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――数年後。
「今日はもう店仕舞いかなー」
生憎の雨模様。
ここは遺跡調査都市ローラニアの一角に存在する『シェルツ工房』。
工房、と言っても武器や防具以外にもポーションや弾薬といった、消耗品の販売もしている。
総じて道具屋としての側面が大きく、世間的にシェルツ工房は意外な道具や珍しい品が売られている道具屋……と認識されているみたいだ。
僕はそのシェルツ工房で店番を任されているスヴェン・エールリン。
店番だけでなく、売り上げの管理や買い取りの査定、仕入れも僕の仕事だ。
今日は朝から続く雨で客数は少なく、この後もお客さんは来そうにないので、もう閉店作業に移ろうかと考えていた。
「師匠―! この天気だとお客さん来そうにないんで、もう店閉めちゃいますねー」
大声で奥の部屋……アトリエにいる師匠に声をかける。――しかし、返事がない。
「師匠―! ……もう。またガラクタ弄りしているのかな……」
僕は奥のアトリエに入ろうと、カウンターの後ろに移動しようとした。――その瞬間だった。
「――もう店仕舞いか?」
男の声がした。
弾かれたように入り口に振り返ると、そこには頭からすっぽりとフードを被った長身の男が立っていた。
防水加工が施してあるのかフードと一体となったコートは、雨の中を歩いてきたにしては殆ど濡れていなかった。
……ここまでの撥水性は恐らく魔術加工が施されているのだろう。地味な見た目の割に、かなり高価な防雨コートだ。
旅人の装備として防雨コートは必需品、とまではいかないけれど、あると体が濡れるのを防ぎ、余計な疲労を溜めなくて済む。あると便利な装備だ。
「――申し訳ありませんでした。まだ営業しています」
全く気配を感じなかった。いつのまに店内に入っていたのだろう。ドアの軋みさえ聞こえなかった。
「あの、預けていた装備の修繕、終わっていますでしょうか?」
今度は女の人の声だ。
長身の男の背後から、ひょこっと今度は少し小柄な人影が現れた。男と同じような、防雨コートを羽織り、やはり顔はフードで隠れていた。
高級品を二着も……。僕は瞬時に身に着けているものの価値を値踏みする。
店番をするようになって師匠に鍛えられたスキル。モノの本当の価値を見抜く、品物の買い取りもしているシェルツ工房の店番として、必須の能力だ。
普通の人の目には地味で安価そうに映る防雨コートも、僕の目にかかればかなりの価値があることは見抜けてしまう。
いや、今はそんなことよりお客さんの話だ。僕は瞬時に頭の中に記憶している修理依頼の帳簿を開く。しかし、思い当たらない。
「お預かりした……?」
はて、そんなものがあっただろうか?
「ああ、あれならさっき終わったばかりさ」
少し悩む僕を無視して、奥のアトリエから声が聞こえた。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
アトリエから現れたのは、僕と殆ど歳が変わらない……ように見える女性。
僕と同じくらいの身長で、珊瑚色のショートヘアを後ろで二つ結びにしている。しかし彼女こそがこの工房の主、アルマルガ・シェルツ。
僕の師匠にして、死にかけていた僕を拾い、育ててくれた命の恩人でもある。
「師匠、ずっと返事がなかったのに……」
いくら声をかけても反応が無かったのに、突然出てくるなんて。しかも――。
「――帽子はいいんですか?」
師匠の傍に寄り、小声で話しかける。
普段人前に出る時は大きなハンチング帽を欠かさないのに、今日はかぶっていない。そのせいで……。
人間とは違う、大きなとがった耳が露出していた。
そう、師匠は人間ではない。ドワーフだ。だから僕よりもずっと年上なのに、同じくらいの年齢にしか見えない。
