37人が本棚に入れています
本棚に追加
12話(2)
数分後、咲と野次馬が残る廊下に藤山が戻ってきた。相変わらず咲は睨まれている。猜疑心を胸に潜め、咲は心配そうな顔をした。
人事部の扉が開き、課長が顔を出す。なかなか帰ってこない部下二人の様子を見に出たようだが、あまりの人の多さに驚いていた。野次馬をかき分け、前へ出る。
「田崎は?」
「休養室に。疲労が溜まっていたようで。すみません」
「そうか。なら今日は君も一緒に帰るといい……あっ」
人事課長は何か失言をしたようで、両手で口を抑えた。
「いや、ちょうどいいタイミングです」
藤山は人事課長にフッと微笑んだ。人事部だけが知る何かがあるようだ。藤山は後方にいる人にも伝わるように少しだけ声量を上げた。
「実は僕、田崎と付き合っていて。もうすぐ籍を入れるんです」
「……は、はぁぁあぁ!?」
突然の発表に、咲は思わず声に出して叫んだ。大半の人間も驚いていたが、すぐに受け入れたようで盛大に祝福の声を上げた。田崎が以前所属していた広報部の一部はこの時を待ち望んでいたかのように大きく頷いていた。
開いた口が塞がらない咲を再び見た藤山の顔は、冷たくそして嘲笑していた。
──意味分かんないんだけど! そもそも藤山さんって彼女いなかったよね!?
取引先と電話中だった悠馬が一足遅れて咲の横に立つ。事の把握は早い。「おぉ、やっとか」と咲に聞こえる程度の大きさで呟いた。
──悠馬さん、知ってたの!?
勢いよく見上げた先の悠馬に、フッと鼻で笑われた。
藤山は祝福の声に返答をし、続けて田崎について話し出す。ちょうどいいタイミングと言っていたのは、婚約のことではないのだ。
「田崎のことなんですが。実は最近、俺と田崎を引き離そうとひどい仕打ちをしてくる人物がいるんです。そいつは残業も押し付けていて……」
営業部一同、咲の方を見る。田崎に残業をさせている姿は一度しか見ていないはずだが、それ以外に田崎が営業部の残業をしている時はなかった。さらに裏アカウントの相談をしていることが裏目に出てしまい、誰もが咲だと確信した。
背後から浴びる視線が体に刺さり、振り向かずとも凝視されていることが分かった。
──ちょっと、私とは限らないじゃない!
「田崎は疲労とストレスを抱えながら、自分は正社員だからと頑張っていたんですが……さっき眩暈を起こしてしまったみたいで」
正社員だからと言うあたり、対象者は一人に絞られた。八友商事はアルバイトやパートは雇っておらず、正社員と派遣社員一名で構成されていた。これにより、咲の日頃の行動を知らない者も必然的に犯人が分かる。
「やっぱり押し付けてたんだ」「なんで田崎さんがって思ってたんだよ」「最悪だな」「派遣社員が偉そうにしやがって」などと、飛ばされた愚痴は咲の耳を攻撃した。
「ちょっと待って! 私は親の看病のために残業をお願いしていただけであって」
「じゃあ、百歩譲って残業はそういうことにしよう。なら、俺たちに吹き込んだ悪口はなんだ?」
「あれは……藤山さんを助けるためであって!」
タイトスカートのポケットからスマホを取り出し、田崎の裏アカウントを見せつける。
「見たでしょう、これ! 田崎さんったらこんなアカウント持ってる悪女なのよ!」
「それ私も見た」「俺も」と周囲は再びざわついた。残業を押し付けられていた田崎に同情する人も、アカウントの件には疑念を抱き、田崎に対する嫌悪は拭えない。
「信じているとでも? こんなの最初から田崎じゃないと分かっていた」
当初、藤山が見せた引いた顔は、過激な行動を取る咲に対する嫌悪感の現れだった。決して、田崎に向けられたものではない。
「どこにそんな証拠があるんですか? この顔、どう見ても田崎さんですよね!?」
「写真に写っているポーチ、川上さんと同じだろ? 田崎がそう言っていたよ」
藤山は初見でアカウント名を記憶し、帰宅後にIDを検索して田崎に見せていたのだ。パフェ写真を共有していたことから相手は咲だと検討はついたが、第三者に訴える強い効力がない。しかし、コスメを広げた写真の隅に映るポーチに田崎が気付いた。咲は、コスメの写真映えばかりに気を取られ、ポーチに目がいかなかった。
「ポ、ポーチなんて被りますよ!」
「なら化粧品を広げてみろ。さすがに化粧品とポーチ、両方も被らないだろ?」
「……今日はポーチ持ってないわよ!」
憤怒した咲は敬語も失い、本性を現した。
「私、今日川上さんがメイク直ししているの見ました~」と、かつて裏アカウントの件で咲に同情していた営業部の女子が手を挙げる。昼休憩が終わる頃、メイク直しをする女性がパウダールームに集結する。例に漏れず、咲も必ずメイク直しをしている。
──余計なこと言うな!
「ま、結果は分かっているがな。とにかく、顔写真は加工でも何でもできる」
「おいおい、俺の顔もコラージュしてんじゃねぇよ」
悠馬がスマホを覗き込みながら、藤山の会話に自然と流れ込む。
──あんたはそのままよ!
