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キャップを受け取るため差し出された手の方でなく、ペットボトルを持つ手ごと握って、持っていたキャップを被せクルクルと回す。これでソファーに溢される心配はなくなった。
この時、宙を彷徨うひなたの左手を不憫に思ったのかどうか。
自分でもそれはわからなかったが、なぜかその手まで握って体を引き寄せ、昨日初めて触れた唇に自分のそれを近づけた。
俺はキスをしていた。
触れるだけの、純朴なキスを。
一瞬で離れた唇と唇の間に、欲なんてものは存在しない。
ただ、触れたかった。可愛らしい子犬の鼻先にでも触れるように。
だがそんな衝動的な行動を取った自分に驚かずにはいられなくて、慌てて言葉を紡ぐ。
相手は子犬でなく、部下なのだから。
「あー、何か食べるか? それともシャワーでも浴びて着替えるか? 服も昨日のままだし。化粧だって、落としたりもしなきゃならないんだろう?」
いつになく饒舌。慌てすぎなのが自分でもわかる。
立ち上がりながら機関銃のように喋り続け、何をするわけでもないのにキッチンへ逃げた。
「……あ、はい……着替え、ます」
さっきオヤジのような唸り声を上げたのとは全然違う、か細い声。
「それがいい。今日はのんびりしよう」
「あ、はい」
チラと視線をやれば、リビングの隅に置かれた荷物を持って踏み出した足を、どちらに向けるべきかで悩んでいる。
ベッドルームを通っても、キッチンの脇を通ってもバスルームへ行くことができる回遊式だ。けれど、キッチンの脇を通る方が自然だろう。
同じことを考えたようで、ひなたの足がこちらに向いた。だが顔は伏せたまま。
どうやら気まずい思いをさせてしまったらしいが、こんなことをするつもりでなかった俺としても同じく気まずい。
この後どうするか、ひなたがシャワーを浴びる間、よく考えねば。
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