恋のしっぽ(あの恋に会いたい)

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1-5  季節は巡り、日々はカーテンの開け閉めのようにあっけなく過ぎていく。いつの間にか時は進み、別れの時が近づいていた。 「いよいよ明日だね」  隣を歩く葵に言う。 「うん」  商店街を抜け、二人でよく通った公園へと向かっている。  喧騒がゆっくりと遠ざかっていく。  やがて見えて来た木々や家々の輪郭が傾いた陽を浴びて金色に輝いている。  二人が公園に入った時、空気はすでに秋の気配を見せていた。  ベンチに並んで座ったけど、なかなか言葉が出て来ない。  二人から見える広場で高校生くらいの男の子がキャッチボールをしているのを見ながら竜也が、敢えて他人事のように言った。 「約束通り、僕は見送りに行かないから」  その場に居合わせるとお互い辛くなるから見送りには行かないと決めたのだ。 「うん」  葵の返事が少し湿り気を帯びていたことに、竜也は動揺してしまい、次の言葉が浮かばない。二人とも言いたいことは山ほどあるはずなのだけど、ただ言葉の破片を見つめるだけ。お互い、言葉にしたら涙が溢れてしまうとわかっているから。  どれほど時間が経っただろうか。 「身体だけは大事にね」  たまりかねて竜也が言ったのはありきたりのこと。 「うん」  公園のシンボルともいえるインドゴムの木の根の辺りには、いつものようにハトやスズメが集まっている。葵はさっきから『うん』としか言ってない。竜也がそのことを指摘しようとした。 「あのさあ」  その時葵が唐突に言った。 「私、竜也のこと一生忘れないから」   薄い唇を震わせながら葵が口にしたのは別れを意味する言葉だった。胸の内にひたひたと静かに悲しみが溢れてくる。  葵は東京へ行きアイドルを目指し、竜也は最終的にアメリカでの起業を目指す。二人の夢はまったく異なり交わうことはない。 「ありがとう。僕も忘れない。というか、忘れられない」 「嬉しいわ」  ひとり言のように細い声だったが、口元には笑みを湛えていた。 「僕、今日葵に渡したいものを持ってきたんだ」  ずっと言おうと思ってタイミングを計っていた。 「そう。何?」 「これなんだ」  竜也が鞄から出したのは、きんちゃく袋だった。 「かわいい」 「亡くなったうちのおばあちゃんかもらった僕の宝物なんだ」 「そんな大事なもの…」 「そうだけど、ほら、二つあるんだ」 「色違いなんだね」 「そう。こっちは僕のもの。そして、それが葵のもの。中には僕が神社に行ってもらってきたお守りが入ってる。芸能の神様って言ってた」 「わざわざ行ってくれたんだ。ありがとう」  近くの小学校から午後5時を告げる夕焼け小焼けが聞こえてきた。 「葵、好きだよ。愛してるよ」  やっぱり最後に言うべき言葉はこれしかなかった。 「私も…」  そう言って、葵は竜也の肩に自分の頭を乗せた。  自転車に乗ったおばちゃんが自分たちの前を通り過ぎる際、あからさまな好奇の目を向けたが一切気にならなかった。  翌日の朝早く竜也は目覚めた。というか、一晩中うとうとしていただけで、頭は起きていたように思う。  葵の旅立ちの日は雲一つない快晴の土曜日だった。葵の未来が約束されているようで嬉しかった。葵は午後1時15分発の列車に乗ると聞いていた。それまでの間、自分はどう過ごせばいいのだろう。すでにそわそわしている。見送りは、葵と仲の良かった3人の女子生徒が行くことになっている。 「松本君、今日葵の見送りに行かないんだって?」  午前10時。見送りに行くことになっている女子生徒の一人の蓮沼百合が電話をかけてきた。 「うん。昨日会ったから」 「それでいいの。昨日は昨日じゃない」 「でも、約束したんだ。見送りに行かないって」 「約束も時には破ってもいいんだよ」  百合の言葉に竜也は動揺した。もちろん、会いたい。会って抱きしめたい。でも、そんなことをしたら、自分も一緒に東京に出て行ってしまいそうだから。 「そんな…」 「どういう意味の約束だか知らないけど、葵はきっと待っていると思う」 「そうだろうか…」 「そうに決まってるじゃない」 「……」 「松本君、聞いてるの?」 「うん」 「葵はね、どんな形でもいいから見送りに来てほしいのよ。わかってあげて」 「どんな形でも?」  百合からもらったヒントだった。 「そうよ。意味わかるでしょう」 「うん。わかった。考えてみる。でもさあ、なんで蓮沼はそこまで考えてくれるの」 「もちろん、葵のことが好きだから。でもそれと同じくらい松本君のことが好きだから」  百合の突然の告白は竜也を動揺させた。  だが、竜也が何か言おうと思った時には電話は切られていた。  呆然と携帯を見つめる。  よりによってこんな時に…。  それから数時間後、竜也は葵とよく歩いた線路沿いの土手の上に立っていた。学校の帰り道、ここに二人並んで座っておしゃべりをしていた。どうっていうことのない場所だけど、二人にとっては思い出の地の一つだった。だから、列車がここを通る際、葵がこちらを見てくれるのではないか。そのことに賭けたのだ。さっきから何度も何度も腕時計を確認する。1時15分に列車が駅を出たとすると、間もなくここを通る。  遠くからレールの上を走る列車の音が少しづつ近づいてくるのがわかった。葵は自分のことに気づいてくれるだろうか。やがて車体が顔を見せた。竜也が立っている場所はカーブを描いているために列車もいくらかスピードを緩める。1両目が竜也の目の前を通る。目を凝らして見つめるが葵の姿は発見できなかった。残すはあと1両。 ーお願いだ葵、こっちを見てくれ-  2両目の2番目のドアの窓に女性の姿が見えた。まさしく葵だった。  竜也は葵に向かって大きく手を振りながら、『葵』と叫んだ。その時、葵が竜也に気づいた。 「あおい~」  竜也は葵に顔を向けながら走り、叫び続けた。葵も手を振ってくれた。その顔は竜也には泣いているように見えた。でも、ほんの一瞬だった。あっという間に列車は遠のき、葵の姿は視界から消えた。  それでも、竜也にとって一生忘れられない光景になった。
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