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「――それでは、今日はよろしくお願いします」
マサオは、目の前にあるパソコン画面に向かって、軽く頭を下げ挨拶した。
それに続けて、隣に座る彼の妻、ヒサエもニコニコと笑顔で会釈をした。
マサオの腕に抱かれる幼い息子のタカラは、じっ、と自分の両親が話しかけたその画面を見つめている。
「よろしくお願いします。では、さっそく描いていきますね」
パソコン画面越しに彼らと相対する女性は、笑顔でそれに応えると、鉛筆を手に取った。
サラサラ……シャッシャッ……と鉛筆が紙を滑る音が、スピーカーを通して微かに響く。
「似顔絵は初めてですか?」
「いえ、結婚式のウェルカムボード用で、一度お願いしたことが。オンライン似顔絵は初めてですけど」
「本当は、直接対面が良いなと思ってたんですけど、近場でされている方はどうもパッとしなくて。それなら、オンラインでも良いから評判の方にお願いしよう、ってなったんです」
「ありがとうございます。ちなみに、お二人の出会いを伺ってもよろしいですか?」
「同じ職場の、先輩後輩で。Z社なんですけど」
「えっ、すごい! 大手企業ですね」
「まあ、有名だとは思います」
「私は、結婚を機に退職したんですけどね」
「寿退社ってやつですね」
「職場も同じなんですけど、それ以前に私たち二人ともT大出身でして。おまけに二歳違いなので、キャンパスで出会う可能性もあったんですけどね」
「ずっとすれ違ってたみたいで」
夫妻は、くすくすと笑い合う。
T大といえば、言わずと知れた国内最高学府。卒業後に勤め、出会いの場になったというZ社も、国内有数の大企業だ。
さらりと出された情報に、絵描きは素直に感心する。
「そんなこともあるんですね。似顔絵は結婚式で一度、ということでしたが、今回のご依頼も何か特別なきっかけが?」
「ええ。実は、この子がA幼稚園に合格しまして」
「うわあ、またすごい所じゃないですか。大学まで一貫の有名私立ですね」
「ええ、そうなんです」
「それは、おめでとうございます。では、今回はそのご記念に?」
「はい。いやあ、ここまで大変でしたよ。まずは、ここを突破してもらわないといけませんから。これから先も、受験はありますし」
「へえ。大学までエスカレーターでも、やっぱり大変なんですね」
絵描きのその発言に、それまで得意げだったマサオは、一転して目を吊り上げた。
「エスカレーターだなんて、とんでもない! この子はいずれ、私たちと同じT大に行くんです。そして、それまでの小中高どこでも、最善で、最高の学校へ行ってもらいます」
突然声を大きくしたマサオに、絵描きは申し訳なさを感じるよりも呆気にとられてしまった。
ヒサエが、まあまあと彼を宥める。
「この子なら大丈夫よ。これからも、きっと私たちの期待に応えてくれるわ」
そう言うと、ヒサエは「ねー」と甘い声をかけながら、タカラの頬を指で軽くつついた。
絵描きは、すぐさま謝罪をしたものの苦笑をこぼしかけ、口元を隠し軽く咳払いでごまかした。慌てて話題を変える。
「それにしても、お子さん大人しいですね。おかげで、とてもやりやすいです」
「そうでしょう。面接でも誉められたんですよ」
「それは、なんと言いますか……さすがですね」
「はい。まさに、私たちの理想の子どもです」
「そうですか……」
その後も、夫妻の身の上話は続いた。本人たちに自覚があるのかないのか、それはほとんど自慢話で、絵描きは、すごい家族だな……と、半ば辟易としながらも手を動かし続けた。
「――お待たせしました」
ふう、と疲労の滲む息をついて、絵描きは筆を置いた。いつもよりも何倍も疲れたように彼女は感じていた。
夫妻は、彼女のそんな様子には微塵も気付かず、顔を輝かせて身を乗り出す。一時は機嫌を損ねたマサオも、その後は絵描きが無難に話を聞いていたおかげで、すっかり落ち着いたようだった。
「こんな感じで、いかがでしょう」
絵描きは、自信満々でイラストボードの正面を夫妻に向けた。
しかし。
「……え……?」
夫妻の笑顔が、一瞬にして消えた。プレゼントを開ける前の子どものようだった顔が、困惑した表情で凍り付いている。
「……なんですか、これは?」
「なんですか、って……」
二人そろっての思いもよらぬ反応に、絵描きも戸惑いを隠せない。気に入らなかったのだろうか……と、先ほどの苛立ったマサオを思い出し焦り始める。
「なんで……」
ヒサエが、絵を指さす。その手も、声も、震えている。
「なんで――こんなに、子どもがいるんですか?」
そこには、マサオ、ヒサエ、タカラの三人――それと、他に三人の子どもが描かれていた。
作者の絵描きは首を傾げる。
「なんで、というのは……?」
「だって……だって、おかしいじゃない!」
「――そうだ! 君、ふざけているのか!」
妻の声で我に返ったのか、マサオはハッとして、それから声を荒げた。
夫妻のただならぬ様子に、絵描きは混乱した。彼女には、夫妻が言っている意味がまったく理解できなかった。
「ふざけてなんかいません。私は、見たままを描いただけです!」
「そんなわけないだろう! どこが見たままなんだ、こんな余計なものを描いて!」
「そうよ! うちには、こんな子どもはいないわ! 私たちの子どもはこの、タカラだけよ!」
ヒサエの発言に、絵描きは目を見開いた。
「そんなはずないです! だって――」
彼女は、今も画面に映るその光景を口にした。
「いるじゃないですか! その子の他に、三人の子どもたちが! ずっと大人しく後ろに立って、あなたたちを見てますよ!」
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