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よくむすめといっしょにねこさがしのたびにでる。彼女はストライダーにのってわたしはあるきで、鮫洲にある自宅から立会川の駅の方面に向かってぬうような路地をおもにのらねこを見つけるたびにでる。ストライダーにのってひとつさきのかどのところまでヒャーといっている。それをわたしははんぶんほどの距離をおくれてついていく。
「きてえ」
といっているむすめにおいつく。そんなことをくりかえしながら、さいしょのくるま通りの多いよつかどにくると、むすめはじっとまっている。そして右には京急の高架が見られ、まっているあいだにも京急が走っていくこともある。ここを右におれればむすめのかよっていた保育園があるし、左にまがればおすしやさんである。ねこさがしのたびとはそもそもここのおすしやさんのおさななじみの女の子がしていたものをむすめがまねしたものであり、ときどきはその女の子ともそのたびにでることもある。ふたりしてストライダーでスピードをだしていると、おすしやさんのおとうさんに、「お、鮫洲のボウソウゾク」なんてもいわれたりもしている。
ここから見える京急は下りの普通であるならば鮫洲の駅をでたばかりにのろのろと、快特であるならばここからの一直線の線路をここぞとばかりにスピードをいっきにあげて走る場面である。むすめもぞうさん公園のわきをスピードをあげストライダーを走らせ、さいしょの右のおれるところの手前でまって、わたしのほうをふりかえっている。
「車、気つけてね」
というと、
「はい」
と大きい声でいっていて、わたしもおいついて、いっしょに右におれると、すぐ左のところにクラスメートの家があって、その前、つまりは道の右側は大きな駐車場になっている。ここにさいしょの1匹目のねこ、ここちゃん、がねそべっていたり、駐車場におかれている車の下にひそんでいたり、またはクラスメートの家の前にある車の下にかくれていたりする。そういうねこが、ここちゃんでもある。ここちゃんは飼いねこなのか、くびわがついていてかわいいブローチのようなものがさげられている。うすいちゃいろとしろのまざったたいへん目の大きな、りんとした品のあるかおつきのねこである。きょうは車の下をのぞかなくても、駐車場の真んなかでだいたんにねそべっている。ここちゃんは飼いねこのためか、それとももともとそういう性格のねこのためか、ひじょうにあいそうがよくて、ひとなつっこい。2度目にあったぐらいで、しゃがんでいるわたしによってきて、からだをよせてくるのであった。むすめもあいさつていどはするものの、びびりのため、それをねこも気づいて、むすめのところにはちかくまでいっても、すりすりすることはない。むすめはしばらくそんなようすをながめて、
「いこう」
という。ちかくにここちゃんがいて、こわくなってきたのである。
「じゃ、バイバイする」
ときくと、
「うん」
「バイバイ」
といっている。わたしがたちあがると、視線をかんじるところがある。駐車場のとなりのうらのところにある2階建てのアパートの階段の上にちんざしている、はいいろとしろのねこである。こちらのようすをずうっとうかがっていたようでもあり、ねこどくとくのするどい目つきのわるいかおをしている。そしてまだ、わたしたちふたりのことをじっとにらんでいる。
「こわい」
とむすめはいっている。ここでふと、死んだおやじの言葉がよみがえってくるのであった。ねこににらまれたらそのねこの目をじっとにらめかえし絶対目をそらさないことである、といわれ、ずっとにらみつづけていればねこはだんだん気落ちしてきて、しまいにはこわがりしっぽをおろし目もあわせなくなり敗北感とともにどこかへいってしまうと、逆に、とちゅうでこちらがにらみをやめれば、ねこは王さまのふんぞりかえりのように威張ったかおをしてから優越感のかたまりのほこりの態度をこれみよがしに見せる、と、むすめは、
「わるいかおしてるね」
「いこう」
