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1-9
葵の母親の家から帰ってから3日後の日曜日、いつもと同じように百合が作ってくれた朝食を食べていると、百合が箸をおいて話し出した。
「あのさあ、葵のことも済んだんで、私一昨日から就職活動を再開したのよ」
「そうか…」
「そうしたらね、なんと昨日就職先が決まったのよ」
「急な話だね。大丈夫なの?」
「大丈夫。私が前から狙っていた会社だから」
「それならいいけど…」
「それでね。住まいを探すことにした。竜也に甘えてここに住まわせてもらえて本当に感謝してる。ありがとう」
「いや、こっちこそ食事のこととか、感謝してるぜ」
「ほんと?」
「ほんとだよ」
「でも、いつまでも甘えているわけにもいかないし。決り次第、ここを出ていくから、その時は連絡するね」
「わかった」
そういう約束だった。食事が終わり、百合は後片付けのためにキッチンに入った。竜也はリビングに移り、テレビをつける。しばらくすると、百合は自分の部屋に戻った。竜也はテレビ画面に目を遣っていたが、ふいに感情が波のようにやってきた。
百合とは幼馴染だったからそれなりに知っているつもりだっけど、今回共同生活をする中で気づいたことも多くあった。心細げで子供っぽい言い方をすることがあるかと思えば、まるで竜也の母のように柔らかな低い声でアドバイスをしてくれる。いつも明るく竜也を迎えてくれるけど、時々見せる俯き気味の顔は愛おしくて胸が締め付けられた。とにかく気配りのできる女性なのに、妙にドジなところもあって可愛い。
知れば知るほど、竜也の中で百合がかけがえのない存在になっていたことに、竜也自身気づいていた。
竜也は百合の部屋の前まで行き、中にいる百合に声をかけた。
「百合、聞こえる?」
「聞こえるけど、何?」
「そのままドアを開けないで聞いてほしい」
「わかったけど…」
「今度は俺からの一生のお願いがある」
「えっ、どういうこと?」
「お願いだから、ここを出ていかないでくれるか」
「……」
「百合、聞いてるか?」
「うん。それってさあ」
「プロポーズだと思ってくれていい」
「……」
「俺、すぐそばに自分にとって一番大切なものがあるって気づいたんだ」
「……」
今度も返事がない。だが、それは違った。百合のすすり泣きのような声が聞こえたからだ。故郷で再会してから今日までの記憶が走馬灯のように頭の中を巡る。
自分は今どうすべきか?
百合の部屋のドアを見ながら逡巡していた時、いきなりドアが開かれ、思い詰めたような表情の百合が竜也に抱きついてキスをしてきた。百合の温もりが竜也の身体に伝わってきた。長めのキスが終わり、身体を離した百合に一応確認する。
「返事は?」
百合のはにかんだような口元を見て訊いた。
「OKに決まってるじゃない。私はずっと、ずっと待ってたのよ」
きっと本音なのだろう。卵形の小さな顔に涼しく切れ長の目には涙の後が見えた。それが、あまりに眩しくて竜也は少し横を向いて言葉に感情を乗せずに言った。
「それは知らなかったな」
「嘘」
「お互い遠回り道しちゃったけど、やっと正解にたどり着けたね」
「うん」
半年後に二人は結婚した。
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