ワクワクするお坊さん

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タクミは、満面の笑みを作って見せて、パソコンのカメラに向かって言った。 「あのね、ほうれん草を食べたらね、強くなれるんだよ。知ってるかな、筋肉もりもりのカッコイイお兄ちゃんになれるんだよ。だから、ほうれん草もいっぱい食べなきゃダメだよ。いい?解りましたか。」 「はい、解りました。」幼い男の子の声がパソコンの向こうから聞こえた。 「はは、単純なものだな、やっぱり子供ってのは。」 パソコンの音声をミュートにして、残りの冷めたコーヒーを飲み干す。 タクミは、大阪の船場にある凡蔵寺というお寺の長男だ。 京都の宗教系の大学を卒業して、今は、住職の父親のもとで修業をして2年前から住職の代わりをしているというわけだ。 まだ若いだけあって、今までのお寺を改革しようと、色んなアイデアを出しながらお寺の経営にも携わっているのだ。 そんなアイデアの1つが、今週始めたオンライン子供相談だ。 お寺という存在を、子どものころから身近に感じて貰おうというタクミのアイデアである。 これから少子化していく中で、お寺も生き残るのが大変だ。 さて、次の子供にいきますか。 「はい。こんにちは。子供相談室に、よく来たね。お嬢ちゃんは、お名前は?」 「はい。真行寺リカです。小学校3年生です。」 髪をツインテールにしたエクボの可愛い女の子だ。 「じゃ、お兄さんに質問は何ですか?」 そう言うと、女の子は、恥ずかしそうにして答えない。 「どうしたのかな、何でも聞いていいんだよ。」 「んーと、んーと、お坊さんは、何なんですか。」 これはいきなりハードな質問だな。 お坊さんは何? 詰まり、この子は、お坊さんとは、どういう存在なのかと聞いているのだろうか。 それは、お坊さんの役割ということなのだろうか。 困った。 いや、実に困った。 とはいうものの、黙っていてはいけない。 何しろ、答えなければ、答えることが出来きない無能な人ということになって、お坊さんとしての、それこそ存在理由をなくしてしまう。 お坊さんというものが、存在する意義というものを、実はタクミも学生時代に悩んだ問題だ。今のお坊さんは、それこそ、葬式屋になっている。 人が死んだら、戒名を付けて、お経をあげて、はい、終わり。 そんな職業になっている。 まあ、しかし、それも必要だろう。 お葬式が無ければ、残された人の気持ちの置き所がなくなるものね。 しかし、それだけで良いのだろうかと悩んでいた。 そんなある時、奈良の祈祷寺に行った時だ。 その寺では、人生相談をやっていた。 相談者を霊視して、答えを、その人に伝えるというものだ。 衝立の向こうで住職と相談者の声が聞こえて来た。 「あのう、主人が胃がんの疑いで検査をしたんですけれど、どうでしょうか。」 すると、住職らしき人の真言のような声が聞こえた。 「エイ、ウン。解った。心配しなくていい。ご主人はガンじゃない。」 そう言い切ったのだ。 タクミは、それを聞いて、なんといい加減なと思ったのだ。 医者でもない寺の坊さんが、ガンじゃないと何故言い切れるのか。 すると、相談者は、「本当ですか、ありがとうございます。安心しました。」と、晴れやかな声でお礼を言った。 それを聞いた時に、初めて、坊さんの存在意義というものに触れた気がした。 検査の結果なんて、誰も分からない。 でも、いま、このご婦人に、大丈夫だと安心させることが、坊さんとしての役割じゃないか。 それをこの住職は、批判を覚悟でやっているのだ。 なるほどと、いたく感心したが、そんな芸当をタクミは出来る訳もない。 でも、子供相手なら大丈夫だろうというのが、オンライン子供相談室を始めた理由でもある。 いやしかし、これは難題だ。 しかも、ディスプレイの向こうで、タクミの答えを子供が待っている。 「うん。難しい質問だね。お坊さんはね、色んなことをするんだよ。みんな生きているよね。生きているとね、色んな悩みが出てくるの。解るかな。だから、そんな悩みの相談をしたりね、それから、気持ちが落ち着くように話をしたりね、それから、人が死んだら、お葬式もするんだよ。どう、いっぱいすることあるでしょ。どう、解った?」 どうだい、まあ、なかなかの答えだろう。 これで、子供も納得したかな。 「はい、解りました。」 リカちゃんが可愛い声で答えた。 ほらみろ、だから子供って単純なんだな。 「あのう、どうして、おじさんは、お坊さんになったんですか。」 あちゃー、またそんな質問か。 それに、僕は、おじさんじゃないし、お兄さんって言えよ。 