というので、そんなおたわむれはしないけれども(のちにはしているけれど)、その場をたちさるものの(もうひとつきになること、クラスメートの家の玄関わきにおかれているすいがらの入ったびんを見つつ)、ストライダーをまたいだむすめとあるいていく。
「ここちゃん、やさしいね」
「そう」
「ここちゃんのともだち、わるいかおしてるね」
「そうか」
するとすぐにも、京急の高架下をななめに道はよこぎっている。京急の快特であろう上りがとおっていく。以前、ここは下を京急が走っていたため、信号の装置かなにかをおいていたのであろう、線路にたいし直角にできていて、針がねとコンクリートで囲まれている柵が見られる。しばらくこの小道にそっていく。
「ここのマンションの7階に、はなこさん(おすしやさんの常連さん)すんでるんだって」
ストライダーをまたぎながらあるいているむすめは、
「へえ」
といっていて、
「ねこ、すきかな」
ともいっている。
「さあ、それは、わからないね」
すると、むすめのかよう学校のうら門につうずる道をこえ、道なりにすすむ。ほそい路地である。バイクの音がきこえたり、
「バイク、きたよ」
などというと、むすめはハンドルをもったまますぐにものっているストライダーのサドルからおしりをはなし、こばしりにあせるようにわきにからだをすっとよせていく。すぐにもう一台、宅配のバイクなんかがくると、
「なんで、またくるの、もう」
なんておこりだしながらも、またもわきによけていく。セブンイレブンが見えてくるとそこを左ななめ前へとすすんでいく。また高架であるけども、ここにもねこがいるときがある。高架のはしらのりっぱな土台のコンクリートの上にちんざしているときもあれば、やはり駐車場になっている車の下でひるねしているのもあったりする。しかし、きょうはいなくて、高架下のさきのマンションのちょっとしたひろばや駐車場のところにもいたりする。けれども、きょうはいない。ここのマンションにもクラスメートがいる。
「いないね」
「そうだね」
ストライダーにのってさんさろを右へちょっとすすむと、ちゅうくらいの声で、
「おとうさん」
といってから、
「ほたてちゃんとまぐろちゃん、いる」
「ごはんたべてる」
わたしもはんたいのわきによって見えるところからあるいていくと、空き家らしいところに、プラスチックのおわんにもられているキャットフードらしいものをたべているも、ひとと目があったためか、口のうごかすのをやめて、気配をうかがっている。
「だれか、えさあげてるんだろ」
「うん」
といってすこしはなれたところからねこの2匹を見つめている。
「ひさしぶりだね」
というと、
「ほたてちゃん、まぐろちゃん、ひさしぶり」
といっている。
「ほたてちゃん、まぐろちゃんにあえて、よかったね」
「うん」
ほたてちゃん、というのは、しろにすこしうすちゃの入ったのら、まぐろちゃん、というのは、くろののら、ほたてちゃんは警戒心そのもののかおつきで、まぐろちゃんは右のみみの上のところがすこしかじられていて、え、というくらいにみぢかいちょこんとしたしっぽである。むすめは見たてのいろから、ほたてちゃんまぐろちゃんと名をつけた。ほたてちゃんは、まあ、いいとして、まぐろちゃんは、赤身ではなくて、クロマグロなのか、ヅケマグロなのか、どっからとったのかはわからない。
「いこう」
とむすめはいって、
「そうだね、ごはんちゅうだからね」
ここらあたりもふるいうちをこわして、さらちにしてうっている。ふるいうちはいいのになあとおもっていると、
「また、バイク」
とむすめはいっていて、
「もう」
といっておこってもいる。すこしさきいくむすめに、
「気つけて」
といっているも、わたしは足をはやめることをしない。むすめはもうそんなとしごろではない。そんなとき、むすめはたちどまるし、よこによけるし、ミラーだって見ている。でも、
「おとうさん、きて」
とはいう。かどをまがったところにほんめいのねこがいる。
「おとうさん、さき、いって」
ともいっている。
「ちび、いる」
