まさか

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「飲みっぷりもいいねえ。乾杯しよ」 「え、何に?」 「人妻と俺?」 「何それ。意味わかんないし」  すでに持ち上げていたジョッキ同士をガツンと合わせる。 「浅井課長って、そんなイイの?」  吉永君はタレ目を細めて、あからさまにいやらしい顔つきをした。 「ぶっ、何訊いてんの? 知らないよそんなこと」  よかった。ビールが口に入る前で。  そう。知らない。  だって私たち、離婚前提の夫婦だもん。そりゃあ清い関係ですもん。  誤魔化すようにビールを煽った。 「三十二だっけ? 俺の方が絶対イイよ?」 「は? なんの話?」  恭介さん、三十一だし。  とぼけたけどわかってる。恭介さんより自分の方が男としてのあれこれがスゴイと、そう言いたいのね。  そんなの言われても困るんですがね。 「相談ないならさっき頼んだの食べて帰るね。はいこれ、吉永君食べて」  飽きてきたから、タレの串が乗ったお皿は全部、吉永君の方へ寄せていく。塩味のものだけ自分の前に並べ直しながら。  そうやって両手を動かしていたら、向かいから伸びてきた手が、無許可で私の口の端を擦った。 「ちょっ」 「ついてたよ、タレ」  タレ目が、タレのついた親指を舐める。  その姿を捉えた私の背筋を走ったのは、悪寒。と同時に脳裏を駆け抜けたの、あの時のこと。  恭介さんの家でお皿を割ってしまったあのとき、ほんの少しだけ切れてしまった指を舐められたのに、全然嫌じゃなかった。だけど今、口の端を拭われて、その指を舐める仕草を見せられたら受け入れ難い感情しかない。 「吉永君、そういうの、彼女にだけやりなよ。それこそ誤解されるよ?」 「誤解したらいいじゃん。課長、出張だろ? バレないよ」  はい? どういうつもりで? なんて訊ねなくとも、さすがに察した。  ああ、なんてバカなんだ私は。そうだと知っていればノコノコついて来なかったのに。  帰る、と言おうとしたタイミングでさっきの店員が追加注文分を運んで来たので、仕方なく黙る。 「ほら、手羽先もきた。食べな?」 「……うん」  吉永君の企みになんか気づかないふりでいたら、諦めてはくれないだろうか。  同期で同じ部署なのに、何食わぬ顔で変な関係になんかなれないし、そもそもなりたくもない。  そういうのは、好きな人とじゃなきゃ。  やっぱり食べ終わったら会計してすぐ帰ろう。いつまでも二人でいていいことなんて、多分なさそうだ。
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