▼ なぜか

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▼ なぜか

 土曜の午前中に帰る予定だと連絡したはずなのに、どうしてこれほど急いで新幹線に飛び乗ったのか。  理由ならもう、はっきりとわかっていた。  自覚してしまったのだ。ひなたを好きなんだと。  給湯室前で、ひなたと吉永の会話を聞いてしまった先週から、どうも胸の中がモヤモヤして仕方なかった。  自分からキスをしたあの日、俺はもうひなたを好きになっていたのだと今ならわかる。部下に対してまさかという考えが、正直な感情を受け止める邪魔をしていただけだ。  どうにか確保した座席に座っている今も全く落ち着かない。  ひなたは今、どうしているのか。ちゃんと俺の家に帰り着いているのか。食事はまあ適当だろう。それであのソファーでゴロンと寝っ転がって、テレビでも見ているのだろうか。  今から帰る。そうメッセージを送ろうとして一度考え、文字を入れたくせにやめた。愛があって結婚したわけじゃない。今まで連絡なんかしてもいないのに、いきなりそんなメッセージ、迷惑かもしれない。  それに、無防備なところへいきなり俺が帰って行けばどんな風に驚くのか。それを確かめるのも一興だ。変な声を上げてソファーから転げ落ちかねない。  それを想像したら、一人でいるにも関わらず吹き出してしまった。  隣のサラリーマンにチラと顔を向けられて気まずい思いをしたが、知らんふりで車窓を見遣る。  ひなたに会いたい。早く。  明るさだけが取り柄で、酔うとめちゃくちゃで前後不覚。友人の鼻を明かすために結婚しろだなんて言う無鉄砲な女だが、突然始まった彼女と二人きりの時間を存外楽しんでいたのは俺の方だった。  家事も碌にできなくて、おっちょこちょいで、普段は女を全面に出してくるようなタイプではないし、寧ろオヤジっぽい。おまけに世話ばかりやける、そんな女だというのに。  人が人に惹かれるというのは、実に不思議だ。何がどうなって彼女に好意を抱いたのか、説明しろと言われても難しいのに、胸の中にあるのは彼女への確かな思いに違いない。  思い出すと緩んでしまう口元を頬杖で隠しながら、車窓の先に、彼女の姿を思い浮かべた。  昨夜届いた安っぽい指輪を、喜んでくれるのだろうか。今夜は、ひなたの左手にそれを嵌めることが叶う。そんなことを楽しみに慌てて帰ろうとする俺は、本当にひなたの夫になったかのようだ。  まさか部下に対してこんな感情を抱くようになるとは、と驚きつつ、久しぶりの感情が案外心地の良いものだと、また口元が緩んでいた。
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