殺人の記憶

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パソコンの前に、コンビニで買ってきた缶詰をならべる。 最近の缶詰は、種類も増えて選ぶのも楽しいものだと、そんなことに気が付いたのが嬉しい。 タクミは、初めてのオンライン飲み会というものに誘われて、その用意をしている。 「ビールは、これでよし。ワインも一応、用意しておくか。」 それにしても、昨夜の酒がまだ残っているのに昼飲みとは、少しばかりの罪悪感を楽しんでいた。 すると、パソコンの画面に、ケイスケが参加してきた。 タクミは、ディスプレイの前に座る。 「よう、お待たせ。」 そう言ったケイスケは、もうオンライン飲み会が始まる前に、既に、ビールを始めているらしい。 「あれ、もう自分ひとりで始めちゃってるじゃん。」 「ああ、テレビのドラマを見ながらね。あとで、マリコも参加するってさ。」 「じゃ、それまで、男同士で始めちゃいますか。とりあえずは、乾杯。」 タクミとケイスケとマリコは、小学生からの付き合いだ。 そんなに頻繁に会う訳ではないが、ずっと続いている友達である。 「それにしてもさ、その目と口のところのアザは、どうしたんだ。」 ケイスケは、タクミを見た時から思っていた。 「ああ、これか。桜町の歩道橋の階段から落ちたんだよ。たぶん。」 「そうか、それは、痛かっただろう。目も口も、真っ青だよ。でも、たぶん、って何なんだ。」 「いや、実はさ、俺、その時、酔っぱらっててさ、覚えてないんだ。気が付いたら、階段の下で寝てたんだ。」 「タクミのやりそうなことだな。目をつぶったら、その光景が見る気がするよ。」 「おいおい、そんな事、勝手に想像するなよ。」 「それにしても、他にケガはなかったのか。普通、階段から落っこちたら、手とか足とか怪我するだろう。骨折するやつも結構いるらしいぞ。」 「うん、それは大丈夫だったんだ。でもさ、ちょっと不思議なことがあって、、、。」 「不思議な事って何だよ。」 「ああ、どうも、顔から転げ落ちたようなんだけれど、胸のあたりと腕に、血が付いてたんだ。でも、身体を調べても、傷がない。そんなことあるかな。」 「へえ。それは不思議だな。階段から落ちて、、、、怪我をして、それで目が覚めたら、怪我が治ってた。いや、そんな早くは治らないか。」 「そうだろ。目も口も、打撲はしてるけど、切れてはないもんね。切れてなーい。(長州力のモノマネで)なんてね。」 「あはは。だとすると、、、口の中切ったんじゃないのか。それか、腹を、どこかで打って、吐いた血が服に着いたとか。」 「そうか、そういうことかもしれないな。だって、傷がないもんな。だけど、それにしては、血の量が多いんだよな。どうなってるんだろう。」 「まあ、どっちにしたってさ、そんな大したことなかったんだから、良かったじゃん。」 「そうだね。しかし、昨日は飲み過ぎたな。記憶がまったく無いんだよ。店を出た後からぷっつり記憶が消えてるんだ。」 「酔っぱらいアルアルだね。」 「おい、そっちのソーセージの缶詰は、うまそうだな。ビールが進むだろう。」 「ああ、やっぱりビールには、ソーセージだろう。お前は、サバ缶か。まあ、それも、うまそうだ。ワインもあるじゃん。」 「ああ、用意万端だ。俺は、サバ缶には、ポン酢を掛ける派だ。マヨネーズ掛けるやつもいるけど、あれは、邪道じゃないか、どう思う。」 「俺は、マヨネーズ派だ。そりゃ、マヨネーズの方が美味しいだろう。」 「まあ、悪くはないけれど、マヨネーズ掛けりゃ、何だってうまくなるだろう。だから、邪道だって言うんだよ。どんな缶詰だって、マヨネーズ掛けたら、うまいに決まってるよ。そこを敢えてのポン酢なんだよね。解るかなこのセンス。」 「解らんわ。うまいのにマヨネーズ掛けないなんて、解らん。」 「だからセンス無いっていうんや。ケイスケがレストランのシェフやったら、どんな料理にもマヨネーズ掛けた料理出すんやろな。