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   今岡 湊は302号室の住人。親父が生きてた頃からの店子だ。親父が急性心不全で倒れた時も発見して救急に通報してくれたのは湊だった。  油が染みついた真っ黒な作業服、洗っても洗っても綺麗になる事がない手。離れて暮らす不肖の息子が到着するまで、病室のベッド脇であの黒くて大きな手を握り締めていてくれた湊には感謝している。湊のお陰で親父は孤独死を免れたし、恐らくは普段から気に掛けていてくれたんだと思うし。  湊は─────非っ常にいい子なのである。間違いなく。  開店時間まで洗濯して掃除して。その間じゅう『どうしてこうなった』と自問自答するのも最早ルーティーンだ。  ひと月のうちに増えた湊の服や歯ブラシやマグカップや……そんな他人の気配が目に入るたびに溜め息が出る。  一人で生きて一人で死ぬ事には何の疑問もない。生まれて此の方男しか好きになった事がない俺には結婚して家族を持つ事は不可能だし。自分一人ならどうとでもなると、ある意味とっても楽天的に生きて来たとゆーのに何で今更こうなった。  窓を空かして煙草に火を着ける。  イマドキの子の湊は煙草を吸う大人に慣れていないのか煙たそうだから、今のうちに吸う。でも、折角洗濯した湊の服に匂いが着くのは可哀想だから本数はかなり減った。煙少なめな低ニコチンのメンソールを自分が吸うようになるとは…… 「これは恋なのか」  いやいや。いやいやいやいやいや、無いわー。まじで無いわー。若いニイちゃんがカラダを慰めてくれるだけでも儲けモンなのに、その上恋だの愛だの絡めたりしたらまじで気の毒だわ。  だけど湊が居る生活は確かに心地いい。口が裂けても言わんけどな。
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