5221人が本棚に入れています
本棚に追加
/246ページ
私の素直な嗅覚と胃袋が、連動して訴えかけてくる。
「うわあ、美味しそうっ!」
あからさまに目を輝かせ過ぎてしまったのだろうか。だって、キャベツの千切りもちゃんと千切りになってるし、お肉も私を誘ってるとしか思えない艶があって。
ぷっと吹き出すのが聞こえて顔を上げると、黙っている時は怖そうにも見える浅井課長の目が、少しだけ細く緩んでいた。
「食べようか」
「はい! いただきます!」
早速生姜焼きを頬張ると、生姜の良い香りとタレの甘辛さが口いっぱいに広がった。思わず掻き込んだ白いご飯との相性は当然ながらバッチリだ。
「美味ひいっ。浅井課長、料理上手なんでふね、ふごい!」
「ひなた」
間髪入れず、低い声が私を呼ぶ。
「ふあいっ」
返事と共に、ピンッと背筋が伸びる。
なに? 何した私。怒らせちゃった?
「俺は今、浅井恭介個人としての時間を過ごしているんだ。家に帰ってまで課長と呼ぶのはやめてくれないか。それと、食いながら喋るな。感想は嬉しいが」
困ったような顔で笑っている。
これが浅井恭介としての顔、なんだろうか。
「あ、はい。すみません……あの、だから名前で呼ぶって決めたんですか?」
背筋が伸びていても目線は私の方が低い。だからちょっと、上目遣いになった。
「ああそうだ。会社でも家でも課長じゃ、俺だって疲れるよ」
「そう、ですよね! すみません、気が利かなくて」
なんだ、そういう事か。
怒らせたわけでなかったことに安堵する。でも名前を呼ばれて変に意識してしまったのが、逆に恥ずかしい。
仕事とプライベートを分けるため呼び方を変える。簡単だけれどメリハリがついていいかもしれない。さすがデキる男。後で手帳に書いておこうか、なんて。
「じゃあ、失礼して。恭介さん、食べましょう」
「ああ」
初めて呼んだ浅井課長の名前。
ちょっと照れくさかったけど、私の呼びかけに、課長は目を細めた。
最初のコメントを投稿しよう!