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1-7
地球温暖化が進んだせいか、田舎の夏もそれなりに熱い。昨夜も熱帯夜のような暑さに何度も起きてしまった。新幹線の窓側に座る百合越しの車窓から見える街の輪郭も陽射しの中でぐったりと溶けているように見える。
「百合は再婚する気ないの?」
東京へと向かう列車の中で、ずっと気になっていたことを訊いてみた。
「したい気持ちはなくはないんだけど、一度失敗してるからね。その分新しい恋愛自体に臆病になっているかな」
「そうか…」
彼女が離婚に至るまでにどんなことがあったのかはわからないけど、きっと深く傷ついたのだろう。
「そういう竜也は?」
「俺もいずれは再婚したいと思いつつも、一人暮らしの気楽さに慣れちゃったからなあ。でも、今回久しぶりに帰省して両親の顔をみたら、そろそろ真剣に考える時かなと思ったよ」
「そうなんだ。ちなみに今付き合っている人はいないの?」
さりげなく探りを入れて来た。
「いないよ。それで、百合のほうは?」
「ついでにみたいに訊くのやめてよ」
「ついでじゃないよ」
「いないわよ。いないからこうして東京に出て来られるんじゃない」
「そういうことね」
お互い付き合っている人がいないことがわかると、へんに意識してしまったのか、急にお互い無言になる。新幹線は静岡あたりを通過しているところだった。
「葵に会えるといいね」
窓側に座る百合がこちらを向かず、窓外の景色を見ながら言った。
「そうだね」
「会えたら何て言うつもり?」
そのあまりに真剣な言い方は、自分の心の中を覗かれているみたいだった。でも、こちらを振り向いた百合の顔を美しいと思った。
「それは考えてない」
「そう…」
再び沈黙が流れた。今になって考えれば、当時、百合はいつも自分の近くにいたような気がする。
百合は窓外の景色に目を遣り、自分はドア上に流れる電光のニュースを追っていた。
いつしか二人とも眠りに入っていた。
東京駅に着き、神田のビジネスホテルに泊まるという百合とは別れ、竜也は自宅に戻った。明日からはまた仕事が待っている。葵探しは百合からの連絡を待って動くことになっていた。早く消息がわかってほしいとは思っていたが、きっと難しいだろうとも思っていた。しかし、思いのほか早く百合から連絡が入った。東京に戻ってからわずか4日後だった。
「竜也、土曜日時間とれる?」
「大丈夫だけど」
「有力な情報をゲットしたのよ」
「さすが名探偵」
「茶化すのはやめてよね。それで会って話したいの」
「もちろん、OKだよ」
外で会っても良かったが、周りに気を使うことなくゆっくり話を聞きたいと思い、百合を自宅に招いた。
「いい部屋に住んでるんだね」
百合がリビングから全体を見渡して言った。
「そうかあ」
「ここ2LDK?」
「いや、3LDK]
「一人住まいでしょ?」
「そうだけど」
「なんでこんな広い部屋に住んでるのよ?」
「でも一部屋は書庫みたいなもので、本で埋まってる」
「それにしてもさあ」
「何? 何か言いたいことがありそうだね」
「女っけはないみたいだけど、家賃高いんじゃない」
「うちの会社結構補助があるんだ」
「いい会社ね」
「まあね」
「あのさあ、部屋を見せてもらったから言うわけじゃないんだけど、実は竜也にお願いがあってさあ」
「何、何?」
なんとなくわかったような気がしたが、先を促す。
「私、今ビジネスホテルに泊まってるじゃない」
「うん」
「住むところを探していたんだけど、その前に就職が先だって気づいたのよ。じゃないと家賃払いきれないし」
「そりゃあ、そうだ」
「でも、焦ってへんなところに就職すると後悔することになるからじっくりと探したいわけ。でも、そうするとホテル代がかかっちゃうわけよ」
予想通りの展開になってきた。
「それで?」
「それでさあ、就職先が決まるまでの間、竜也のところに居候させてもらえないかと思って。一生のお願いだから」
案の定だったが、よほどいいにくかったと見えて、だいぶ遠回りしていた。
「こんなところで『一生』は使うなよ。いいよ。片付ければ一部屋空けられるし」
「ほんと?」
「ああ」
「ありがとう。でも、心配しないで。私、へんなことはしないから」
「何だよ、それ。女からそういうこと聞くの初めてだよ」
「私も初めて言った。その代わり、食事の用意は私に任せて。こうみえて料理は得意だから」
「へえー、意外だね」
「だから、こうみえてって言ってるでしょう。でも、私も主婦やってた時があるんだから当たり前だけどね」
百合がバツイチだということを忘れていた。
「そうだね。じゃあ、そういうことで、肝心の話を聞かせてくれる」
「はいはい。私にとっては部屋の話のほうが肝心の話だったんだけどね。わかっていますよ、そんな顔しないで。今話すから」
自分では気づかなかったが、どうやら相当呆れた顔をしていたらしい。
「お願いします」
「うん。それでね。私たちの同級生の女の子で東京に出ている子が結構いるのよ。その中にきっと葵情報を持っている子がいると思ったわけ。ただ、私が全員の住所とか連絡先を知っているわけじゃないから、とりあえずリレー方式で探っていったわけ」