どうしてお坊さんになったかって、そんなこと言われても、親がお寺の住職だったからだよ。 何も考えなかったんだよね、長男だからさ。 あ、そう言えば、学生時代は、音楽の仕事をしたかったんだよね。 素人だけれど、ギターをボロンなんてやったもんだよ。 仲間は、みんな外国のバンドを目指してたけど、俺は、ずっとサザンオールスターズだった。 憧れだったんだ。 でも、結局、親の跡を継いだ。 いや、そんな事を子供に説明は出来ないよ。 ただ、親がお寺だったからなんてね。 何しろ、このディスプレイの向こうにいるのは子供だけじゃないんだ。 必ず、親がいる筈だ。 そして、俺の回答を聞いている。 どんな親なのかな。 そういえば、この子は、目元もパッチリしていて、その親なら、きっと美人だな。 ちょっと画面の端にでも映らないかなあ。 って、そんなことを期待している場合ではない。 子供には、もっとキラキラしたというか、前向きになれる答えを言わなきゃいけないだろう。 そういう答えを、美人の母親も待っている筈だ。 「おじさんはね、お父さんが、このお寺のお坊さんだったんだよ。だから、おじさんも、その後を継いでお坊さんになったんだ。」 うん、ここは一応押さえておくべきだろう。 いくら子供だからといっても、最近の子供は鋭いからね、説明に矛盾があったら、そこを突いて来るかもだ。 「でも、始めは悩んだよ。おじさんにお坊さんなんてできるのかなって思ってね。でも、心配そうな顔をしてお寺に来た人が笑顔になって帰っていくのを見たら、おじさんも、みんなを笑顔にしたいなと思ってね。だからお坊さんになったんだ。」 よし、これで決まった。 「じゃ、テレビのお笑い芸人も、お坊さんと一緒なの。みんなテレビ見て笑顔になってるよ。」 ほう、そうきたか。 「リカちゃん、面白いことを言うね。でもね、テレビのお笑いをみて笑うのは、笑顔じゃないんだよ。あれはね、笑い顔(わらいがお)っていうの。ただ、可笑しくて笑っているだけなの。笑顔っていうのはね、周りにいる人が、見ていて優しい気持ちになるのが笑顔っていうんだよ。そうだ、ママがリカちゃんを見る時はいつも笑ってるでしょ。それで、リカちゃんも、そのママを見て嬉しくなるでしょ。それが笑顔って言うんだよ。」 よーし、どうだ、美人ママさん、今の僕の答え聞いてる? ママさんのハートにストライクでしょ。 いやしかし、こんな質問ばかりされたんじゃ、こっちの身が持たないよ。 「そうだ、リカちゃんの悩みはないの?」 話を逸らさなきゃ。 「あのね、あたしね、可愛いお嫁さんになりたいの。」 ほう。 「そうなんだ。きっと、リカちゃんなら、可愛いお嫁さんになれるよ。」 「でもね、お父さんがね、お医者さんになれっていうの。お父さんみたいになれって。」 なるほど、父親は医者なのか。 「ねえ、おじさん、どっちになったらいいですか。」 そうだ、そう、こういう質問を待っていたんだ。 しかし、これにどう答えるか。 「そうか。可愛いお嫁さんもリカちゃんは似合うと思うよ。そして、お医者さんも立派な仕事だね。ほら、病気を治したらね、みんな笑顔になるでしょ。でもね、まだリカちゃんは、それを今決めなくても大丈夫だ。まだ若いからね。今は、しっかり学校のお勉強をして、それで、そうだな、10年ぐらいして、また考えたらいいよ。」 よし、こんなものか。 どうせ、10年も、今の質問を覚えてなんていないしさ。 その辺は、適当でいい訳だ。 「はい。解りました。でも、10年しても、どっちが良いか決められなかったら、どうしたらいいですか。」 もう、しつこいなあ、この子は。 ママも、しつこい性格なのかな。 まあ、美人には、よくあることだけれどさ。 「そうだね。その時は、どっちになったら、リカちゃんが、ワクワクとかドキドキとかするか考えてみて。そして、ワクワク、ドキドキした方を選んだらいいよ。」 まあ、最近流行りのワクワクした方を選ぶってのも入れてみたよ。 女性週刊誌の特集なんかで紹介されている方法だ。 「解りました。おじさんは、お坊さんになって、ワクワクとかドキドキするんですか。」 アカン、これまた、僕に対する質問じゃないか。 そんな、お坊さんの仕事にワクワク、ドキドキはないだろう。 だから、親がやってたのを継いだだけだっちゅうのに。 そういえば、僕が今まで、ワクワク、ドキドキしたことってあるのかな。 学生時代に、音楽を始めて、初めて自分で曲を作って、音楽会社にデモテープを送り付けたな。 その1週間ぐらいは、もうドキドキのしっぱなしだったね。 スカウトの電話が掛かってくるんじゃないかってね。 もちろん、何の連絡もなかったけれどね。 