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貼り付けられた付箋にざっと目を通し終えたタイミングで、不意にドアの開く気配がしてそちらへ目を遣った。
石森だ。
驚いた。こんなに朝早く、一体何をしに来たのか。
「おはようございます」
元気は今日もどこかへ置いてきたのか、やけに遠慮がちな声だ。
「おはよう。早いな、珍しいこともあるもんだ」
デスク上に荷物を置いてすぐ、近づいて来る。
「あの、お忙しいところすみません。少しお話ししても?」
シラフだからか、昨夜くだを巻いてきたときとはまるで様子が違って、それがなんだかおかしかったが、笑うわけにいかなかった。
石森の表情が、真剣だったから。
「ああ、どうぞ?」
デスクの向こう側の華奢な体がピンと伸びて、ガクンと勢いよく折れ曲がる。
「申し訳ありませんでした!」
頭のてっぺんがこちらを向いた。九十度に腰を折っているのだ。
「なんだいきなり。グダグダに酔ったことを言ってるのか?」
昨夜の出来事を石森なりに振り返ったのだろうが、相当酔っていたのは間違いないし、一体どれほど覚えているのやら。
ネクタイを引っ掴まれた場面を思い出し笑いそうになった俺に対して、顔を上げた石森は困り顔だった。
「う、そ、それもですが、その……おかしなことを言ったんじゃないかと」
「おかしなこととは?」
何について『おかしなこと』と言っているのか心当たりはある。
確かめたいのは、石森が、自分の言ったことをどこまで覚えているのかということだ。
もしも覚えていなければ、あの話はなかったことになる。別に、俺が是非にと結婚を望んでいるわけでもないし、取り止めになっても一向に構わない。それで石森の気が収まるのだろうかという懸念はさて置き。
「けっ、結婚してくれとか、言ったような……」
「ああ、言われたな」
別にどちらでも構わないなんて考えながら、記憶に残っていたのだとわかり満足している自分がいる。
話を聞いてやったのに何もかも忘れられてしまったというのなら、あまり気持ちのいい思いはしない。
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