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「ああっ、浅井課長!」
「どうした?」
「あのっ、彼女って、いますか?」
ゆっくりと振り返った上司に、私は何を訊いているのだろうか。
「は? いや、いないよ」
困ったような顔で笑ったのは、ただの上司。その上司に好意を抱いたことなんてなかったし、今もそうだ。
「結婚て、興味ありますか?」
「ないな」
まさかの即答。心は勝手に弾み出す。
「やった! じゃあ結婚してください! 私と!」
「……何言ってる?」
眉を顰められた。さすがに唐突だったか。でもそんなことくらいで引き下がるなら、課長相手にこんなこと言わない。それにさっき、「俺でよければ話くらい訊く」って、そう言ってくれたじゃない。
「とにかく、すぐ結婚したいんです」
「なぜ?」
「だって、売れ残りのバナナになるのは嫌だから」
「なんの話だ?」
「遠慮なくって、さっき言ったじゃないですか」
「まあ、そうだが」
「じゃあしましょうよ、結婚」
「だからなぜそうなる」
「だって、興味ないんですよねえ、結婚。でも彼女もいない。ちょうどいいんですよ、浅井課長は。ふふっ」
ああ、ダメだ。顔がニヤケてくる。だってほんと、ちょうど良すぎて。
「……石森、疲れてるようだな。あんまり飲み過ぎるなよ、じゃあお先」
少し驚いたような顔でそう言って、気遣うような言葉をくれた。その顔が向こうを向いてしまう寸前、ちょっと笑われた。
冗談だと思われたのか。
「あ、ちょっと!」
くるりと向けられた背中は、結構大きい。口の固さは計測不可だが、課長職ともなれば収入は多めに違いないし、仕事ができて多忙なのは既知の事実。更には未婚で彼女もなく、よく見ればイケメンなのに結婚願望はない。
こんなに条件ぴったりの男がいたなんて!
なのに、ときめく間も無く速攻フラれた。いやでも、トキメキいらなかったっけ。
だけど現実って、こうだよね。案外過酷というか。ほんと、どうしたらいいんだろう、私。
いや、そんな風に悩んでいたらどんどん時間がすぎるだけだ!
邪険にされたって、凹むだけ無駄。やっぱり逃していい物件じゃない。だって、ちょうど良すぎる。
そう気づいたら益々結婚しなきゃと思った。
だから走って追いかけて、触れたこともない上司の腕を掴んだ。
「待って!」
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