そうだ、嫁のマリコと、初めてのデートの時も、ワクワク、ドキドキしたな。 映画館で、手の汗びしょびしょにしながら君の手を握ったら、ギャーって、大きな声を出して、周りに注意されたね。 あははは、僕の汗かきも、相当なものだからね。 そうだ、僕も、ワクワク、ドキドキしてきたんだ。 でも、職業に関しては、ワクワク、ドキドキしていない。 そんなものだと、始めっから思っていたからか。 ただ、日々、淡々と仕事をこなしているだけだ。 マリコにプロポーズした時は、オリジナルの曲で、マリコに愛を伝えたね。 その時の、優しいマリコの笑顔を思い出したよ。 そうだ、僕も、人を笑顔に出来るんだ。 まだ、間に合う。 それなら、音楽家として、再出発も夢じゃない。 要は、初めの1歩を踏み出す勇気があるかどうかだけだ。 そうだ、僕の音楽で、人を笑顔にしたい。 お寺は、次男に譲ればいい。 そうだ、音楽家で再出発しよう。 そして、マリコを、みんなを笑顔にするぞ。 「リカちゃんだったかな。おじさんは、リカちゃんに教えられたよ。おじさんも、これからワクワク、ドキドキする仕事をやっていくよ。ありがとうリカちゃん。ありがとうね。」 そういって、僕はスイッチを切った。 消える前のディスプレイには、キョトンとしたリカちゃんが見えた。 そうだ、マリコに伝えよう。 僕の再出発を。 そして、マリコを、そして、これから出来るであろう僕のファンの笑顔のために。 タクミは、急いて台所に行ってマリコに言った。 「あのさ、僕、お寺を辞めて、ミュージシャンになるだ。そして、マリコと、みんなを笑顔にしたいんだ。」 タクミは、イキイキとした表情でマリコを見た。 マリコは、台所でタクミの方に振り返って、「何、アホな事言ってんのよ。そんなこと言ってるから檀家さん減っていくんよ。ほんで、さっきのオンライン子供相談ていうやつ、いくら儲かったん?1人1000円ぐらい貰ってのかいな。」 スコブル怖い。 「いや、あれは、ボランティアや。」 「えっ?タダ?お金貰わんと、あんなことやってるの。もう、あのねえ、いくら宗教法人やっていうても、今は、経営大変なんやで、それぐらい解ってるやろ。もう、ミュージシャンなるって、そんな寝ぼけたこというてらんと、ちょっとは、生活が楽になること考えて。」 後輩が、恋愛相談をしに来たら、大阪の女だけは止めろとアドバイスしよう。 うん、大阪の女は怖いこと極まりない。 タクミは、その瞬間、もうミュージシャンになる夢は捨てた。 世の中には、ワクワク、ドキドキでは解決できない問題もあるんだ。 仕方がない。 人生って、そんなものだ。 そりゃ、そうだな。 生きていくには、お金が必要だ。 マリコの意見が正論だ。 それには、お坊さんを続けていくしかないよね。 夢なんて、持つべきじゃないのかもしれないな。 いや、こんなことを、どこかの坊さんに相談したら、「今いる場所で、ワクワク、ドキドキする工夫をしなさい。」なんて答えるんだろうな。 それって、無責任な答えだよね。 どこかの国じゃ、ゴミの中で生活する子供もいるそうじゃないか。 極端なたとえだけれど、そんなところに生まれた子供に、今居る場所でワクワクすることを見つけなさいなんて言えるかってんだ。 まあ、幸い、僕の生活は、ゴミの中じゃないけれどね。 ん? そう考えると、実に僕は恵まれているとも言えるな。 柔らかな身体を包む布もあって、雨露をしのぐ家もある。 そして、何より、毎日、美味しい料理にビールと来た。 ある意味、天国かもしれないね。 そういえば、マリコも結婚した時は、優しい笑顔が可愛かったんだよね。 それが、今は、あんな憎たらしいことをいうようになった。 いや、そうなったのは、僕のせいなのかもしれない。 僕が、頼りないから、マリコも、ああなったんだろう。 マリコも、ワクワク、ドキドキすることはあるのだろうか。 夢はあるのだろうか。 そして、その夢は、今はもう、諦めたのだろうか。 諦めたとしたら、僕のせいだろう。 ああ、僕は、マリコを不幸にしているのだ。 もう1度、マリコを笑顔にしたい。 それは、本心からそう思った。 タクミは、マリコに言った。 「マリコ。ミュージシャンになるのは、止めるよ。でもさ、聞いて。もう1度、僕と、ワクワク、ドキドキをしませんか。」 タクミは真剣だった。 それを聞いてマリコは、ぷうと噴き出して、大笑いした。 そして言った。 「バカヤロウ。」 でも、タクミは、マリコに、プロポーズのときの笑顔を見たような気がした。
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