「とにかく、田崎からは事情は聞いている。これ以上彼女に手を出さないでくれ」
藤山は刺すような目で咲を軽蔑した。回避策を考えるが、藤山と田崎が付き合っている以上、咲の言動を覆すことができない。取り返しのつかない現状に、咲は睨み返すことしかできなかった。
「ちょっと失礼」と野次馬をかき分け、人事課長が咲の前に立つ。
「川上さん。ちょうどいいから話すけど、君の更新もうないからね」
「はぁ? なんでよ!?」
派遣社員が正社員にここまでの仕打ちをしたのだ。契約を打ち切られることも当然だろうが、それにしては既に決まっていたかのような口調だ。
「というより明日から来なくていい」
「なんで!? 意味が分からないんですけど! 営業だって貢献したはずよ!」
「あぁ、それなんだが。君が関わった会社のほとんどは継続取引が中止となった」
咲が関与した会社はここ数か月で50社ほど。咲が持つ先見の知識と悠馬の話術で、新規開拓も上々だった。しかしそのうち40社は継続取引がされないという。会社も大損を喰らい、信用もガタ落ちだ。
「君はどうして先方のインサイダー情報をいくつも知っていたんだ。それも一社じゃない」
現時点で内部に留められている、それも上層部のごく一部にしか知らされていない情報を八友商事が握っていることに疑心を抱いたようだ。
「私の交流関係が広いだけよ! 営業なんだから当たり前じゃない!」
「先方は皆、君と話した覚えはないというが?」
「忘れているのよ、酒場で出会ったから! それかバレるのが怖いか。とにかく私は聞いたのよ!!!」
強い口調で投げやりに言葉を返す。組んだ腕には力が入り、右足首を上下させて苛立ちを床に打ち付ける。
「じゃあその者たちを呼べるかね」
──呼べるわけないじゃない!
「…………」
「正直に言いたまえ。何で知っているんだ」
咲は奥歯を強く強く噛みしめた。回避できる妥当な言葉が見つからない。
──もう何言ってもムダなんだわ! なら正直に言ってやるわよ!
「……私が転生しているからよ!! 未来の情報も知ってるんだから!」
エレベーターが動く音、外から聞こえるカラスの鳴き声、自販機がブゥ-ンと動作する機械音が鮮明に聞こえるほどに静まり返った。人事課長も鯉のように口をパクパクさせながら返答に困惑していた。藤山はぐるりと目を回し呆れた表情をし、隣にいた悠馬は「またかよ……」と小さく鼻で笑った。笑いを堪えていた社員が我慢できずに吹き出し、その笑いは伝染していく。
「何よ! 正直に話したわ! 文句ないでしょ!」
転生したなど誰も信じないと咲も分かっているが、これが真実であるしこれ以上の言い訳は見つからない。ここまで笑われても咲の心は折れず、開き直っていた。人事課長は喉を鳴らし、パンと両手を叩いて場を鎮静させた。
「冗談はやめろ。とにかく、君にもう用はない。お疲れさま」
「待って、それなら霧島さんはどうなるのよ!? 私は営業補佐よ! 契約自体は霧島さんじゃない!」
「この件が相次いだのは、君が来てからだ。それに霧島くん単独のものは何も問題はない」
咲の同行や書類作成が不要だった契約もいくつかある。霧島単独で行った取引先からは一言もクレームがない。相変わらずの好成績で、上層部からも一目置かれている。
「き、霧島さんが私を操作してたのよ!」
──悠馬さんにも何か処分がないと気が済まないわよ!
この職場にいられないと悟った咲は、せめてもの鬱憤晴らしに悠馬も一緒に引きずり落そうとした。
「何をいまさら。田崎や藤山にもひどいことをしていたんだ。霧島にもそうなんだろう?」
「…………」
悠馬は俯いてしばらく黙っていた。
「ちょ、ちょっと! 霧島さん、何とか言ってくださいよ!」
「……そうなんですよ~。まぁ助けられた面もありましたが、でもそんなことが裏で起きていただなんて俺知らなかったです」
──おのれ悠馬ぁぁあ!!
少し前に、咲にその疑いがあると耳にはしていたのだが。
悠馬は知らないフリをして被害者面をした。
「川上、そうだったんだな。残念だ……」
悠馬は咲の肩にぽんっと手を乗せ、涙を浮かべた潤んだ瞳をしていた。悠馬が悲しむはずなどない。沈黙の間、悲しい出来事でも思い浮かべて、涙を作っていたのだろう。
「ということだ、今すぐ帰れ。さぁ、皆も戻った、戻ったぁ!」
人事課長が場を締めくくり、野次馬たちは「なんかドラマみたいだったな」「川上さん終わったな」など小言を吐きながら各部署に戻っていく。
「川上さん。契約関連は派遣会社側と全部やっておくから、もう顔出す必要もない。というか出すな!」
藤山はそう告げて人事部の扉を乱暴に閉めた。咲は壁にもたれかかる。全てが台無しになった。またイチからやり直しだ。今の派遣会社にもいられないだろう。
──こうなったら悠馬さんともう一度付き合ってやるわよ! そこからやり直してやる!
藁にも縋る思いで、営業部の扉へ向かう悠馬の腕を勢いよく掴む。廊下には悠馬と咲の二人っきりだ。
「悠馬さん、あなたのものになってもいいかなって最近思ってたんですけど」
咲は目を潤ませ甘い顔をしているつもりだったが、悠馬に映るは、目が血走り、ピエロのように口角を上げて作り笑いをしている道化師そのものだった。心がぐちゃぐちゃにかき乱され、表情もうまく取り繕えない。壊れていく咲を愚弄する悠馬が追撃する。
「キャリアに傷つく女とは付き合いたくない」
そしてあの時と同じ顔と同じセリフで。
「お前いらねぇ、飽きた」
咲を振った。
最初のコメントを投稿しよう!