恋のしっぽ(あの恋に会いたい)

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2-2  太陽は何にも遮られずにまっすぐ降り注ぎ、足元には空が流れている。  遠くに見えるマンションの部屋の洗濯物が風に翻っている。  渚は、眼球が光に慣れるまで瞼を閉じた。 「渚はどっちがタイプ?」  昼休みの屋上で那奈が突然言い出した。 「えっ、何?」 「『おみなえし』の二人のことよ」  那奈はいつもこうしてするりと人の心の中に入ってくる。 「ああ、私は森山さんかなあ」 「そうなんだ。私と同じじゃない」 「ええー、彼氏と全然違うタイプじゃない」  今那奈が職場恋愛している相手はがっしりとした体格の男らしいタイプだ。一方の森山和也は、華奢で繊細な感じの優男だ。 「焼肉ばかり食べてると、たまにはお刺身を食べたくなるじゃない」 「何それ。男の人の台詞だよね」 「女だって同じだよ。口に出さないだけで」 「そうかなあ」  事実那奈は恋多き女で、これまでにもその恋愛の数々を聞かされている。なので、今の彼との恋愛もどんな決着になるかは、本人ですらわからないのであろう。 「それで、渚はどうするつもり?」 「どうするって、別に何も考えてないよ。だいいち、付き合っている彼女がいるかもしれないじゃない」 「そんなの関係ないよ。大事なのは渚が好きかどうかだけだよ。渚はそんなだから、彼氏を奪われちゃうんだよ」  高校時代、当時付き合っていた彼氏を友達に奪われた過去がある。那奈と飲んでいた時、つい話してしまったのを覚えていた。 「わかっているけどさあ」 「でもって、どうする?。渚が森山ちゃんに真剣にアタックするんなら、私は降りるし、渚のサポートに回るけど、そうじゃないのなら、私がいくよ」  那奈なら彼氏がいようと本気でアプローチするだろう。それは嫌だった。 「わかった。私、森山さんにアプローチしてみる」 「よ~し。頑張れよ、松宮渚」  なんかおかしなことになってきた。ちょっと嬉しいけど…。 「ありがとう」  話の流れでそう言ってしまったけど、渚の中ではまだ戸惑いもあった。あの二人で言えば森山が好みだったことは間違いないけど、積極的にアプローチしようとまでは考えていなかったからだ。こうした自分の消極的なところが、恋愛から遠ざけてしまうこになるとわかっていた。今回自分がその気になった一番の理由は、自分がアプローチしないのなら那奈がアタックすると言われたことだ。那奈と森山が関係を持つのを傍で見せつけられるのだけは嫌だった。なんか成り行きでこうなったのには抵抗があるけれど、自分みたいなタイプは、こんなことでもないとなかなか動けないタイプなので、結果的には良かったと思う。  翌週の金曜日、那奈と一緒に『おもなえし』に行くと、すでに森山と大橋は来ていた。 「渚、ここここ」  那奈が渚を森山の隣に座らせようとした。 「あっ、どうぞどうぞ。そろそろお見えになる頃だと思って席を押さえておきました」  見ると、森山の私物と思われるものが席に置いてあった。その荷物を、自分のカウンター下に移しながら言う。 「ありがとうございます」  渚が森山の隣に座ったのを確認して那奈が健太郎に注文する。 「健ちゃん、生2つ」 「あいよ」  ビールが来たところで4人で乾杯する。  「森山ちゃん。明日渚の誕生日なんだ。だから、前祝してあげて」  森山に限らず那奈はちょっと親しくなると、相手をちゃんづけで呼ぶ。そんな距離感が那奈が人気ある理由の一つになっていると思うけど、渚には真似できない。 「えっ、そうなんですか。それはおめでとうございます。1日早いけど」 「ありがとうございます」 「大橋、松宮さん、明日誕生日なんだって」 「聞こえてたよ。おめでとうございます。で、おめでとうついでに言っちゃいますけど、、明後日は森山の誕生日ですから」  誕生日が1日違いだったなんて驚きだ。 