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産んでくれた人のこと
10月は、あたし毒妹の誕生月だ!
ああ、こうやって一年一年人生の終わりに近づくのかーとか思ったが、それは違う。一秒一秒、毎日終わりに近づいてるんだ。年に一度の区切りなんて関係ない。でも今は怖くない。まだまだ遠いと侮ってるっぽい。
誕生日には、Googleと鷹娘から、お祝いのメッセージが届いた。愚姉2からは、まあ毎年そうなんだけど、ひとっ言もない。あたしはほっとした。返事するのがたまらなくイヤってのもあるけど、これであたし毒妹は「毒妹」であり続けていいって許可をもらったようなもんだから。
(ちなみに、あたし毒妹は愚姉2に誕おめのメッセージ送ったよ! この顛末も書きたいとこだが、これまでと同じ通常運転でタダの愚痴でつまんないので、思いとどまっている。)
ボケ母がいるグループホームではコロナが大流行したとかで、しばらく面会ができなかったが、この間ようやく行けた。ボケ母は、あたし毒妹がおもちゃのキーボードで曲を弾くと、笑顔になって、拍子をとってくれる。そのリズムは正確で、はっきり曲を覚えているからこそ、曲と同じリズムで手や足でとんとんする。この間行った時は、そのリズムが小さくなっていた。手もあまり動かさない。それでも笑顔だった。
ボケ母は進行が遅い方だと思う。ボケ母がグループホームに入った3年前ボケ母よりもしっかりしてて笑顔で迎えてくれた入居者の方は、もう、瞳に光が無く、話しかけても反応がない。あたし毒妹がグループホームに行くと、たいていの方はリビングで集まって過ごしているのだが、行くたびに皆さんどんどん静かになり、内向的に変わっていく。認知症は不可逆な病気だと、それどころか止まることなく進行する病気だと、思い知らされる。
この春に鷹娘が家を離れ、トロ姉1も愚姉2も変わりなく(ほんと、サイテーな感じで変わりなく)暮らしてるようだ。そんな中で、あたし毒妹は、ほんと微量にゆっくりだけど、あるべき感情が戻ってきているのかもしれない。
ボケ母があたし毒妹を産んだ五十数年前に思いをはせたり、あたし毒妹もボケ母に褒められたい気持ちがあるんだなーと感じたり、ボケ母は今でも家で過ごしたいのかなと思ったり。
こんな毒妹でも、母への想いってのはあるらしい。全く迷惑なことだ! あたし毒妹は、ボケ母があたしのことがわからないことを、悲しいって思ってるらしい。二度とあたしの名前を呼ぶことはないってことも。その「悲しい」の存在を今さら認知して、涙を流したりしている。馬鹿だね。
これは良いことなんだろうか? もちろん、人としては良いことだが、毒妹としてはどうだろ……。いやダメだろ? この日記の趣旨として。
鷹娘に対しても、毒親として思うことがある。いつかそのことが書ければって思う。
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