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四
「明日は街に出る」
「私めの話を聞いて頂けなかったようで」
後宮から帰った後の小言を聞き流しながら放った一言に、不貞腐れたような佳閃の声が返された。
「いつものように服の用意を頼む」
「私めは無視されて悲しゅうございますよ、蘇芳の君」
そう言いながらもさっそく動き始める佳閃。
なんだかんだ言って、佳閃は基本的に指示通りに動いてくれる。
あの乳母だったら確実に止められていただろう。
翌日、俺は宣言通りに街にいた。
外れにある、いわゆる花街だ。
いつものように馴染みの女郎屋に行く。
「ようこそおいでくださいました、紅様」
やり手が対応役としてすぐに呼ばれた。
紅、というのは偽名である。
俺は蘇芳の君という呼び名通り赤い髪をしているのだが、そこからとった安直なものだ。
「朱花をご指名で?」
「そうだ」
何度も通っているからか女郎屋の方も手馴れたもので、ほとんど待たされることなく中へと通された。
「紅様!」
通された部屋にいた遊女、朱花がはしゃいだ声をあげる。
「またいらしてくださったのね! とっても嬉しい!」
「それは、金払いが良いからだろう?」
「そんな意地悪をおっしゃらないで? 本当に、嬉しいんだから」
「そうか」
長椅子に腰を下ろすと、朱花がしどけなくその身を預けてきた。
「うふふ、今日はどんなお話をお望み?」
「そうだな、きな臭い話を」
「もう、紅様ったらいつもそればっかりじゃないの」
「そのために来ているようなものだからな」
膨れっ面の朱花を受け流しつつ、出された茶を飲む。
「仕方のないお人だこと」
そうため息をつき、朱花は話し出した。
「そうねぇ。最近で言えば、ずっと尻尾を掴めなかった密売組織を捕まえたって大威張りのお客様がいらしたわ」
「密売組織? 何のだ」
「うふふ、気になる?」
引っ掛かりを覚えた俺が問い返すと、悪戯っぽく微笑む朱花。
かといって他の女たちのように変に勿体つけることもない。
そのため、こうして朱花の馴染み客になっているわけである。
やたらと勿体つけたがる女は面倒臭い。
「それがね、毒ですって」
「毒?」
「一滴で象でさえもころりと死んでしまうものから、何年も飲み続けることでようやく死ぬようなものまで、色々だそうよ? 何年もだなんて、そんな面倒な毒を使いたがる人がいるのかしら。それよりも象という動物の方がよほど気になるわ」
様々な毒を扱う密売組織が捕まった、か。
それも、今まで上手いこと逃れ続けていたと思われる組織が。
そして、遅効性の毒。
それを使えば、病に見せかけて相手を殺すことができる。
例えば、そう。
今現在、体調を崩して臥せっている皇帝のように。
どうにも気になる話だ。
「ねぇ、聞いていらして? 紅様」
「あぁ、すまない。聞いていなかった」
「もう! 本当に仕方のないお人ね! 象ってどんな動物なのか、紅様はご存知?」
「知ってはいるが」
立場上、渡来物を目にする機会はそれなりにある。
その中に象を描いたという絵も混じっていた。
「まぁ! どんな姿なの?」
「毛は無く灰色の肌、四つ足で耳が大きく、鼻が長い。三日月の形をした大きな牙を持っている。何より特徴的なのはその大きさだな。家と同じほどあるらしい」
絵で見た象の特徴を挙げていくが、朱花は想像できないらしくぽかんとしている。
「……絵がいくつかあったはずだ。一つやろう」
「よろしいの? 嬉しいわ!」
その後も色々と話を聞いたが、めぼしいものは特になかった。
そろそろ帰る、と暇を告げると袖を引かれる。
「もう帰ってしまわれるの?」
「そのつもりだが」
「この麗しい華を前にして、そんなつれないことをおっしゃるのね」
上目遣いで擦り寄られるが、相手が悪いとしか言いようがない。
「より極上の顔を持つ人間を知っているからな」
顔だけを見るならば、だが。
あの、見た目も中身も人形と例えられる男。
こうして思い出すだけでもどうにも気に食わない、あの男。
「……その人は、紅様にとってどういう人なの?」
「さあな」
「そう……本当に、ひどいお人だこと」
小さく呟いた後、朱花はいつものように笑って俺を見送った。
女郎屋を出てからは、まっすぐに宮城の中の自分の宮に向かう。
そびえ立つ壁の向こうに見える豪奢な建物の数々が近づいてくるにつれ、違和感を覚える。
門をくぐり、違和感の正体に気づく。
普段よりも、空気がざわついているのだ。
「佳閃! 佳閃はどこだ!」
自分の宮に着くと同時に佳閃を呼ぶ。
「蘇芳の君! お戻りになられましたか!」
「何やら騒がしいが、どうした」
間を置かずに駆け寄ってきた佳閃に問う。
「その……陛下が、崩御なさいました……」
「なに……?」
義母上の嫌な予感とは、もしやこれの事か。
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