そんなレストラン行きたくないな。」 「だから、うまいんだから、マヨネーズは。お客さん喜ぶぞ。あははは。お、マリコが、入ってきたよ。」 「おまたせー。」マリコが、明るく画面に手を振った。 「それじゃ、みんなで乾杯。」タクミとケイスケとマリコは、ディスプレイに向かってグラスを上げた。 「そうだ、ねえ知ってる?そこの桜町の歩道橋で殺人があったって。あたし、その前通ったら警察官が、ロープ引っ張ってた。」 「桜町の歩道橋、、、。おい、タクミの転げ落ちた歩道橋じゃないのか。」 「、、、うん、ああ。そうだよ。」 「マリコ、その殺人があったって、いつの話?」 「うん、それからテレビのニュースでやってるの見たら、昨日の夜の11時頃だって。凶器は刃物らしいよ。なんでも誰かと揉めてたらしいよ。目撃者もいるみたい。」 「おいおいおい。タクミ、お前、そのころ歩道橋にいたんじゃないの。」 「そういえば、その時間だな。」 「ねえねえ、何の話?」マリコは、ディスプレイを覗き込むような仕草で聞いてくる。 ケイスケは、今までのタクミの話を、マリコに説明した。 「ふうん。ひょとして、タクミが殺したとか、、、。」 タクミとケイスケが、一瞬固まったようになって、画面越しにお互いを見た。 「あははは。冗談でしょ。タクミにそんなこと出来る訳ないでしょ。」とマリコは付け足した。 「そうだよ。タクミの性格からしてケンカなんかしないしさ。まして、人を刃物で切り付けるなんて。ねえ、知ってる?その歩道橋だよ。足の悪いおばあさんが階段を上がろうとして、辛そうなのを見かねて、タクミがおんぶして階段を上がってたんだよ。そんな優しいタクミが殺人なんてするわけない。それを、俺は証言してやるよ。裁判所でね。『えーっ、わたくしはタクミの友人ですが、心の優しい人であります。エッヘン。』ってね。」 「何が、『わたくしは』よ、そんな言葉遣ったら余計に疑われるわ。」マリコが噴き出した。 「あははは。そうだな。」ケイスケも笑った。 「そうだ、その階段のおんぶ。途中で、体力が尽きて、途中で止まっちゃったんでしょ。それで、おばあさんが、『おにいちゃん、大丈夫か。』って、反対に心配された。あははは。思いだしたよ、その話。 ケイスケとマリコが、手を叩いて大笑いしている。 でも、タクミは、笑えなかった。 自分が、殺したのかもしれない。 そんな不安を漠然と抱いていた。 何しろ、泥酔していて覚えていない。 自分が殺したという記憶もないが、殺していないという記憶もないのである。 覚えていないと言う事が、これほど頼りないものだったとは今まで思ってもいなかった。 考えてみれば、人間が生きていることは、記憶しているということとイコールなのではないだろうか。 昨日までのことを忘れてしまったら、昨日までの事は無かったと同じだ。 本当に、記憶を無くしてしまったら、昨日まで生きていたことを証明出来得るものは何も無い。 果たして、誰かに、あなたは昨日までは死んでいましたなんて、そんなデタラメな事を言われても、それを否定することは不可能だろう。 それほどに、記憶というものは、存在の拠り所となっているのだ。 「あのさ。」タクミが口を開いた。 「あのさ。俺、覚えていないんだよね。たぶん、その時刻には、歩道橋の近くにいたはずなんだ。でも、覚えてない。ひょっとしたらさ、その事件に俺が関係してるのかもしれないと不安なんだよね。関係ないことを証明できる記憶がない。」 「何を言ってるんだ。お前が人を殺すはずないだろう。」ケイスケは真剣にタクミに言った。 「そうよ。タクミじゃないわ。」 と、マリコは、きっぱりと言い切ったが、ある昔のケイスケの出来事を思い出していた。 あれは、中学1年の時だった。 タクミの妹のリカちゃんが、家の近くにいた野良犬に咬まれたことがあった。 その時、タクミはリカちゃんに咬みついた犬を、近くにあった棒で殴り殺したのよね。 