恋のしっぽ(あの恋に会いたい)

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2-3  渚と森山との付き合いは、こうしてみんなに後押しされる形で始まった。  初めてのデートはお店で付き合う宣言をした、いや、させられた翌週の土曜日の午後だった。待ち合わせの表参道の喫茶店に入ると、すでに森山は来ていた。初めて見る森山の私服姿は、意外にもかなりおしゃれだった。今日はボーダーのシャツの上に解禁シャツ。下はグレーのワイドパンツだった。 「お待たせしました」  森山は渚が入ってきたのに気づかなかったようで、一瞬驚いたように渚を見上げた。慌てて立とうとするので、それを制する。 「ごめんなさい。気づかなかったもので」 「何か考え事をされていたみたいですものね」 「いや、ただぼおっとしていただけです。でも、ぴったりですね」  腕時計を見ながら笑顔で言ったが、その時計は高級時計で知られる有名ブランドのものだった。ひょっとして、この人はお金持ちの息子さん? 「私、案外時間は正確なんです」  森山の正面に座る。それまで夜の酒席でしか会ったことがなかったので、午後2時という明るい静かな光の中で面と向かうと、どこを見ていいかわからない。 「なんか照れくさいですよね」  森山も同じ思いだったと知る。 「そうですね。でも、森山さんっておしゃれなんですね」 「あっ、これですか」  自分の着ている服を指す。 「そう」 「嬉しいですけど。実はこれ妹のコーディネートなんです」 「正直な方ですね。でも、すごく似合っていますよ」 「あがとうございます。妹に感謝ですね。でも、松宮さんも素敵です」 「着ているものが?」  わざとそう言ってみた。 「いやいやいや、すべてがですよ」 「ふふふ。そんなに慌てなくても…」 「すみません」  そこへ店員がやってきて会話が中断する。渚はコーヒーを注文した。  なぜだろう、ついさきほどまであまり意識せずに会話できたのに、急にへんな緊張感が出てしまった。 「ところで、あれから考えたんですけど」  森山が少し硬い口調で話し出した。 「えっ、何をですか?」 「松宮さん、僕のこと、ほとんど何も知らないですよね」 「大手メーカーの研究所の研究員をしていて、年齢はこの間の誕生日で29歳になった、イケメンの独身男性ということは知っていますけどね」 「まあ、そのくらいですよね」 「イケメンは否定しないんだ」 「いやいや、そうですよね、恥ずかしい。すみません。イケメンじゃありませんから…」 「もう遅い」 「すみません。もう勘弁してください」  真っ赤になって言うので許すことにする。 「ふふ。それで?」 「とにかく、その程度ですよね。それで、僕は松宮さんとちゃんとお付き合いしたいので、今日は僕の履歴書を書いて持ってきました。それがこれです」  押し付けるように渡されたA4の1枚の紙。真面目に付き合いたいという思いは伝わってきたけど、ちょっと面倒くさい人なのかなという印象だった。 「今日はデートですよね」 「あっ、気分害しちゃいましたか」 「というか…」 「そうですよね。とりあえず僕のことを包み隠さず知ってもらいたいと思ったら、そんな形になってしまいました。ごめんなさい。それ返してくれますか」  言われるがまま森山に返すと、森山はその『履歴書』を渚の目の前で破ろうとした。 「あっ、待って」 「えっ?」 「せっかく書いてきたんだから見ますよ」 「見てくれるんですか?」 「見ます。デートって感じじゃなくなりましてけどね」 「すみません」  そう言いながら森山は『履歴書』を再び渚に渡した。  京都の高校を卒業して東京の有名私立大学の理工学部に入っている。その後、大学を卒業して現在の大手メーカーの研究所に就職して、今は主任となっている。家族は両親と4歳下の妹がいるようだ。森山より4歳年下ということは、渚より1つ下ということになる。父親は渚でもその名を知っている有名飲食チェーン店を経営する会社の社長をしていた。さきほどしているのが見えた森山の腕時計が高級時計だった理由もここにあるのだろう。 「妹さんも東京にいらっしゃるんですか」 「そうです。妹はフリーランスのデザイナーとして仕事をしています」 「ああ。それで。今日の森山さんがおしゃれなわけだ」 「そういうことです。妹は僕と違って芸術的才能があるみたいです」 「羨ましいです」 「でも、その分、ちょっと変わってるんです」  そう言いつつも妹に対する愛情が感じられた。  後で気づいたことだけど、それも、生臭い空気間を漂わせて… 「そうですか…」  『履歴書』をさらに見ていくと、森山の意外な趣味が書いてあった。 「ボルダリングとカーレースが趣味なんですか?」 「そうなんです」  これまで接してきた森山は、いかにも研究所の研究員という『静』の印象しかなかったので違う顔を見たようで少し驚いた。 「へえー、意外ですね」 「意外ですか?」 「ええ」 「こう見えて、アウトドア派なんですよ。仕事が室内オンリーなので、その反動かもしれません」 「そうなんですね。実は私、カーレースを見るのは好きです。もちろん、テレビとかでですけどね」 「それは嬉しいですね」 「私、実際のレース場って行ったことないので見たいです」 「わかりました。ぜひ一度見に来てください」 「お願いします」  さらに『履歴書』を見ていくと、最寄り駅から森山の住む自宅マンションまでの地図が手書きで書かれていた。 「これって?」 「ああ、それですか。いつか松宮さんが遊びに来てくれる時に使ってほしいと思って」  渚が自分の家に来ることを予想しているようにも思えて一瞬引いたが、森山の天真爛漫な表情に逆に心を許した。 「森山さんって、おもしろい」 「そうですか」  そう言って、流れるような優美な動作でコーヒーカップに口をつけながら渚を見つめる森山。  この人には相手の心を飴のように溶かす力がある。 「でも、この『履歴書』方式、案外いいかも」  渚は森山の視線を切って、現実的な対応をした。 「そうでしょう。次のデートの時は松宮さんのをお願いします」 「嫌です」  森山の思いを断ち切るように、はっきりと言うと、森山は明らかに困惑していた。  渚は自分にこんなSっ気があるとは思わなかったが、なぜか森山が相手だと自然にそうなった。 「何でですか。僕に知られたくないことでもあるんですか」 「もちろん、いっぱいあります」  途方に暮れたとでも言うように、森山は両手を挙げた。 「ええー」 「冗談ですよ。でも、あんまり書きたくないわ」 「書きたくないことは書かなくていいです。というか、自分が書いてもいいと思うことだけを書いてくれればいいです」  履歴書方式がいいと言ってしまったのだからしょうがない。 「わかりました。書いてお持ちします」 「楽しみです」
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