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蘇芳(すおう)の君! 蘇芳の君、どちらに()られますか!」  兵に交じり剣を振っていると、騒がしい声が聞こえてきた。  またか、面倒な。  そう思いため息をつく。 「蘇芳の君! またそんなところにいらっしゃったのですか」 「うるさいぞ。別に問題はないのだからいいだろう」  全く、きゃんきゃんとやかましい。 「問題大ありです。陛下のご容態が思わしくない今、誰が国を回さなければならないかわかります? あの翡翠の君なんですよ! 貴方様が補佐しないと大変なんです、おわかりでしょう!?」 「あの男の話をするな!」  叫んでから、はっとする。  そうだ、周りに兵たちが居たのだった。 「私は少し外す。お前たちは鍛錬を続けろ」  そう言い置いて、目の前の騒がしい男の首根っこを掴み、引き摺りながら練兵場を後にした。  人気(ひとけ)のない林まで来てようやく、掴んでいた手を放して男を解放してやる。 「げほっ、ごほっ……はぁ、いきなり何をなさるんです! 危うく死ぬかと思いましたよ……」 「お前があの男を話題に出すからだろう」 「本当に、貴方様は翡翠の君……兄君がお嫌いですねぇ……」  やれやれ、とばかりに肩を竦めてみせる男────乳兄弟にして侍従である()佳閃(かせん)。 「その名は聞きたくないと何度言わせるつもりだ。それと佳閃。お前は馬鹿なのか? あのように衆目のある中で陛下の容態が思わしくないなどと口にするな。いたずらに不安を煽ってどうする」 「それは大変申し訳なく。しかし、陛下はこのまま彼の方を次の皇帝になさるおつもりなのでしょうか。貴方様の方がよほど相応しいと私めは思うのですが」 「知らん。俺に言うな」  父とはいえ、滅多に顔を合わせないのだから他人と変わらない。  そんな相手の考えることなどわかるはずもないだろう。 「強いて言うならば、あちらの方が先に生まれ、母親が皇后だから、か」  口の端を上げ、くっ、と笑ってみせる。  皮肉に見せかけてその実、特に気にしているわけではない。  確かにあの兄は虫が好かないが、それで国が上手く回るならとやかく言うつもりはないのだ。  それを理解している佳閃はひとつ、大きなため息を吐く。 「貴方様と兄君、生まれる腹を間違えたのではありませんか?」 「お前を除いてそう思っている者は誰もいないだろう。お前も聞いたことはあるのではないか? 上は傀儡(くぐつ)、下は放蕩(ほうとう)、どちらがまだましか、とな」  官吏(かんり)たちの間では、最近はもっぱらその話題ばかり。  本人たちはこそこそと隠れて話しているつもりなのだろうが、放蕩と言われる通りあちらこちらを彷徨(うろつ)いている俺には丸わかりだ。  佳閃の眉間に皺が寄り、目が釣り上がる。 「それなのですけれどね! 私め、ずっと物申したいと思っていたのですよ! なぜ貴方様はそういつもいつも、あちらへ行き、こちらへ行き、ちっとも一つ所にいらっしゃることがないではありませんか! そんなだから放蕩などと言われるのですよ、能力は高いにも関わらず! いい加減落ち着いたらどうなのですか!」 「嫁でもとれと言われているようだな」 「茶化すのはおやめ下さい!」  はぁ、とため息をつく。  こいつはこういう妙に真面目なところが面倒だ。 「俺がそれらしい姿を見せてみろ、すぐにあの皇后が噛み付いてくるぞ。(わずら)わしいのは御免(ごめん)だ」 「ぐっ……」 「このまま上手く回るようなら、下手に事態を(こじ)らせるのも良くない。違うか?」 「そ、れは……そう、ですが……」  しかし、蘇芳の君の方が……ともごもご言いつのる佳閃。 「買いかぶりすぎだ、佳閃。俺はそこまで出来た男ではないぞ」  身内の欲目、というやつだろうか。  これもまたこいつの困ったところだな。 「とにかく、俺はこれからも態度を変えることはない。わかったな?」 「……かしこまりました」  不承不承ながら頷く佳閃を帰し、練兵場に戻る。  何かあったのか、と不安そうにこちらを伺う兵たちに、いつもの小言だ、とだけ言って鍛錬を再開した。
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