13話(3)

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13話(3)

 翌朝、誰かの声で目が覚めた。アンモニア臭のようなつんっとした異臭が咲の鼻を攻撃し、一気に眠気が吹っ飛んだ。 「くっさ!」 「お、起きた」  目の前には、ほとんどの歯が抜けて風通しのよさそうな口でにっこりと笑う60歳ほどの男性がいた。髪もボサボサで服も穴が開いている。一見してホームレスだと分かる装いだ。 「おねぇちゃん飲み会の帰りか? こんなところじゃ風邪ひくぞ」  自分のことを心配してくれているのは分かるのだが、咲はその好意を素直に受け取れず引きつった顔をしている。手で鼻を摘み、口呼吸をした。 ──口呼吸も嫌ね、この空気吸いたくないわ 「どうも」  咲は立ち上がるも行く当てもなかった。足は前に進まない。 近くに設置された小屋のような所から、もう一人のホームレスが手を挙げてやってきた。顔は違うが身なりがそっくりだ。激烈な臭いが2倍となって咲を攻撃する。 「おい、なんだこのねーちゃん? おめーの友達か?」 「ほんなふぁけなひでしょ!(そんなわけないでしょ!)」  咲は鼻声で返事をした。ホームレスは「まぁまぁ」と高圧的な咲を落ち着かせた。 「んで、なんでこんなところにいたんだ?」 「い、色々あったのよ!」 「まぁ人生色々あるよな。俺たちもこんな若いときがあった」 ──あんたらと一緒にしないでくれる!? とはいえ家も金も職もない。新米ホームレスと言っても過言ではないだろう。 ──ってか、この人たちってどう生活してるわけ?  暇つぶしに、二人のホームレスに話しかけた。 「ねぇ、あなたたちってどう生活しているわけ? 家とかごはんとか」 「家ならあるさぁ」  先ほど小屋のような所から出てきたホームレスは、その場所を指差した。ビニールシートやトタン、サイズの違う木材、河原の石で作られた家だ。入口らしきところには、暖簾が吊り下げられていた。 ──あれは家と言えるのかしら…… 「せっかくだし案内してやるよ!」 「えっ」  咲の腕はゴツゴツした手に掴まえられた。掌もザラザラとしている。 ──触るなぁぁあ!  案内された家の中は、咲が思っていたよりも快適だった。段ボールや木の板で作られた床の上に、布切れを合わせた絨毯のようなものが敷いてある。自家製の本棚もあり、拾ってきたであろう雑誌や漫画が並んでいた。 「案外、ワンルームみたいな生活してるのね」 相変わらずの臭いだが、咲の鼻は少し慣れてきたようだ。摘まんでいた指を取り、会話を進めた。 「食事は? 炊き出し?」 「そんなのめったにない。ゴミ漁ったり、公園の水飲んだりして過ごしてる」  この家の主がゴソゴソと紙袋を漁り、パイナップルの缶詰を出して、これだと誇らしげに見せる。最近、ゴミの山から見つけた中で一番の勝利品だそうだ。未開封のものだが、賞味期限はとうの昔に切れており、缶の縁は錆びていた。 「あぁ、でもパンとおむすびが買えるときは買ってる」  隣のホームレスがそう告げると、家の主も頷いた。 「は? 買えるの?」  咲は目をキョトンとさせ、ホームレスの足元から顔へと目を運ばせた。どうみても無職で収入もなさそうだが、咲のもやし生活やおつとめ品のカップラーメンより裕福な生活をしているのかもしれない。 「あぁ。アルミ缶回収とか雑誌の販売とかな」 「雑誌? 古本とか?」 「そういうのもあるけど、ホームレス向けの委託販売もある」  ホームレスの自立を支援するための一環で、ホームレスが自ら雑誌を卸し、販売することで売り上げの一部を得ることができる。家の主は売れ残ったバックナンバーを本棚から取り出した。 「あ、これ路上で販売している人見たことあるわ。委託販売システムだったなんて……」 「あぁそうさ」 「意外に仕事ってあるもんね……」  咲は賃貸マンションを内見する時のように、家の中をぐるりと見渡した。ガスや電気は通っていないが、雨風は凌げる。路上で寝るよりよほど安全だ。 「決めた! 明日からこの家借りるわね」 「はぁ? わしはどうすればいいんだ?」 「お隣さんとルームシェアでもすればいいわ」  この家の隣にも小屋のような家がある。最初に咲に声をかけてくれたホームレスの家だ。 「といってもなぁ……」 「……私だって! 帰れる家があるなら帰りたいわよ……」    咲は二人に背を向けてしゃがみ、泣いているフリをした。ポーチに入っていた目薬をさっと取り出し、目元につけてそれっぽく頬へ流す。 「でもでもっ、彼氏に追い出されちゃって。金目のものは全部取られたわ」 「なんだって……」 「お父さんもお母さんももうこの世にいないし……天涯孤独。しかも私借金も抱えてて、今後どう生きていいか……」 「そうだったのか……」  情に厚いのかホームレスの頬には本当の涙が流れた。汚れたジャケットの袖で涙を拭う。 「好きなだけこの家使ってくれ!」 「まぁ泣くな、パンやっからよ」  ホームレスは賞味期限が20日過ぎたあんぱんを咲に差し出した。 ──食えるか!
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