夫婦ごっこ

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夫婦ごっこ

 昨日、自分から結婚を迫った。もちろんそんなこと、人生初だ。  それを思い出したのは明け方、ふと目が覚めたとき。  ものすごーく幸せな気持ちで目覚めた理由はなんだっけ? と考えてズルズル記憶を引きずり出してみれば、どうやらとんでも無いことをしでかしたことしか思い出せなくて。  朝から血の気が引いて、謝らなきゃ、と思ったらちょっと怖くなった。絶対怒られる。  パンダのぬいぐるみを抱く手にも力が入る。  でも思い出した。以前私が時間を間違えて慌てて出社したとき、始業より一時間以上前だったにも関わらず、浅井課長が出社していたのを。  行くしかない。せっかく早く起きてるし。  普段よりずっと早くに家を出て会社へ向かった。  とにかく謝って、あの話はなかったことにしてもらうつもりでいた。怒られはするだろうけれど、素知らぬ振りでやり過ごすのはどう考えても無理がある。だったら潔く謝ったほうが、と思ったから。  だって、ふざけてるよね?  自分で迫ったくせに、目覚めたあとは冷静で、ちゃんと、おかしなことをした自覚があった。友人を見返してやるために、結婚してくださいなんて迫ったんだから。  それでも「お前が思うほど迷惑に思ってはいないから心配ない」なんて言われてしまったら、それ以上撤回を求め続けるのも悪いような気がして、受け入れてくれるという浅井課長の優しさに甘えることにした。  結婚して、見返してやりたいと思ったのは嘘じゃないから。  その場で軽く取り決めをして、その日の部内の朝礼で何の迷いもなさそうに結婚報告する姿には驚かされたが、その行動力に、デキる上司だと改めて納得させられた。  わざわざ帰り際に声をかけてきたのもきっと、夫婦のフリを徹底しなければと考えてのことだろう。ああ見えて演技上手だ。  頼んだのは私の方なのに、課長は動揺すらしないで夫のフリをしてくれたのだから、肝が座っているというか。  これなら多分、嘘だとバレずに済みそうな気がする。  2人きりになるとからかわれてしまうのは、嘘をつかされているストレスを解消するためかもしれない。  まあ、そんなんで解消できるくらいなら構わない。とんでもないことを引き受けてもらったのだから。  ただ、合鍵を受け取ったときはさすがにドキドキした。なんだか秘密めいた、大人の関係にでもなったような気がして。
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