それは、もちろん、妹のリカちゃんを助けるためだったんだけれど、犬がリカちゃんを離しても、その後、ずっと犬を殴り続けていた。 その時の、嬉しそうなタクミの顔が、今、マリコの脳内のイメージとして再生され始めたのである。 オンラインで話しながらも、その映像がマリコの頭の中で、再生され続けている。 ひょっとしたら、タクミは、気持ちが高ぶった時に、残酷が表にでてくるのかもしれない。 そう思うと、背中に冷たい汗が滲み出た。 「しかし、、、。」タクミは、考えながら、ゆっくりと話し出した。 「なあ。ケイスケ、どう思う。俺は、昨日の夜の11時ごろ、歩道橋にいた。そして、殺人は、同じぐらいの時間にあった。うん。それは、そういうこともあるだろう。でも、俺の服についた血を、どう説明する。ひょっとして、俺が殺したんだろうか。」 「おいおいおい。そんな筈はないだろう。お前に人は殺せない。それに、その血だって、、、、。」と言ったが、ケイスケも黙ってしまった。 「もう、2人ともどうしたの。タクミが犯人な訳ないでしょ。」 とは言ったものの、まだ犬の事が頭を離れない。 そして続けた。 「ねえ、ちょっと整理してみようよ。昨日の夜の11時頃にタクミは歩道橋の階段で転げて落ちた。でも、酔っぱらっていて覚えていない。そして、同じころ、歩道橋で、誰かが刃物で、差されたのか切り付けられたのかして、殺された。ここまではいいわよね。それで、タクミの服には血が付いている。胸と腕のところにね。そして、タクミは目と口にアザがある。んー。これを、どう考えるかよね。」 「先に、誰かが殺された。刃物でね。そこに、たまたま、タクミが酔っぱらって階段から転げ落ちた。そこに死体があって、その血が服に着いた。そう考えたら辻褄が合うじゃん。」 「本当だ。それしかないよね。死体の上に転げ落ちたのよね。でもって、タクミは、フラフラと立ち上がって、家に帰った。でも、死体には気が付かなかった。だって、酔っぱらって記憶がないほどだったんだもん。死体に気が付くはずはないわ。」 「おお、流石にマリコだな。そういうことだろう。」 「良かったね、タクミ。これで説明が付くよ。あ、そうだ、現場に、パンダのキーホルダーが落ちていたんだって。たぶん、加害者の落としていったものだろうってニュースで言ってたわ。」 「あ、じゃ。これでまた説明が付くじゃないか。タクミは、パンダのキーホルダーなんてもってないし。もしキーホルダーが見つかったら、そこに犯人の指紋も残ってるから、タクミの容疑が晴れるよ。」 それを聞いたタクミは、飛び上がりそうになった。 「それ、俺のキーホルダーだ。」 そう言ったら、ケイスケとマリコが、椅子から飛び上がった。 「えーっ。お前、パンダのキーホルダーなんて持ってたか。」 「いや、昨日、バイト先の女の子に、お土産だって貰ったんだ。どうしよう。俺のキーホルダーが現場に落ちている。お、俺、犯人にされるのか。いや、俺って、犯人なのか、、、、。」 もう、タクミは、自分でも、犯人じゃないのか、誰かを刃物で殺したんじゃないかと不安で押しつぶされそうになっている。 「おい。タクミ。それ本当に落としたキーホルダーなんだろうか。お前、ちょっと昨日の服のポケットを探して見ろよ。ひょっとしたら、タクミのキーホルダーとは別のキーホルダーが落ちてたって事かもしれないぞ。」 それを聞いて、タクミは、転げ落ちそうになりながら、洗濯機に向かった。 しばらくして、顔面蒼白になったタクミが戻って来た。 「あああ、もう俺はお終いだ。人を殺しちゃったんだ。どうしよう。もう、俺の人生は終わりだ。」 「どうしたんだ。タクミ。」 「お、俺のズボンのポケットに、ナイフが入ってた。」 ケイスケもマリ子も絶句した。 「落ち着け。いいか、タクミ。お前、ナイフなんて持ってたのか。」 「いや、持ってない。でも、今は俺の手の中にあるんだ。どうしてだ。やっぱり、俺は殺したのか。