色眼鏡

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 翌日、哲也は例の眼鏡をかけて出勤していた。目の前の現実がどうしても辛かったせいで、「世界は一変」という文句に踊らされてしまったのだ。我ながら馬鹿らしいと呆れてしまう。  しかし驚いたことに、眼鏡のレンズは確かに周囲の声に反応して、色を変えていた。  今朝偶然鉢合ったお隣さんの挨拶の声。通勤電車で隣に座った女子高生の喋り声。果ては車掌さんのアナウンスの声まで。  哲也が他人の声を認識するたび、色眼鏡はその色を一変する。  赤、緑、青、黄、橙、桃、紫、そして灰。くるくると色を変える視界に、哲也は目が回りそうだった。  職場でも同僚に話しかけられるたび、あるいは遠くの話声が聞こえるだけで、色眼鏡はちゃんと反応した。 「原田。お前急に眼鏡なんかして、課長に媚び売ってんのかよ。今日も真面目アピールに余念がないな」  山根に声をかけられ、眼鏡が赤く変色する。どんな感情だか知らないが、何となく想像はつく。 「全然似合ってないって、事務の子の間で噂になってるぞ」  嘘だな、と思う。さっき職場に着いたばかりなのにこんなに早く噂になるわけがないし、悲しいかな、自分なんかが眼鏡をかけたぐらいで事務の子の話題に上るはずがない、と哲也は知っていた。   眼鏡が灰色に変わる。ということは灰色は嘘だとか、あるいは相手を貶めようとする感情に対応しているのだろうか。  なるほど。これはなかなか面白いぞと思うと同時に、相手の感情が一目でわかってしまうのは少し怖いなとも思った。
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