恋のしっぽ(あの恋に会いたい)

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1-3  中学1年生の小日向葵は目を惹く美しさと可愛さで、地元では知らないものがいないほどの注目度だった。当然、クラスの男の子たちにはダントツの人気だった。性格も明るく、誰にでも優しかったので女子にも好かれていた。もちろん、一部の女の子たちには嫉妬による反感もあったようだけど、当の本人は一切気にしていないようだった。  というのは、葵には東京でアイドルになるという夢があったからだ。しかも、その夢が現実に近づいていたのだ。たまたま母親と東京に出かけ、原宿を歩いていた時に複数の芸能プロダクションから声をかけられたという。 もともとアイドルになりたいという願望のあった葵はその気になったらしいが、父親は大反対だったようだ。しかし、本人の強い意思と母親の繰り返しの説得に根負けした形で父親も認めた。父親の中では、本人が行きたいと言った事務所が誰でもが名を知っている大手事務所であったことが大きかったようだ。  地元から東京に通うという道もあったようだが、それはあまりにもきついということで、半年後に東京の芸能部がある学校に転校することが決まっていた。  そんな葵と竜也は、小学校の時に同じクラスになったこともあり、お互いに知ってたいたけれど、それ以上でもそれ以下でもない関係だった。だけど、中学校になって再び同じクラスになった時、竜也は葵のことが好きになっていた。もちろん、目立つ子だったので、ずっと意識はしていたけれど、どうせ自分には無理だという気持ちがあって、心のどこかで好きにならないようセーブしていたように思う。そのタガが外れたのは何がきっかけだったのだろう。今では思い出せない。  人のことを好きになる瞬間というのがあるとしたら、自分はどの場面のどのタイミングで葵を好きになったのだろう。そんな一番大切な瞬間を思い出せないのが切ないし、もどかしい。 ということで、好きになったけれど、もちろん片思いで終わるはずだった。何しろ、彼女は野球部の4番バッターでイケメンの田村という男と付き合っているという噂があったからだ。残念ながら二人はお似合いだったし、田村と比べたら自分に勝ち目はないと諦めていた。 「松本君、一緒に帰ろう」  学校の校門を出たところでいきなり後ろから葵に声をかけられた。嬉しかったというより、戸惑いの方が強かった。 「いいけど、小日向んち、俺の家と反対方向じゃないか」 「だから、途中まで」 「あっ、そう」  必要以上にそっけなく言ってしまうのは意識の裏返し。 「いいでしょ?」 「だから、いいって言ってるじゃん」  嬉しい反面、そばには来ないでほしいという矛盾した気持ちに襲われる。 「何で、そんなに偉そうに言われなくちゃならないの」 「ごめん」  すでに横に並んで歩き始めた葵。  アスファルトに落ちる二人の影が前後左右に動くのを見ながら、竜也は自分の感覚が葵に吸いあげられているように感じていた。  葵側の半身の全神経が緊張して強張っていて、歩くのがぎこちなくなっている。 「松本君って、好きな子いるの?」  葵がちらっと竜也の顔を覗き込むようにして言った。  何の前触れもなくいきなりストレートに言われ、一瞬パニックになる。 「いるよ」  そう答えていた。もちろん、葵のことだったけど、どうにでもとれるように言った。 「そうなんだ…」 「小日向だっているんだろう?」  答えは聞きたいようで、聞きたくなかった。 「いるよ」  この時竜也は、あの噂はやっぱり本当だったのだとひどく落胆した。 「良かったじゃないか」  なんか上からの物言いになっていると自分で気づく。 「まあね」  葵が使ったこの『まあね』の言葉に込めたニュアンスは、まだ子供だった竜也には理解できなかった。お互い微妙な部分に触れてしまった感があって、しばし無言になる。 「松本君って、普段どんなデートしてるの?」  葵が急に明るい声で訊いてきた。本当のところ、竜也はそれまでデートと呼べるものをしたことがなかったけれど、先ほど好きな子がいると答えてしまった。 「う~ん。ごく普通だよ。