「ええー、そうなんですか。おめでとうございます。2日早いけど」  自分にしてはうまい返しができた。 「何その会話」  那奈がおかしそうに言う。 「いやいや嬉しいです。2日前でも」 「あのお、もう一つお報せがあるんですけど、森山は松宮さんの大ファンだと言っています」  大橋が世紀の発表をするかのように大げさに言った。 「おい、やめろよ」  照れているのか、困っているのか、森山が大橋を突っつく。 「でも事実だろう」 「そうだけど…」  気づかないふりをしたけれど、森山の、はにかんだような笑顔を見て、渚の胸の奥が鈍くうずいた。 「ちなみに、僕は仙道さんのファンですけどね」  大橋の軽い言葉に那奈の怒りがさく裂する。 「つけたしみたいに言うのやめてくれる」 「つけたしじゃないですよ」  口を尖らせていう大橋に、今度は貴明が挑戦状を突きつけた。 「俺も仙道さんの大ファンです」  『大』をつけたところに、貴明の思いの強さがわかる。 「はいはいはい。お二人ともありがとね」  日頃から言われ慣れている那奈が超然と言い放つ。 「でもさあ、森山さんは渚のファンだって、良かったじゃない」  那奈が渚の肩を軽く叩いて言った。大橋から間接的に聞かされた話に今一つ喜べないでいたが、那奈の言葉には頷く。 「うん」  すると、今度は那奈が森山に言った。 「森山ちゃん、渚も森山ちゃんのことが好きみたいよ」  あちらはファンとやや間接的な表現を使っていたのに、那奈は『好き』という言葉を使った。そのことが妙に恥ずかしかった。 「那奈…」 「何よ、ほんとでしょう」 「そうだけど…」  今日自分のほうからアプローチするつもりだったのに、那奈と大橋がそれぞれに代わり告白してくれた形になって、渚としてはちょっと悲しかった。 「ええー、両想い? この際付き合っちゃえば、森山」  今度は大橋がさらに先に進めようとする。まるで、那奈と大橋が事前に打ち合わせしていたかのようだ。後で那奈に訊いたら「それはない」と言ってたけれど、本当のところはわからない。 「もちろん、僕は松宮さんさえOKだったらぜひお付き合いしたいです」  誠実そうな茶色い瞳で見つめられ、渚は吸い込まれそうになる。 「そんなのOKに決まってるじゃん。ねえ、渚」  またしても渚が答える前に那奈が答えてしまった。 「ちょうとおー」  自分の気持ちが踏みにじられたような気がして、さすがの渚もツッコんだ。サポートも度が過ぎる。 「あっ、ごめん」  ここで那奈も気づいたようだ。 「あのお、本人の口から話させます」  改めてそう言われると身体の芯が熱くなり、どうしていいかわからなくなる。すかさず、那奈が追い討ちをかける。 「何、モゴモゴしてんのよ」 「うん。わかってるよ。私のほうこそお願いします」  森山のほうをちゃんと見て応えた。  すると、那奈は突然後ろを振り向き、その日お店に来ていた全員に向かって言った。 「は~い、皆さん。今日からこの二人は付き合うことになりました。よろしくお願いしま~す」  期せずして拍手が起こった。那奈の行動に渚の顔は恥ずかしさで真っ赤になってしまったが、拍手に応えないわけにもいかず、頭を下げながら「ありがとうございます」と小声で言った。隣の森山を見ると、同じく顔を赤くしながら頭を下げていた。  拍手がやんだところで店の調理場のほうに向き直ると、作業をしながら笑いをこらえている健太郎の姿が目に入った。  この突然の一連の行動は、那奈らしいと言えばそうだけど、渚が極度の恥ずかしがりやだと知っていてわざとやったような気もする。那奈のそういうところに渚はいつも戸惑うのだけど、今回の件は怒りさえ覚える。かといって、悪気があったわけでもないので、責めることはできない。でも、一言言い返してやりたかった。 「那奈んときも同じことするからね」 「いいよ。ていうか、やって、やって」  完敗だ。