いや、覚えてないんだ。自分自身にも、殺してないと証明できない。殺してないという自信が無いんだ。いや、状況から考えて殺しているよ。もう、それは間違いないよ。そうだろ。」 「いや、だから、落ち着け。仮にだよ、仮に殺したとしても、タクミは、もともとナイフを持ってなかったんだろう。じゃ、それは殺されたやつがもってたんじゃないのか、それでタクミが襲われた。だから、そのナイフを奪い取ろうとしたときに、誤って相手を刺してしまった。こういうことじゃないのか。それなら、正当防衛だ。」 そんなケイスケの説得を聞いている間、マリコは、タクミが笑いながら誰かをナイフで刺している映像が、頭の中で繰り返されていた。 怖い。 タクミの笑顔が怖い。 手には、真っ赤な血のナイフ。 これって、タクミが殺したことで間違いないじゃない。 まだ、事実を確認しないまま、すでにマリコの頭の中では、鮮明に、タクミがナイフで相手を刺す映像が出来上がっていた。 「ああーっ。もうダメだ。俺が犯人だ。いや、記憶がないけれど、犯人に違いない。だって、ポケットにナイフが入っていて、俺のキーホルダーが現場に落ちていて、俺の服には血がべっとりとついている。たとえ、犯人じゃなくても、これだけ証拠があれば、みんな犯人だと思うよ。ああ、もうダメだ。」 「だから、正当防衛だって。」 「ああ、俺は捕まりたくないよ。刑務所に行くぐらいなら、今から死ぬよ。あははは。そうだ、このナイフで首を切るか。あはははは。死ぬことを考えたら、急に楽になったよ。そうだ、死ぬんだから、辞世の句でも作るか。」 タクミは、死ぬことを決めたら、急にハイテンションになって、明るい笑顔を浮かべながら、喋りだした。 「何か、歌を歌おうぜ。ケイスケ、俺に歌ってくれよ。はい、もしもしカメよ、カメさんよーっと。はい、ケイスケ続けて。」 「バカ野郎。歌えるか。それより、もっと冷静になれ。」 そう言いながら、机の下でマリコにメールを打った。 《警察に、連絡しろ。》 ケイスケがタクミの話を聞いている間に、マリコは、席を外して警察に電話を入れた。 マリコは、席に戻ると、ケイスケに目配せをした。 「じゃさ、ケイスケ。俺のどこに犯人じゃないってことを証明できる事実があるか教えてくれよ。この状況でさ。俺は、何も覚えていない。でも、この状況では、反論できるか、そうだろ。」 「、、、、。そうだな。そうだ、仮に相手を殺したって事にすると、、、お前は、記憶がないぐらいに酔っぱらってたんだろう。それって、心神喪失状態ってことになるんじゃないのか。その場合、罪には問われないって、テレビのドラマかなにかで見たことがあるぞ。詰まりは、お前は、正当防衛で、心神喪失状態だったわけだ。たとえ、殺していても罪に問われない筈だよ。だから、刑務所には行かなくて済むはずだ。」 「そうか、そうかもしれないな。でも、それでいいのかな。罪を犯したのに、刑務所に行かなくてもいいっていうのは、良心に反する行為じゃないのか。いや、うん、俺は刑務所に行きたくない。でも、殺したのは、事実だ。」 「おい、お前、今から自首しろよ。その方が、罪が軽くなる。俺たちも、お前の昨夜の状況を警察に説明してやるよ。」 「ちょっと待って、やっぱり、俺、殺してるのかな。」 「ああ、きっと、そうだろう。この状況を冷静に考えたらな。お前が殺している筈だ。でも、安心しろ、刑務所には行かなくていいはずだ。」 「でも、大変なことをしちゃったよね。タクミが人を殺すなんて。あ、ごめん。そんな悪い意味じゃないの。仕方がなかったのよ。きっと、相手が何か悪いことをして、それを止めようとして、気が付いたらナイフで刺しちゃった。それで殺しちゃったのよ。タクミは、人を殺してたとしても悪くはないわ。」 「まあ、ちょっと落ち着いて、ビールでも飲もうよ。夜は長いさ。」ケイスケは、タクミに冷静になるように、そう声を掛けた。 「ああ、でも、俺、これを飲んだら、自首するよ。 