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「おやすみ」
ドアを閉める前に恭介さんがそう言ったから、おやすみなさいと返してドアを閉めた。
それでドアが閉まったら、急に胸が痛み出す。
静かに走り出した車を見送っていたら引き上げていたはずの口角が下がってきて、ぎゅっと口元に力を入れなければ耐えられないほどの圧が胸の奥から込み上げようとする。
だから、胸を押さえながら小走りで自分の部屋に向かった。
でも駄目だった。
唇だってぎゅっと噛んで必死に押さえつけているのに、圧力に負けた胸の痛みが雫になって目尻から流れ出る。
車を降りるまではあんなに幸せな気持ちだったのに、一人にされた途端、捨て猫のような不安と切なさに飲み込まれている。
まるで恋人同士みたいなことをしている私たちだけれど、真実はそうでない。
私の意思に関係なく、急に心がその現実と向き合い出したのだ。
離婚前提の契約結婚。
そこに私の求める好意なんてあるわけもない。
その事実が、急に胸を抉り出した。
好きだと言って欲しい。
恭介さんに、好きだと言いたい。
こうやって甘やかされて、浮かれて、自分に都合のいいことだけを拾い上げてその温もりに甘えていたけれど、やっぱり違う。
こんなに好きになってしまって結婚までしてしまっているのに、一度も好きだとは言えないし、言われない。
契約なんだからそんなの当たり前だけれど、それでいいと思っていたけれど、能天気に考えていたけれど、苦しい。
「なにやってるんだろ……」
バッグから鍵を取り出して差し込もうとするのに、こんな時だからかそれすらうまくいかない。
目元を荒々しく拭ってガチャガチャ音を立てて、漸く開けたドアから部屋に入り、電気も点けずに奥まで行く。
途中、床に置きっぱなしだった段ボールに足をぶつけて、小さく呻いた。
それで結局電気を点けて、「真っ暗じゃぶつかるだろう」と恭介さんに言われたのを思い出したら、止まったと思った涙がまた溢れてきた。
虚しくなって、自分の馬鹿さ加減に呆れて、恭介さんを好きになった自分をどうしてあげることもできないのだと気づいてまた泣いて。
契約結婚にこんな感情は、不要だ。
ただの片思いならまだよかった。憧れて、近づけたら嬉しくて、見つめ合ったならもう有頂天。そんな片思いなら、まだ。
だけど私の思いは届けられない不要品。
だって、三ヶ月後に離婚してくれと言ったのは私の方なんだ。それなのに今更、やっぱり好きになりましたなんて言い出せば、優しいあの人は困るに決まってる。
どうしてあの時、ただの上司だった恭介さんにあんなことを言ってしまったんだろう。
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