明日花(あすか)作業所

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明日花(あすか)作業所

明日花作業所と書いてあすか作業所と読む。明日に向かって花を咲かせるような、そんな場所になってほしいという、施設長の願いが込められている。 ここは、B型作業所と呼ばれる障害者が通う作業所だ。A型作業所は一般就労と同じように雇用契約を結び、最低賃金が保証される。 しかしB型作業所は工賃が支払われるが、工賃は安い。一般就労が難しい障害者が働いている。月に五千円貰えれば稼げる方に入るといわれ、利用者の配偶者の所得が高いと、工賃よりも作業所の利用料金の方が高くなり、働き損になることもある。これでも、昔に比べると改善されたのだ。 昔は親の所得が高いと働き損になる利用者が多かった。しかし、法改正で親の扶養に入っている障害者については、働き損にならないように本人の所得で判断することになった。 この明日花作業所でも、法改正によって救済された利用者と、結婚しているために救済されずに働き損のままの利用者がいる。 明日花作業所は女性の利用者が多い。作業の内容が、パンやクッキー作り、編み物や刺繍など女性が好みそうな作業が多いからだ。 職員の大沢みずきは、ある問題が作業所内で勃発して頭を抱えていた。明日花作業所には精神障害者が多い。建前上は、身体、知的、精神の三障害の全てを受け入れることになっている。しかし、実際の作業所では、全てに対応することは不可能だ。必然的に棲み分けがされていく。 そして、発達障害者が作業所を探すときに、発達障害の支援に特化した作業所を見つけ出すことは、極めて困難だ。発達障害者への支援は始まったばかりで、どうしても作業所では精神障害者と一緒になることが多い。 ここ、明日花作業所にも一人、発達障害の利用者がいる。彼女が周りの利用者とちょくちょくトラブルを起こす。 「私は結婚しているから夫の所得から算出した利用料金を取られているのに、結婚も出来ない人が工賃を貰えるなんて、厚労省は無能ね」 彼女は、独身女性の利用者全員をこの一言で敵に回した。しかし、本人は事実を言っているだけで、人を傷つけていることに気がつかない。 そして、彼女は利用料金を払っているからと、自分の好きな作業しかやらない。興味のあるものは徹底的にやるが、興味のないものは絶対にやらない。 彼女の名前は東雲三咲という。彼女は、パンやクッキー、編み物や刺繍の商品作りには興味を示さず、それらをラッピングする作業と、ラッピング用のラベル、店のポップなどを作る作業をしている。 彼女はそれなりに裕福な家で育ち、有名美大を出ていて、夫は三咲の家の家業である不動産業を継ぐ婿養子として結婚した。かなり恵まれた環境で生きている。 別に作業所に来なくても、好きなことをして生きていける。そんな彼女がなぜこの明日花作業所に来ているのか。その謎は、利用者と定期的に行う面談で判明した。 「私はこの明日花作業所にボランティアをしに来てあげてるんです」 施設長も、他の職員も目が点になる。 「そうなのね、ありがとう」 初老に差し掛かった上はの施設長がぎこちなく言うと、 「あなた達のような庶民と違って、夫や親が経営者となると、身銭を切って慈善事業に熱心に取り組む奥さんは尊敬されるから。高貴なる者の義務だから、この作業所を助けてあげてる」 東雲三咲は淀みなく話し続けた、大真面目に。ベテラン職員の篠原真弓は、堪えきれずに書類で顔を隠して笑っている。施設長が咳払いで嗜める。 大沢みずきは東雲三咲に聞く。 「東雲さんは、あの有名なT美大出身ですよね。やはり絵を通して社会貢献をしたいのですか?」 「そうよ、本物の天才は商売よりも、社会貢献という崇高な目標に向かって進むの」 東雲三咲の辞書に謙遜という文字はない。相手がお世辞を言ったり、おべんちゃらを言っても全部真に受けてしまう。 面談が終わるとベテラン職員の篠原真弓が爆笑していた。 「まあ、障害の特性とはいえ、あそこまで自信満々だと羨ましいわね」 施設長は小さくひとつため息をついて、 「せっかく手先が器用なんだから製菓や手芸をしてくれるといいんだけどね。こだわりが強いのが特性とはいえ、他の利用者から贔屓するなって言われてしまうし、困ったわ」 東雲三咲の資料をもう一度読み返している。一番年下でこの作業所の職員の下っ端の大沢みずきはある考えが浮かんだ。 「今度、クッキー作りでアイシングクッキーを作りますよね。東雲さんならクッキーにも綺麗な絵が描けると思うんですけど」 そのアイディアをベテラン職員の篠原真弓が、冷たく一刀両断する。 「アイシングクッキーって最後のアイシングの絵柄を描くのが一番楽しいでしょ?東雲さん、生地作りやクッキー焼きはしないでアイシング作業の良いところしかやらないわよ。また、他の利用者からクレームが来るだけよ」 施設長は二人の意見を聞いてから、 「東雲さんには立て看板のチョークアートをお願いしてみましょう。彼女はみんなと一緒に作業するのが苦手だし、でもあの画力は捨てがたい。東雲さんの親御さんはね、彼女の障害をなかなか認めなくて、体裁が繕えるように本人が興味があった絵が学べる美大に押し込んだのよ。まあ、私立の美大音大なんて、昔からお金持ちの子どもの箔付けに使われてたから、親子の利害が一致したと。でも、就活で全敗して彼女は自分の生きづらさに気がついて、自分で自分の障害を認める道を選んだ。なんとか支援してあげたいものだわ」 施設長は彼女が明日の作業所にボランティアに来ていると強がりを言うのも、孤独を紛らわすためなのかもしれないと言っていた。 大沢みずきは、 「それなら、やっぱり苦手でも他の利用者さんと関わる作業をして貰った方が…」 おずおずと言い出すと、篠原真弓がピシャリと冷たく遮る。 「適材適所でいいじゃない。彼女がアイシングの作業に加わったらまた暴言吐くわよ。絵がみんな下手とか、配色センスがないとか。チョークアートを任せて隔離した方がお互いのため」 大沢みずきはベテランの篠原の冷たい考え方が、面倒な仕事を放棄しているように見えた。 「避けてばかりじゃダメだと思います。人とかかわってぶつからないと、謝り方も仲直りの仕方もわからないままじゃないですか?」 篠原はみずきを軽く睨み付けて、 「今まで人とかかわってきても、謝り方も理解出来ない。これは本人の性格のせいじゃない。性格は直せるけど、障害の特性は受容するしかない。そうでしょ?苦手なことを無理にやらせるより、得意なことを伸ばす。彼女はそうやって生きてきたのよ」 大沢は篠原に何も言い返せなかった。 業務日誌をつけて作業所の施錠をして帰ろうとした大沢は、冷たいリアリストの篠原のデスクの上で意外な物を発見した。 『発達障害者ピアサポート』 書類のタイトルを見て、みずきは目を疑った。あの冷たい篠原さんが東雲さんのために資料を集めている?ピアサポートとは当事者や当事者の家族同士が助け合う仕組みのことだ。面倒な仕事を増やしたくないだけかと思っていたけど、篠原さんって意外と熱い人なのかな…。 みずきは施錠の確認をして退勤した。
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