渚の思いなど何も感じてない那奈は涼しい顔だ。 「あのお」  すでに出来上がっている大橋のにやけた顔が渚と那奈に向けられる。 「何?」  那奈が冷たい言葉で返す。 「ということで」 「何よ、ということでって?」 「だから、二人のお付き合いを祝福して改めて乾杯しませんか?」 「そういうこと。いいね」 「ですよね。じゃあ、店長、生4つ」 「よっしゃー、ここは店からのお祝いということにするから」  さっき背中で笑っていた健太郎が満面の笑顔で言った。  どうやら健太郎も二人の事を祝福してきれているらしい。 「さすが健ちゃん、気が利くね」  那奈が健太郎を持ち上げる。 「あたぼうよー」  ビールが届いたところで大橋が音頭をとる。 「では、森山和也と松宮渚さんのお付き合いが末永く続き、二人が幸せになれることを願って乾杯にしたいと思います」 「結婚式か」  すかさず那奈がツッコミを入れる。あちこちで笑いが起きている。 「もう、仙道さん、茶々入れないでくださいよ。じゃあいいですか。かんぱ~い」  那奈と森山にとっては、まるで辱めの刑みたいなミニイベントがやっと思わって、ようやくいつものお店の状態に戻る。 「なんか、ひどく大騒ぎになっちゃいましたね」  森山が渚にだけ聞こえるような小声で話しかけてきた。 「ほんとです。もうこれ以上は耐えられません」 「ふふふ。僕もそうです」  そう言って森山は、ひどく人懐っこい笑顔を見せた。まるで二人だけの秘め事のような森山の行為に渚の心が開いていく。そうして、二人は距離を縮めつつあったが、みんなの関心はすでに今朝発表があった有名女優の山形真理の結婚の話題に移っていて、那奈を中心に盛り上がっていた。 「そういえば仙道さんって、山形真理にちょっと似てないですか?」  大橋が大発見でもしたかのような大声で言う。 「そう言えば似てるかも」  貴明が同調する。 「似てる似てる」  日頃は客の会話にほとんど口を挟まない英彦まで言っている。そんな風にして、渚と森山をそっとしてくれているのがわかり、みんなに感謝だ。 「すみません。僕ちょっとトイレに行ってきます」  そう言って森山が席を外した。すると、那奈が大橋に小声で言った。 「念のため確認しておくけど、森山ちゃん、今付き合っている人いないんでしょうね」 「ああ、それは大丈夫。半年以上前に別れているから」 「そうなんだ…」  自然に声が出たのは渚だった。その彼女はどんな人だったのだろう。まだちゃんと付き合ってもいないのに気になった。 「あれ、森山ちゃん、どこ行ったんだっけ?」 「トイレ」  那奈に訊かれたので答えたが、なかなか戻らないので渚も気になっていたろころだった。 「トイレって、どこのトイレに行ったのよ。まさかアメリカのトイレにでも行ったってわけ?」 「そんなの、私、知らないよ」 「わかった。俺がちょっと見てきます」  そう言って大橋があちこち探し始めたが見つからなかったようだった。 「どうしちゃったんですかね」 「ちょっとお、大丈夫、あの人」  那奈がそう言ったところに森山が戻って来た。その手には花束と小箱があった。 「すみません。ちょっと遠いトイレに行ってたもので」 「やるね、森山ちゃん」 「これ、松宮さんのお誕生日のお祝いです」  小箱の中にはデレゼンの誕生石ストーンネックレスが入っていた。 「素敵です」 「つけてもらいなさいよ」  すかさず那奈が言う。 「でも…」 「森山ちゃん、やってあげて」 「じゃあ」  森山が箱からネックレスを取り出した。渚は恥ずかしかったが、ネックレスをかけやすいよう首筋を森山に向けた。森山の手が一瞬渚の髪に触れ、ぞわっとした感触が走った。  サプライズ的なことは苦手な渚だったが、この時は心から嬉しかった。
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