▼部下と結婚

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「帰りまてんよっ。契約してくらたい!」 「なに言ってる?」 「契約れす! 結婚の契約。見返してやるうっ!」 「よくわからないが、とにかく落ち着け、声が大きい」  カウンターに座っている客で、これほど騒いでいるのは自分たちくらいなものだ。月曜だから店内には喧騒というほどの騒がしさもなく、集まってしまう視線をどうにかしたくて、体ごと石森に向き合う。 「っ!」  不意にネクタイを引っ張られ、石森の顔が、普段ではあり得ない距離にまで近づいた。  酔っているからか力加減が容赦無く、思いの外強い力で引き寄せられたのと、掛けていたのが座面の高い椅子だったせいとで、ぐらり、体が揺れた。  ここは所謂おしゃれな居酒屋なんかじゃない。小さな背凭れがついたカウンターの椅子は木製で、少し動けばカタカタ音が鳴るような古めかしいものだ。  石森を押し潰さないようにと懸命に力を入れて踏ん張るも、眼前の酔っ払いは手加減なんてしてはくれないし、支えにしたい背凭れの面積も小さく頼りない。  カウンターにはすでに料理が所狭しと並んでいて、手を突いて支えることもできない。これ以上力を込められたら石森を押し潰してしまいそうだ。 「浅井課長、お願いです。結婚して? 三ヶ月だけでも。これは人助けれすっ!」  酔ってほんのり色付いた頬に、潤んだ瞳。そんな顔を男に近づけておいて、甘えるように懇願する。 「わかった、わかったからっ」
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