……実際の年齢は教えてくれないけど、たぶん相当年上だと思う。以前、本当の年齢を聞いたらぶん殴られたので、それ以来聞いていない。
鍛冶の技能に非常に長けた種族で、ドワーフが鍛えた武器、防具は超が付くほどの一級品とされている。
だけど、ドワーフは人間と交流を断っていて、人間の前に姿を現すことも、製造品が人間の市場に流通することも殆ど無い。
それなのに、今師匠は人前に正体を隠さずに、姿を現していた。
「いいんだよ、スヴェン。――このお客さんも似たようなもんだから」
「それって……?」
「それよりも店に鍵をかけて、カーテンも閉めてくれ」
「は、はい!」
僕の質問には答えず、閉店させるように指示され、言われた通りに入り口に鍵をかけて窓のカーテンを閉める。
今日は雨で日光があまり店内に差し込まず、暗かったのでランプ照明は点けてあるので、室内は暗くはならない。
外からの視界が遮られただけだった。
「よし。――あんたら、そのフード息苦しいだろ。外しちゃいな」
「し、しかし……」
異論を唱えたのは背が低い方の、女性の声の主だった。フードの中から僕に対しての視線を感じる。
「大丈夫だよ、コイツは人間だがアタシの弟子だ。口は堅い」
師匠に促され、二人組はゆっくりとフードを下した。
なるほど……。姿を隠す理由が分かった。
二人組は浅黒い肌に、銀色の髪。そして――長い耳。
男の切れ長の瞳は、僕の心を見通すような光を宿している。
背が低い方はやはり女性で、少女のように見える。
「ダークエルフ……」
僕は思わずつぶやいてしまった。
ダークエルフ。人間とは異なる種族。人間嫌いで知られるダークエルフは、ドワーフと同じく人間の前に姿を現すことは極稀だ。
それが今、僕の目の前に二人もいる。
「ドワーフのあなたが、人間と生活しているとは――」
男の氷のように冷たい視線。室内はまったく寒くないのに、僕は寒気を感じてしまうほどだった。
人間嫌いで知られている種族だ。僕のことも忌々しく思っているのだろうか。
「まぁこの子に関しては、成り行きというヤツさ。――村を焼かれ、家族を殺され、死にかけていたところを拾った。今はアタシの仕事を手伝ってくれる大切な助手であり、アタシの技術を受け継ぐ弟子さ」
そう言って師匠は僕の頭の上に手を置いた。
「――そうか。すまなかったな、少年」
一瞬だけ、ダークエルフの男の目に温かな光が宿ったような気がした。けど、直に僕から視線を逸らしたので、よく分からなかった。
「それより依頼した品物は?」
「ああ、さっきも言った通り、バッチリ仕上がっているよ」
師匠が一振りのロングソードを取り出した。
いつの間にあんなモノを――。
数日アトリエに籠っていると思っていたけど、アレを修繕していたのか。とはいえ、剣一振りで随分と時間がかかったような……?
剣を受け取り、ダークエルフの男が鞘から抜き放つ。
――息を呑んだ。
なんて、なんて美しい剣だ。
装飾は少なく、柄や鍔はごくシンプルだけど、刀身の煌めきは息を呑むほど美しかった。
照明の僅かな光を反射する輝き――あれはクガート鋼? いや、それ以上の希少金属だろうか。僕も見たことが無いほど、上質な金属で作られたロングソード。
「騎士の……剣」
思わず言葉が零れた。
そう、あれは騎士の剣。
戦闘を専門とする職業は数え切れないほど存在していて、騎士はその中でもトップに君臨する戦闘力を持っている、と言われている。
優れた武術と魔術を同時に修め、あらゆる戦場の最前線で戦う。
その騎士の強さを支えるのは、厳しい修練でも優れた魔術でもなく、身に纏う装備だ。
クガート鋼と言われる希少金属から作られた武具は、通常の鋼鉄などとは比べ物にならないほどの強度を誇る。更に魔力との相性に優れていて、魔術式を刻み込むことで身体能力だけではなく、あらゆる攻撃からの耐性を大幅に高めることができる。
