にはそれこそ出来ません。すごいなって、思ってました。だから日頃の行いがってことなら…本当は私よりも早瀬君の手に渡るべきだったのかもしれません」 雄太は私の言葉を受け、何かに気付いたように顔を上げた。 「ああ、なるほど。だから相川さんの手に渡ったわけだ。俺の持論もあながち間違ってないのかも」 「どういうことです?」 私が不思議そうに雄太の顔を覗き込むと、雄太はニッと笑っていた。 「俺、前から相川さんと話したいって思ってたから。神様か誰か知らないけど、そのきっかけをくれたのかもなって思ってさ。ラッキー」 私はそれを聞いて、そうだったら良いのにと強く思った。 それからというもの、雄太のことが気になり始め、私はつい視線で彼を追うようになった。 相変わらずほとんどすれ違ってばかりではあったが、一度彼のライブにも足を運んだことがあった。バイト先でもそうだったが、彼には人を惹きつける天賦の才があるらしく、そのライブの会場でも始終誰かと楽しそうに談笑していた。仲間内なのかファンなのか分からないが彼を取り囲む人々の中には当然女性の姿もあって、薄暗いライブハウスの中でも分かるほど彼女たちは皆、華やかで可愛かった。 (これが住む世界が違うっていうことなのかな) 私は邪魔にならないようにドリンクカウンター横の隅の方に立っていたのだが、彼の出番が終わり飲み物も飲み終えると、手持ち無沙汰の感を持て余し、そのまま何も言わずに帰ろうとした。 (ライブ、おつかれさまでした。とてもカッコ良かった…) ライブハウスの外に出て、スマホの画面にポツポツと文字を打っていたところだった。 突然勢いよく会場のドアが開き、私は思わずポカンとしたままその方向に顔を向けた。 そして中から出てきた雄太と目があった。 「ああ!よかった!間に合った!」 雄太は私を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。 何が起きているのか分からなくてあっけにとられる私に雄太は眩しい笑顔を向ける。 「友達と話をしてたら相川さんが来てくれてるの見つけてさ、声掛けようと思ったのに中々みんな放してくれなくて。そうこうしてる間に相川さんいなくなっちゃうし、もう俺めっちゃ焦ったわ」 「どうして、私を?」 ただのバイト先の仲間を何もそんなに焦って追いかける必要なんかないではないか。 私はそう思っていたから雄太の行動にただただ面食らうばかりで、そんな私の顔を見て雄太は苦笑いを浮かべていた。 「やっぱり全然伝わってないか」 雄太は「そうだよなー」とか「やっぱなー」とかそういうことを言いながらポリポリと頭をかいて、それからちょっとだけ照れ臭そうに笑っていた。 「俺、好きなんだ。相川さんのこと。だから今日もライブに誘った。俺のやってること、ちゃんと見てほしくて」 彼の言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。都合の良い夢でも見てるのかと、現実すらも疑った。 「嘘でしょう…?」 「嘘じゃない。ねえ、相川さん今付き合ってる奴いないんでしょう?他に好きなやつとかいないなら、俺と付き合ってよ」 私は勢いに押し負けるみたいな形でうなずき、雄太はそれを見て大袈裟なくらい喜んだ。 雄太という男は嵐のような男だった。 私はその嵐に巻き込まれ、かき乱され、はまっていった。 彼の持つ熱量や情熱の類、そういった強い光に惹かれる私はまるで街灯に群がる虫のようだ。 本能的に惹かれ、吸い寄せられるように近づいていき、何度もぶつかって、その身を焦がす。 こんな恋愛は初めてだった。 私は身も心も全て、彼に差し出した。 尽くすことで彼に必要とされたかった。 そうして二人で過ごす時間は私にとってとても幸せなもので、当然それは雄太もそうなのだと思っていた。 私達が付き合い始めてから丸一年が経過して、ちょうど夏が終わりを迎えた頃のことだった。 雄太のもとに一本の嬉しい報せが入った。それは音楽事務所からの便りで、彼の夢の実現のための大きな一歩となり得るものだった。 雄太はその日を境に今まで以上に音楽にのめり込み、バイトも辞めてしまった。その頃私と雄太はアパートに部屋を借りて一緒に住んでいて、私は彼が夢を追う手助けをしたくて、バイトを辞めた彼の分まで家賃やら光熱費やらの支払いに苦心し、ただがむしゃらに働いた。 元々自分はお金を使うような趣味もなかったし、良い機会だと少しずつだが貯金も始めた。 私は教職課程をとっていたから秋から始まる教育実習にも備えなければならず、今振り返ると『よく生きてたな』と感心してしまうほど、当時は大分忙しかったように思う。 文字通り身を削るような日々だった。 しかしそれでも、別段辛くはなかった。 全ては彼のためであり、私には雄太が全てだったから。 「デビューできたらもっと広くて綺麗な家で二人で暮らそう」 雄太はセックスを終えるたび、よくそんなことを言って私を抱きしめた。雄太の好むセックスは言ってしまえば自分本位なもので、自己中なのだという彼の性格をよく表していた。それでも私は満足していたし、それでいいと感じていた。 しかし、日が経つにつれて、そういう行為も少なくなった。「スタジオに行く」と出掛けては帰らない日も増えていった。私は寂しさや不安な気持ちを胸に秘めながらも、重荷になりたくなくて、それを何ヶ月もずっと言いだせずに抱え続けていた。 忙しくなると雄太は私に対して当たるようにもなった。かと思うと、一言も会話のないまま終わってしまう日もあった。 そうした日々をダラダラと続けて、一年、二年と季節だけが移ろっていった。 気がつけば6年もの月日が流れていた。 夏の終わりのことだ。 一度、大きな喧嘩をした。 きっかけは他愛もないことだったと思う。 どちらが悪かったのかとか、そういうことも忘れてしまうくらいに些細なことだった。 「…どうして。どうして私ばっかり、我慢しなきゃいけないの!」 押し殺していたはずの本音が少しだけ漏れ出てしまったその日から、全ては脆く崩れていった。雄太は家を出たまま帰ってこなかった。 雄太から別れを告げられたのは、それからひと月も立たない頃だった。
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