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「俺じゃ、力不足か……」
「違いますっ! そうじゃなくて、上司に頼んでいいことじゃなかったということで、そのっ、課長は問題ありません、ちゃんと素敵ですし!」
自嘲気味の俺の言葉に、おべっかまでつけて返してくれる。
それをいじらしく思って見つめていれば、頰が赤く染まった。素敵です、なんて嘘を言ったせいで動揺したのか。だったらそんなおべっか、使わなければいいものを。
「石森、もう一度訊くが、本当に相手はいないんだよな?」
答えを待つ間、自分でも驚くほどの緊張感に包まれた。居酒屋で訊いたときも付き合っている男はいないのだと聞かされたが、酔っていて適当に答えたとあっては後で大変なことになりそうだ。
「……いないです、けどっ」
「だったら問題ない」
「えっ!?」
思ったより声が響いたのを気にしてか、今更口元を押さえている。そんなことしなくても、この部屋にはまだ俺と石森以外誰もいない。それに響いた声だって、取り消すことはできないのに。
「問題ないよ。石森と結婚することで、俺も『結婚できないなんらかの欠点がある男』から脱却できる。交際0日スピード婚からのスピード離婚。おもしろそうじゃないか」
面白そうだと思ったのは本音。突拍子もない契約を結ぼうとしているのに、なぜかワクワクしている自分がいる。
色恋とは無縁の期間が長くなりすぎたせいで、どこか麻痺してしまったのだろうか。
「課長、本当に、ほんっとうにいいんですか? 私と結婚するんですよ?」
クリンとした目が見開かれ、更に丸くなる。
訊ねられたが、決心は不思議と揺らがない。
多分、約束は守らねばという気持ちが大きいせいで、とっくに腹を括ってあったからだろう。
「ああ、別に構わないよ。承諾したのは俺なんだ」
ネクタイを引っ掴んで迫ってきた居酒屋での態度からは一転、さっきから遠慮してばかりなのが不憫にも思えて、今度は随分優しい人間のような言い方になった。
謝罪のためにわざわざこんな朝早くに出勤したのかと思うと、余計。
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