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なかなか返事がないから、腰を屈めて目を合わせる。
「石森?」
「あっ、はい! あの、ありがとうございます」
上擦った声。
ここが焼き鳥屋でなく職場で、俺が一応上司だから、こうやって話すのに多少の緊張があるのかもしれない。
誘うのは俺からの方が、石森の気も楽だろうか。
「今夜なら空いてる。定時とはいかないが。まあ、石森が良ければの話だ」
緊張をほぐしてやろうと、軽く笑んだ。
「あっ、はい、ありがとうございます!」
「じゃあ、あの、焼き鳥が美味い店でどうだ?」
「はい!」
妙に元気のいい返事をしておいて、あ、と口元を押さえている。俺が焼き鳥と言った途端目が輝いたし、色気より食い気、というタイプか。
だがそれならこちらも気が楽だ。あからさまに熱っぽい視線を寄越されたところで応えてやれる自信もないし、そんな目的で誘ったわけじゃない。
俺たちは、ただの上司と部下だ。
「ん。じゃあそういうことで、よろしく」
言いながら歩き出して、一度止まって振り返った。
「嫌になったら、遠慮なくすっぽかしてくれ」
軽い調子でそう言ってからくるりと背を向け、飲み干したコーヒーのカップを販売機横のゴミ箱の真上からストンと落とし入れた。
上司である以上、無理を強いたとあってはまずい。しかも相手は異性。あくまで決定権は石森にあるのだと強調したのは、やはり上司という立場だからだ。
「浅井課長」
向かいからやってきた川村が俺を呼んだ。
そうだ、仕事中だった。しかもまだ、午前中。だが、休憩前よりどことなく軽やかな気分になった気がするのは、コーヒーのおかげで頭がスッキリしたせいなんだろう。
「ああ、どうした?」
昼休みまであと一時間ほど。午後からは会議が二つ控えている。
少しばかり休憩が長かったが、今日は何だかうまくいくような気がして、俺を呼ぶ声の方へと足を進めた。
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