燈花会の夜に

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 あれから、二十年――。そう、もう二十年も経つのだ。今回、僕と彼は久しぶりに日本へ帰って来た。今はアメリカ合衆国アラスカ州、中央部に位置するノースポールという町に住んでいる。標高147メートル、人口2000人ほどの小さな町だ。今回の旅行は彼とパートナーになって二十周年記念旅行だった。日本へ行こうと言ったのも、思い出の地、奈良で行われる燈花会(とうかえ)を観たいと言ったのも彼だった。  恐れ多いが、彼はかつての燈花会(とうかえ)の夜の一件を「私達のキャンドルナイト」と呼んでいる。  やがて奈良公園が見えてきて、僕達は人混みの流れに乗って、吸い込まれるように敷地内へ入った。昼間、整えられた芝の絨毯が広がっていたそこは今、だだっ広い闇の空間と化し、無数の蝋燭(ろうそく)が置かれ、火を灯されて揺らめいている。どこかこの世ではないような、幻想的な風景に、思わず立ち止まる人も少なくない。 「昔と同じだ。変わっていない。ここは本当に美しいよ」  そう言って、彼は再び一眼レフカメラを構え、シャッターを切る。僕は、彼が美しいというそれが、この風景のことと、昔から変わらずに存在し続ける日本の文化、そして蝋燭(ろうそく)の灯される意味、すべてを差しているのだということを知っている。かつて、ここを二人で歩いた時、日本では、蝋燭(ろうそく)が人の命に例えられていることを教えると、彼は感動したのか「それは素晴らしいね」と言って瞳を潤ませ、何度も何度もシャッターを切っていた。 「懐かしいね。覚えてる? 私達はここで昔、大喧嘩をした」 「そうだよ」 「ヒカルはものすごく怒っていたよね。この関係は何なんだ――とか、もう付き合いきれない、うんざりだ――って」  僕は、闇の中に蝋燭(ろうそく)が並んで揺らめく幻想的な風景を眺めながら、当時を思い出している。そして少しだけ笑みを零した。 「クリスはずっと泣きそうだったけどね」 「そうだよ。だって君ときたら、もう金輪際(こんりんざい)僕に会わないってかんしゃくを起こして――取り付く島もなかったんだから」  これは僕が彼とパートナーになってから知ったことだが、外国では、カップルが成立する際、日本のように言葉を交わすことはあまりないらしい。好きな相手の性格を知って、デートを重ね、体の相性を知って、同じ時間を過ごす中で、だんだんとカップルになっていく。つまり、境界線を引かないのだ。この日が記念日、この日以降は恋人、それまでは友達――というはっきりしたラインを引かないのが主流なのだそうで、何も知らずに外国人と付き合った日本人は、大抵の場合、まずその価値観や文化の違いを理解できるようになるまで、かなり苦労するらしい。この僕も、もちろんその一人だった。  だから今回、僕達がニ十周年と言っているのも、たぶんニ十周年記念――なのである。  因みに僕は日本人だ。日本で生まれて日本で育って、当然ながら日本の価値観と文化をベースに生きていた。そのおかげで彼と結ばれた後、幸せを感じたのも束の間、数ヶ月もすれば不安に駆られる毎日が続いた。彼は時々、連絡をくれなくなるし、何の仕事をしているのかもわからない。もっと密にコミュニケーションを取ろうとしても、まだその頃の僕は英語を思ったようには話せなくて、想いを伝えるのにも、彼の言葉を受け取るにも、メールを読むにも、ひどく苦労していた。  「でも、あの日は運命の日だった。私達の終わりで、始まりの日だった」 「うん」  不意に、彼がそっと手を取って握ってくれて、僕はまた微笑む。僕達にとって、この奈良はいつも特別で、とても大切な場所だった。出会ったのも、すれ違いや苦しみを乗り越えたのも、そして新たな始まりを迎えたのも奈良だったのだ。
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