「なるほど。それで?」
「ようやくたどり着いたわよ。葵本人ではないけど、自分の母親が葵のお母さんの連絡先を知っているという子に。丸山ちはるっていう子なんだけど、覚えている?」
「いや。記憶にないなあ」
「実は私も思い出せなかったんだけどね。それで、そのちはるちゃんから葵のお母さんの連絡先を教えてもらったの。ただ、最近は交流がないので今でも繋がるかどうかはわからないとは言ってたけどね」
「ありがとう。感謝しかないよ」
「でも、それは実際に会えてからにして。ということで、これがそう」
渡された用紙には、携帯電話番号とメールアドレスが書かれていた。それを見ただけで胸が熱くなってしまった。
「どうしたらいいと思う?」
「う~ん。いきなり電話だとお母さんも警戒しちゃうかもしれないから、とりあえずメールを送ってみたら」
「そうだね」
早速メールを送ってみる。どうやらアドレスは生きていたようで送られた。後は返事が来るのを待つだけだ。
「繋がったよ」
「返事くるといいね」
「そうだね。ところで、いつからここへ来る?」
「いやあ、私としては早いほうが助かるけど、片付けとかあるでしょう」
「片付けなんて1時間くらいで終わるよ。もともと、そんなに荷物ないし、きれいにしてるほうだから」
「ええー、そうしたら、私、いったんホテルに戻って荷物を持ってくるから、今日の夜からでもいい?」
「いいよ」
「嬉しい」
「今回、葵のことでお世話になっていることだしね」
「まあね。じゃあ、私これからホテルに戻るけど、たぶん午後6時にはここへ着くと思う。だから、夕飯一緒に食べない?」
「いいね。でも、ホテルを出る前に一度連絡入れて」
「わかった」
百合が出て行ってからすぐに片付けを始める。さっき百合には1時間くらいで終わると言ったが、いざ始めてみると案外時間がかかった。その間、竜也はこれから始まる百合との共同生活を考えて見た。軽い気持ちでOKを出してしまったが、いくら子供の頃から知っているとはいえ、恋人同士でもなく、ましてや大人の男女がこの狭い空間で一緒に住むのだ。まずはルール造りから始めなければならないような気がしていた。
その時、メールの着信音が鳴った。慌てて確認すると、葵の母親からだった。
―ご連絡いただきまして嬉しいです。松本さんのことはよく覚えています。とにかく一度こちらへお出かけいただけませんか。その時に詳しくお話しします。日時については、改めてやりとりをした上で決めましょう。また、場所については丸山さんからお聞きくださいー
葵のことに直接触れてないのは多少気になったが、それでもとにかく母親に会えることになったのは喜ばしいことだった。母親に会いさえすれば、間違いなく葵の消息はわかる。早速返信する。
ーお返事ありがとうございます。ぜひ、お伺いさせていただきますので、その際はよろしくお願いいたします。なお、日時については、お母様のほうにお任せいたしますので、ご都合の良い日時をご連絡ください。お待ちしておりますー
百合のために空ける部屋の片づけが終わった後、夕食の準備に入った。百合は食事は自分にまかせてと言っていたが、今日くらいは竜也が作ってあげたいと思った。一人暮らしが長いせいもあるが、竜也は料理上手であった。
しばらくすると、再び葵の母親からメールが届き、今度の土曜日ならOKとのことであった。では、その日でお願いしますと返事を出す。
百合からはホテルに出る前に電話があったので、今夜の夕食は俺に任せろと伝えると喜んでいた。
そして、夕食の準備があと少しで終わるというタイミングで百合はやって来た。
「本当に来ちゃいました」
インターホンで照れくさそうに言った百合は、案外可愛かった。
「どうぞ」
わざと素っ気なく答える。
「いい匂い」
リビングに入って来た百合が肩に下げた荷物を下ろしながら言った。
「そうだろう。案外、俺の料理はいけるんだぞ」
キッチンから顔だけ百合に向けて言った。
「そう。楽しみ。でも、竜也が料理できるとは意外だね」
「無駄に一人暮らしが長いからね」
「ふふ。無駄かどうかはわかんないけど。それで、葵のお母さんから返事あった?」
「あった、あった。今度の土曜日ならOKって」
「良かったね。私も一緒に行っていい?」
「もちろんだよ。ただ、場所は丸山さんに訊いてほしいって」
「わかった。私が訊いておく」
「頼む。さあ、もうすぐできるからダイニングテーブルに座って待ってて」
「は~い」
その日竜也が作ったのはミネストローネ、トマトとモッツアレラのサラダ、豚肉と茄子の甘味噌炒め、カボチャの煮物だった。
「えー、これ全部竜也が作ったの」
「そうだよ。ただ、カボチャの煮物は昨日の残りだけどね」
「すごいね」
「まあね」
自信作ではあったが、百合は美味しい、美味しいと盛んに褒めてくれた。でも、翌日から百合が作ってくれるようになった料理のほうがはるかに旨かった。
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