ともたずねている。わたしはいつものようにたまにいるちびのいる家とのブロックべいのすきまを見てから、ここんちの玄関さきをななめからうかがうように見ると、ちびはいる。ちびはきちんとおすわりしている。
「ちび、いるよ」
というと、むすめはぱたぱたとむかいのアパートのコンクリートべいにストライダーをたてかけ、玄関さきからすこしはなれているこのあたりにしゃがんで、ここからでも走る京急の音はきこえる。
「ちび、ちび」
といっている。わたしもむかいのとなりにしゃがんで、ようすをうかがうことにする。もう一度、
「ちび、ちび」
とむすめがいうと、目をぱちくりさせていて、こちらにかおをむける。
「見てる、ちび見てるよ」
「ちび、ちび」
とまたいうと、ながいしっぽをひらひらさせて、両足をぐるりとまいていて、あいさつしているようにも見えている。また、
「ちび」
とむすめはいっていて、ちびは、
「にゃあ」
とかえしてくれている。
「にゃあ、いってる」
うれしいむすめはいっている。ちび、はくろいねこで、ところどころがしろい。わたしたちはよくきているので、ちびが半のらということをここのうちのおばさんからきいている。かおの下からくびにむねおなか足としろい。が、しっぽはくろい。みみをぴんとたててすましたひとみをしている。おばさんからは、としはわからないがだいぶんおばあちゃんで、玄関のところまではくるが、それからなかには入らず、気ままにくらしていて、ときどき目ぐすりをしたり、きずをつくることから病院にもつれていくけど、いやがるそうである。ここのうちのなかには他にかいねこが3びきいるらしく、たまにベランダからまっくろのねこがこちらのようすをうかがってながめていることもあるし、また他ののらねこが何匹かくることがあり、えさをやっているとのことである。ちびは、5時6時に2回えさをあげているとのことで、すこしぼけているかもといったりしているも、そんなようすはちびにはまったく見うけられることはない。おばさんは近所のすずめたちにもえさをあげたりしているそんなおばさんである。おじさんもたまにでてきて、さわったりしたら、かならず、手をあらってね、ともいわれたりもしているものの、むすめはさわったりすることができないため、そこのところはしんぱいいらないとおもっている。ちびはまたよってきている。わたしのとなりにしゃがんでいるむすめは「ちびちび」とよぶわりに、近づいてくるとびびるため、ちびはわたしに近よってふともものあいだによこっぱらおしりをすりすりしてからそばでごろんとよこたわっている。むすめはがまんしきれず、
「いい、いい」
といってたってしまう。わたしは、
「こわがるから」
といっても、
「ほら、だいじょうぶでしょ」
といっても、
「いいいい」
「いいいい」
といって、そこにたって見つめている。すると、たっているむすめをちらっと見やり、またきた道をもどり、ちびは一段たかくなった玄関まえのところで、ぎょうぎよくすわっている。ぎょうぎょうしく青空のなかを羽田にむかう飛行機がちょうど真上をとおれば、ねこもうるさそうに上を見あげて、「にゃあ」といっていて、飛行機のはらも見えればねこのはらも見える。そんななかでも、むすめはたったまま、なにもしゃべらず、ちびを見つめている。ちびは両の前足でけづくろいやしっぽをまたくるりとまわしている。
「もう、いこう」
「いいの」
「いこう」
「じゃ、バイバイね」
「うん」
「じゃ、いこう」
「ちび、バイバイ」
というと、
「にゃあ」
とちびはいっている。
「にゃあ、いったよ」
「バイバイっていってるんだよ」
「ちび、バイバイ」
ちびはしっぽのさきをかるくふっている。
「しっぽ、ふってる」
「ちび、バイバイ」
ちびはみみをくるりとさせすこしさきをおっている。
「ちびバイバイ」
ちびは見つめている。
「さあ、いこう」
「バイバイ」
むすめはストライダーにまたまたがっていて、足をすすめている。
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