映画観に行くとか、ファミレスに行くとか…」 「ふ~ん」 「小日向のは?」 「私もあまり変わらないけど。でも、まだできてない理想のデートがあるんだ」 「へえー、どんなの?」  竜也が葵の答えを聞きたくて、それまでずっと目の前の道しか見ていなかった視線を葵に向けた時、後ろから声が聞こえた。 「竜也、抜け駆けはダメだぞ」  振り向くとクラスメイトの竹田と倉橋が立っていた。 「何よ?」  すぐに反応したのは葵のほうだった。葵の見幕にたじろいだ竹田がしどろもどろに答える。 「いや、そのお、何で竜也が葵ちゃんと一緒にいるのかと思って…」 「葵ちゃんなんて気安く言わないで」 「ごめん」 「あのねえ、私と松本君は付き合ってるの」 「ええー」  竹田と倉橋が飛び上がらんばかりに驚いている。 「何? 文句あるわけ?」 「だって、小日向には野球部の彼が…」 「ああ。誰が流したか知らないけど、あんなの単なる噂だから」  噂? 一番驚いていたのは竜也だった。 「ウソー。みんなそう思ってると思うけど…」  今度も竹田と倉橋が声を合わせたように言う。 「勝手に思ってればいいじゃない。でも、それは事実じゃないから。私が好きなのは松本君、ただ一人」  これは夢か幻か? 呆然とする竹田と倉橋と、そして竜也。しかし、あっけにとられて立ち尽くす竹田と倉橋をしり目に、葵は竜也の腕に自分の手を絡めて歩き出しながら言った。 「ということで、私たちはこれからデートなの。だから、邪魔をしないでね。バイバイ」  竜也はあまりに急なこの展開劇にまだ頭も、身体もついていってない。言葉もでない。 でも、これは竹田と倉橋を追い払うために葵がついた嘘ということもあり得た。 「びっくりさせちゃった?」 「びっくりなんてものじゃないよ」 「そうだよね。でも、今あの二人に言ったのはすべてほんとのことだから」  竜也の身体中の細胞が狂暴に弾け、痛いくらいに目がくらんだ。  小さな町にあふれるすべての音がまるで幻のように遠くで聞こえる夕方だった。 「信じていいの?」 「信じて」  葵は意思の強さと繊細さを感じさせる目で答えた。  美しい人の目は球形をしている。  竜也は自分の心が風のように透き通るのを感じた。 「嬉しい」 「でも、さあ、松本君がどう思っているかは、私聞いてないんだよね」 「そんなの、好きに決まってるじゃん。というか、大、大好きだよ。小日向の僕に対する思いより、僕の小日向に対する思いのほうが十倍は強いと思うよ」 「そんなの測ったわけじゃないからわからないじゃん」 「わかるよ。間違いない」 「でもさあ、ということはさっき好きな人がいるって言ったのはお互いのことだったんだね」 「そういうことになるね」 「私、最初松本君からあの言葉聞いた時、誰だかわからない人に嫉妬しちゃった」 「同じく、です」 「何だか、おもしろいね。でも、ついでだから言うけどさあ、お互い名字じゃなくて名前で呼び合わない?」 「いいけどって言うか、いいの?」 「むしろお願い」 「わかった。しかし、参ったなあ。僕、こんなに幸せでいいのかなあ。夢じゃないよね、葵」 「きゃあ、嬉しい。竜也、私の頬つねってみる?」 「何で葵の頬をつねるの?」 「私も夢見てるみたいだから」  バカバカしくも思える会話の一言一句まで覚えていた。  今考えると、人生で一番純粋に幸せな瞬間だったと思える。  それから、葵が東京に出発するまでの半年間は、まさに夢のような時間だった。できるだけ二人の時間を作り、デートをした。とはいっても、中学生のデートには限りがあったけれど、それでも楽しかった。楽しんだ。  放課後に制服で、ネットで調べたかわいいカフェや雑貨屋に行ったり、ショッピングモールに行ったり、少し広めの公園で隣り合わせでブランコに乗ったり、滑り台に乗ったり、鬼ごっこをしたり…。  場所はどこでも良かった。とにかく、二人でいるだけで楽しかった。また、休みの日には私服で、映画を観に行ったり、水族館に出かけたりした。  一度だけピクニックに行った。  見渡す限り続く広い木陰の道が縦に走っている中  自然に溶け込むように、その日二人は初めてキスをした。
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