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背後にいた英子さんを振り返りつつ、隣のひなたに向き合うよう体を動かした。
「あら、そう? 残念、まだまだ色々聞きたかったのに」
「ちょっと、あたしはまだ帰りまてんって」
口を挟んできたひなたは、誰がどう見ても酔っている。このまま放置は、まずい。
「ちょっとちょっと、浅井課長、まだ帰しませんよお? 新婚なんですから、キスの一つや二つ見せてもらわなきゃ、ね!」
幹事だと張り切っていた割に、特にこれと言った要求も仕切りもしてこなかった川村だが、帰ると言った途端、離れた場所から風のように飛んで来た。
「川村、お前も飲み過ぎじゃないのか?」
「僕ですか? まだまだ余裕っすよ。それより課長、結婚式もしてあげてないんだから、誓いのキスくらいしてあげましょうよ〜。僕ら証人やりますから!」
川村はどうやら、酒を飲むのと俺を冷やかすのとが目的だったようだ。ニヤニヤしながら俺の肩を背後から押さえ込んで、どうあってもこの場でキスをさせるつもりなのだろう。
結婚するまでは浮いた噂の一つもなく、真面目だけが取り柄のような自分だった。それが急に、しかも社内恋愛で結婚などと言うのだから、面白がらずにいられないのもわかる。川村はまだ若いし、そういう話題に飛びついてく流のもおかしくはない年頃だ。
自分にもそんな頃があっただろうかと記憶を掬い取ってみるが、全く網に引っかからない。残念だが。
「あらっ、いいわねえ〜、私キュンキュンして若返っちゃうっ!」
「いやそれは……」
だからと言って、やはりキスなんてできる訳がない。
そもそもする理由がない。俺たちは三ヶ月限定の契約上の夫婦だというだけで、そもそも恋愛感情のれの字もない仲なのだし。
「なんれすか? 恭介さんは、誓いのキスのひとつも出来ない、ヘタレなんれすか! らったら私が誓ってあげまっしゅ」
「え、おいっ」
バシンと両側から頬を挟まれて、真正面で向き合わされた。
浅井恭介、ピンチだ。
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