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「美味しかったね、じゃ、バイバイ」
自分の飲み食いした分くらいのお金を払って、店を出たところでいきなりそう言った。
もちろん、チャラ男の魔の手に引っかからないためだ。
吉永君はどうも、人妻となった私に興味を示しているようだ。ならばさっさと退散するのみ。
全く、何考えてるんだか。
今日は飲んでもあまり酔わなかったな。さっさと帰ってテレビでも見ようと踵を返し、足を踏み出したはずがなぜか後方へよろける。
「おととっ、ちょっと、危ないって」
腕じゃなく、お泊まりセットの入ったバッグを掴まれ、それをぐいと引かれて重心が崩れた。
「もう少し付き合ってよ、二人でのんびりできるところまで」
「ちょっ、なに言ってんの?」
バッグを掴んでいた手はそのままに、いつの間にか背後を取られていた。背中から抱きつかれ両腕まで掴まれたら、思うように身動きが取れない。
身に迫る危険に、体が強張る。
だからと言ってついて行く気はないし、吉永君に遊ばれるなんてごめんだ。
それははっきりしているけれど、同じ部署だし、同期だし、あまり嫌な空気にはしたくない。
どうにか諦めてもらわないと。
「ちょっと吉永君、やめてよ」
「いいじゃん」
「あのねっ、結婚したの、私。離してよっ」
「そうだね、人妻だ。でも大丈夫、黙ってれば」
耳元に吹き込まれた囁きのせいで悪寒がする。
やっぱり人妻狙いだったらしい。
そうだよね。こんな風に二人で飲もうとか、今まで誘われたことなかったもん。
人妻のタグが付いたってだけで随分な変わりようだが、こっちは全く歓迎できない。そのタグが偽物だとわかれば、変に盛り上がっている吉永君の気持ちも冷めるんだろうか。
だけど言えない。まさか、契約してもらっただけだなんて。
「行かないからっ、人に見られるし離れてっ!」
「羨ましいんじゃない?」
はい? どういう思考?
絶対、何してんだよって目で見てるに決まってんじゃん!
「もうっ、大きい声出すよ?」
「なら、その口塞いであげよっか」
さっきと同じく耳元で囁かれる。
させるか!
もぞもぞ体を揺らして、吉永君から逃れるつもりでいた。
だけど、吉永君の体が圧倒的に大きいからか、なかなか思うようにはならなくて、知らないうちに建物と建物の隙間に誘導されているのだ気がついた。
「やだって!」
ボスッ。
お泊まりセットのバッグが手から離れてしまった。
「あっ!」
「ひなた、かわいい」
吉永君に呼び捨てにされたら、なんだか物凄くイラっとした。
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