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13話(最終話)
その日から咲はこの河原を拠点とした。会社員が帰宅する夕方に、近くの駅前へ出かけて、お金を持っていそうなイケメン男性を探す。窮地に立たされても、条件は変わらない。むしろ今までよりも希望する年収やスペックは上がっている。
ホームレス初日、2日目、3日目と声を掛けるがなかなか捕まらない。日が経つにつれ、男性から避けられることも多くなった。
──こんな美女が声をかけているのになんでよ!
体も服も洗えず4日が経過、そしてホームレスの家に住んでいるのだ。身なりは汚く、異臭も放っている。しかし彼らの環境に慣れつつあるのか、自分からそれを感じなかったのだ。むしろ周りのホームレスに甘やかされ、優越感に浸っていたぐらいだ。
──あっ、イケメン発見! 身長も高いし、スーツも靴もハイブランドね
男性の背中を追い、横に並んで覗き込むように声をかける。
「あの~っ」
振り向いた男性は、転生後の人生を一番に狂わせ借金を背負わせた人物だった。
「たっ、太郎さん!?」
偶然の出会いに驚くも、腹の底から沸々と怒りが沸き上がる。
──よくも騙したわね……あんたのせいで人生がボロボロよ!!
しかし今の咲には高価な衣食住が必要だ。すうっと一呼吸いれ、今にも溢れだしそうな怒りを飲み込んだ。
「そうですが……誰ですか」
御堂は手で鼻と口をそっと覆い、軽蔑した目で咲を見ている。
「もう咲ですよぉ、お仕事忙しいからって連絡くれないのは寂しいんですけど~っ」
ぷくっと頬を膨らませ、上目遣いで御堂に一歩近づく。御堂は素早く二歩下がった。
「何それ、妄想? 怖いんだけど」
「いやだなぁ、将来も約束したじゃないですか」
レストランで甘く口説かれて。
プライベートビーチに打ち付ける穏やかな波の音も聞こえ。
不労所得で豪邸と豪遊する日々。
そしてイケメンの旦那がいる最高の将来が約束されていた。
──はずだったのに!!
咲は一歩近づき、御堂はさらに三歩下がる。
「は? おまえみたいな臭くてきったねぇブス知らねぇよ!!」
「……臭い? 汚い?」
咲の世界はピシャリと遮音され、目の前に闇が堕ちた。
御堂の言葉がトリガーとなり、咲の脳裏にこれまでの壮絶な人生が詰まった弾丸が撃ち込まれ爆発した。馬鹿にされてきた言葉とそれを発した当人の顔が鮮明に浮かび上がる。
『咲ちゃんと遊びたくなーい。手汚いもん』
──どうして? 私は一緒に遊びたいだけなのに
『川上の家はボロボロ! 明日の雨で吹っ飛ぶんじゃね?』
──なんで人の不幸で笑えるの?
『川上さん、服汚れているわよ?』
──先生までそんなことを言うの?
『なんか臭くない?』
──こっちを見ないで
『汚物が通りまーす! みんな気を付けて~』
──ふざけないでよ
『川上があんたのこと好きだって』『死んでもごめんだわ』
──……許さない
『お前いらねぇ、飽きた』
──許さない
『ふふ、どうぞお幸せに』
──許さない許さない!!
『おまえみたいな臭くてきったねぇブス知らねぇよ』
──死ね
青筋が這う額、血走った目、歪んで笑う口元、憤りから震える体。怒りの頂点を突き抜け、理性を失いった咲は、発狂しながら御堂に襲い掛かり、馬乗りになって胸ぐらをつかんだ。
「あんたねぇ! さんざんその気にさせといて何なのよ!!!」
「触んなよ、きたねぇな!」
「私を汚物扱いすんな!!!」
咲は御堂の首を両手できつく絞めた。もう咲は止められない。自分の過ちを知る時にはきっと御堂はこの世にいないのであろう。
「っ、ぐ、くるじ……」
咲の手を払いのけようと手首をつかむ御堂の左薬指には、少しくすんだ結婚指輪がつけられていた。咲と出会った時はもう結婚していたのだ。
「はぁあぁあ? あんた既婚者だったわけ!?」
「……っ、ぐっ、だ、がら、なん、だっ」
御堂の顔が青ざめていく。
「おい咲ちゃん! 何やってるんだ!」
駅前で雑誌販売をしていたホームレスの二人が咲の存在に気づき、御堂から咲を離した。御堂はぜぇはぁと荒い呼吸を繰り返し、鞄からペットボトルを取り出して水を飲み干した。空になったペットボトルを咲に投げつける。
「てめぇ、警察呼ぶからな! おい、おっさん掴まえてろよ」
──警察なんて掴まるもんですか!!
咲は家を貸してくれた恩人でもあるホームレスの二人を殴り飛ばし、その場を離れた。
──何よ、私が何したっていうのよ!! 騙されたのはこっちなのよ!
通行人にぶつかりながらも、無我夢中で逃げた。咲の異臭が残り香となって道に跡を残し、臭いの元を辿るように人々は咲の行方を目で追う。
「あっ! おばさん危ない!」
「あ゛?」
少年の声に反応した咲がいる場所は、赤信号の横断歩道だった。左からトラックがクラクションを鳴らして向かってきているが、もう手遅れだ。トラックの急ブレーキの音と共に、ドンッと咲を打ち付けた衝撃音が駅前に響く。咲は20メートル先に飛ばされ、地面に打ち付けられた。
──こんな人生許さない……このままで終われるわけ……な……
運転手が青ざめた顔で咲に近づき、交通は止められる。あたりは喧騒に包まれ、少年は泣き喚く。しかし咲にはもう何も聞こえなかった。かつてと同じ死に方をしているのだが、それに気づく前にこの世を去った。
──咲の目が開いた。
ガラス窓から太陽の光が差し込む。視界には黒いスカートとベージュのタイツを履いた自身の太腿があった。どうやら座りながら眠ってしまっていたらしい。
「いった……ん?」
目覚めた場所は、隣町の駅前でもなくホームレスの家でもなかった。スーツ姿の男性が忙しなく目の前を横切り、オフィスカジュアルの服装をした女性は、テイクアウトした珈琲を片手に資料を見ている。飾り気のない無機質な空間に、何十もの足音が響いていた。
ここは、かつて咲が働いていた派遣先会社が入っているビルの総合ロビーだった。
「いやこの光景も夢で見たんだけど……夢の中の夢ってやつ?」
しかし痛みも苦しみも体に痛いほど刻まれている。最後に触れた御堂の首筋でさえ、未だ温もりを感じるほどに覚えているのだ。咲はロビーにある巨大スクリーンに目を移した。
「2019年4月1 日……やっぱりまた転生してる!?」
ロビーの雰囲気もここで目が覚めた瞬間も何もかもがあの時と一緒だった。再び転生した理由は分からないが、この状況を受け入れることに時間はかからなかった。むしろ、これまでの失態や借金が帳消しになって好都合だ。唯一消えることのない憎しみを抱きながら鼻で笑った。
「ちょうどいいわ……仕返ししないと気が済まないところだったし」
御堂、田崎、藤山、そして悠馬も今度は避けるのではなく、追い込んで、苦しめて、屈辱を味合わせながら這い上がれないほど海の底に沈めていく。
「今度こそ最高の人生を手に入れてやるんだから」
復讐心が渦巻く中、咲の新たな人生がスタートした。
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