「そうか、それがいいよ。」 「そうよ、それがいいわ。」 ケイスケもマリ子も、少し安心した。 「でも、、、、俺って、本当に、人を殺したのかな、、、。今でも、記憶がないから信じられないんだ。俺が、ナイフで刺すって、そんなこと出来るのかな。だって、先端恐怖症だから、ナイフなんて、持つことないんだよね。」 「ああ、殺したさ。状況から考えたら、殺したんだよ。」 「うん、殺してるかもだよ。でも、正当防衛で心神喪失状態だからね。大丈夫だよ。」 タクミは、まだ自分が殺したとは信じられないでいた。 いや、殺したとも、殺していないとも、自分自身で納得のいく答えが得られていなかったのである。 そんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴った。 「誰だろう。」タクミが席を立った。 玄関で誰かと話をしている。 ケイスケとマリコは、小声で「警察が来たみたいね。」と話した。 しばらくしてタクミが席に戻って来た。 ケイスケとマリコは、ビックリした。 捕まらなかったんだ。 「どうしたの?」マリコが、知らない振りをして聞いた。 「うん、警察だったんだけどね。俺が自殺しないかと見に来たらしいんだ。あ、誰か、俺の事連絡したのかな。」 マリコは、ギョッとしたが、正直に話した。 「うん、あたしが連絡したの。タクミが自殺しようとしてたから。」 「あ、それは、俺がマリコに頼んだんだ。でも、お前、自首はしなかったのか。」 「あ、うん。」 「ダメだろ。たとえ正当防衛で殺したとしても、自首しなきゃ。」 「そうよ。人を殺したのよ。罪に問われなくても自首するべきよ。」 「それなんだけれど、、、。自主って言うか、事件の事を警察の人に聞いたら、犯人が捕まったって言うんだ。その犯人が、先に歩道橋の下で酔っぱらって寝ている知らない男に、罪を着せようとしてナイフを、その知らない男のポケットに入れたと言ってるそうなんだ。その知らない男って、たぶん俺だよ。血も付けたそうだよ。一応、重要参考人として、明日、警察に行くことになったんだけどね。俺は殺してなかったんだ。」 ケイスケとマリコは、安心したと同時に、今までタクミを疑っていたことを、どうタクミに説明しようかと、考えた。 でも、もうどうしようもない。 「ねえ、俺、殺してなかったんだ。」 「ああ、それは良かったじゃないか。」 「そうよ。あ、それじゃ、乾杯しましょうよ。無実のタクミに。」 マリコは、精いっぱいの笑顔で、今までの話を無かったことにいしようとした。 「うん、そうだね。俺も殺してなかったってことで、あ、これはお祝いでいいのかな。」 「そうだよ、お祝いだよ。じゃ、乾杯。」 3人は、ディスプレイの前で、グラスを合わせた。 ただ、どうにも、ぎこちない乾杯だ。 「そうだ、タクミのサバ缶、美味しそうだね。マヨネーズ掛けたら美味しいよ。」 「だから、それって、邪道だって言うの。」そういうと、タクミとケイスケは笑った。 「えっ、何?どうして笑ってるの?エーッ、2人だけ笑って、それずるいよ。あたしだけ、のけ者にされちゃってる。」 「あははは。」 それから、たわいない話を30分ほどしただろうか、オンライン飲み会は終了した。 タクミは、ほっとして、残りのビールを飲みながら、「殺してなかったんだ。」ポツリと呟いたが、少し晴れ晴れとした気持ちになっていた。 ケイスケは、警察を呼んだことを、いや、タクミを犯人だと思ったことを恥じた。 マリコは、ケイスケに言った。 「仕方がないよ。あたしも、同じだよ。」 タクミは、それ以降、記憶が無くなるまで飲むことはなくなった。 記憶がなくなることは、タクミ自身が無くなるのと同じだからだ。 頼りなげで、自分が生きて存在していることも消し去ってしまう。 記憶は、存在の証明の唯一の拠り所である。
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