燃える男

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 冬ざれた街を二人の主婦がぶらぶらと散歩している。歩く影が長くなって来た。 「大分、日が傾いて来たわね」 「そうね」と答えた倫子の顔をしげしげと見て亜美は言った。 「あたし思うんだけど、あんた最近、血色良くない?」 「そおお?」  倫子は思い当たる節があった。  やがて黄昏れて来た。 「あんたの顔色みたいに空が夕焼け色になって来たわね」 「あたしの顔、そんなに赤い?」 「違う違う、そうじゃなくてあの色よく見てよ」と亜美が西の空を指差し、「鴇色じゃない」と言うと、「そうね」と倫子は答えた。 「とても綺麗ね。でも、やあね、今年の冬は、ほんとに寒くて暖房代がかかってしょうがないもの」 「家は全然、かからないわよ」 「えっ、何で?」 「あたしんちに来れば分かるわよ」 「燃える男でもいるの?」 「それがいるのよ」 「冗談言わないでよ」 「あんたこそ冗談言わないでよ。でも、あんたの言ったことは冗談(瓢箪)から駒で図星なのよ」 「じゃあ燃える男がほんとにいるとでも言うの?」 「そう」 「マジで?」 「ええ」 「絶対?」 「ええ」 「じゃあ会わしてよ」 「いいわよ」  倫子は昂然たる顔で一も二もなく引き受けて亜美を自宅のアパートに連れて行った。  居間にいる夫を隣部屋から覗き見しながら倫子は言った。 「ほら今も燃えてるでしょう」  見ると、確かに全身から炎をめらめらと燃え上がらせながら熱を発散しているので亜美はびっくり仰天して言った。 「うわあ!しょ、焼身自殺!」 「馬鹿言わないでよ。違うわよ。あれでもへっちゃらなの」 「あ、あんたの旦那、何者なの?」 「家の旦那、倫理的に潔癖と言う意味で癇性だから、あの漱石のように癇癪持ちになってしまうのよ。だからああやってテレビのニュースを見たり新聞を読んだりすると、不正や不条理に満ちた俗世を思い知って義憤に駆られてね、そんな時、アグニの神が憑依して怒りが炎となって炸裂するの」 「あぐにのかみ?」 「火の神よ」 「神様が乗り移るって言うの?」 「そう」 「あぐにが?」 「そう」 「聞かない名ね、何処の神?」 「インド」 「ああ、あんたの旦那、インド人だもんね」 「そう」 「でもインド人だからって・・・」  超常現象を目の当たりにしても疑問に思う亜美を尻目に倫子は言った。 「信心深い敬虔なヒンドゥー教徒だもの。で、インターネットやっててもしょっちゅう詐欺メールが来るから怒りまくってね、燃えっぱなしなの。だからあったかくていいやね」 「炒り豆に花が咲くってか。しかし、よく火事になんないわね」 「神の恩恵よ。あの火は。だからよ」  自分の言葉に納得する倫子の横で亜美は心まで温かくなって来たので、やっぱり神様が乗り移ってるのかしら、神様の力なのかしらと思えて来るのだった。
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