金曜日の歌

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 ギターを抱えて男はアパートを出た。金曜日の午後6時。履き古された白いスニーカーは薄く汚れている。男は虚ろな目のまま路地を抜けて行く。  薄暗くなってきた路地にどこかの家から、晩御飯を作るおいしそうな匂いが流れ込んで来た。多分、カレーだろう。奥さんと旦那さん、そして小学生の兄と5歳くらいの妹が食卓を囲む、煩くも幸せかもしれない空間を男は想像した。  男の耳に刺さったイヤホンからは30年前の音楽が流れる。男の隣をバットを担いだ小学生数人が自転車ですり抜けて行った。  ロックンロールは20世紀と共に死んだ。男はそんな事を想う。でも、それが男にとってどんな影響をもたらすかと言えば、どんな影響をもたらすものでもない。どうでもいい事だった。どうでもいい事だと自分に言い聞かせる他なかった。  男は路地を抜けバス停へと向かった。間もなく駅前行きのバスがやってくる。
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