魔術式を刻み込まれた鎧を纏った騎士に対して、対抗できるのは同じ騎士だけ、とまで言われている。
でも、騎士の装備も欠点はある。
それはコストだ。
ただでさえ希少で非常に高価なクガート鋼の加工難易度は高い。それを加工する技術は大昔にドワーフから伝わった。しかし、ドワーフが人間との交流を経って幾星霜……。人間でその技術を受け継いでいる工房は少なく、さらに刻まれた魔術式は永遠ではない。
使用するほど魔術式は摩耗していき、定期的に刻み直す必要がある。刻み込むには魔力鉱石を砕いた粉末を使用するなど、それだけでも莫大な費用が必要になる。
つまりは、製造にも維持にもとんでもない金額がかかる。――それが騎士の装備だった。
僕も滅多にお目にかかれない代物に、心が奪われていた。
「やはり、あなたを訪ねて正解だった。――魔術式も完全に元通りだ」
「そりゃあそうさ。鎧の方も完璧だよ」
ふふん、と小さな胸を張る師匠。
「どうだい? 鎧の方も確かめておくかい?」
「そうだな――」
男が言うと、魔力をロングソードに込め始める。次の瞬間、光が男を包み込み、光が消える頃にはそこに白銀の騎士が立っていた。
白銀の全身鎧、蒼い外套、盾には天秤の紋章。兜はバイザー付きのフルフェイスで、着ているとダークエルフだということは分からない。
転送魔術。
剣に刻まれた魔術式の一部に魔力を流し込むことで発動し、騎士の鎧を呼び寄せることができる。この魔術の進歩により、騎士は大仰な鎧を着て歩く必要がなくなった。普段は剣だけ携帯し、必要な時に呼び出せばいい。
ロングソードを見ただけで何となくわかっていたけれど、鎧も超が付く一級品だ。剣と同じで見たことも無い希少鉱石から作られた鎧は美しく、白銀の装甲はしなやかでありながら、竜の牙さえ通さないという頑強さを感じる。
「……すごい鎧……」
それしか言葉が出ない。数年とはいえこの工房で店番をしてきたけれど、こんなすごい武具は見たことがない。
「そうだろう。アレは、アタシの昔馴染みが打った剣と鎧だ」
「私にこの剣と鎧を託したドワーフは、ローラニア近くを通った時はあなたに修繕を頼むといい、と言っていた」
「騎士団の鍛冶師じゃ完全なオーバーホールはできないだろうからねぇ。――とはいえアンタ、相当腕が良いんだろう。思ったほど痛んじゃいなかったよ」
「……鎧が良いだけだ」
「そんなことはないさ。ドワーフってのは武具を見るだけで、持ち主がどんな風に使ったか、どうやって戦ったか分かっちまうんだよ」
「……そうか」
「――随分と過酷な使命を背負っているじゃないか……」
「それこそ成り行き……いや、僕が選んだ路だ」
「そうかい。――後悔が無いなら、いいことだ」
「世話になった。代金を」
「はい」
話を黙って聞いていたダークエルフの少女が一歩前に出る。……少女と言っても、ダークエルフも長命の種族。見た目は少女でも、師匠と同じで実際の年齢は、僕よりずっと年上だろうけど……。
「お代は要らないよ。昔馴染みの剣と鎧に触れることができた。それだけで満足さ」
「しかし……」
「そうですよ師匠、騎士の武具の修繕なんて無料で受けていたらウチは破産しちゃいます」
ダークエルフの少女の困惑の言葉に重ねるように、僕も抗議した。
「はっはっは、厳しいねぇ。じゃあ……」
師匠は笑って少女が持っている革袋から、金貨数枚を抜き取った。
「これだけ頂いておくよ。剣と鎧の打ち直し、魔術式再刻印の代金」
それでも安すぎる気はするけど、まぁ赤字にはならないかな……。
「なあ、この鎧を打ったヤツは……。今も鎧を打っているのかい?」
師匠が発した言葉は、どこか懐かしむような声だった。
「いや、これが最後の騎士鎧だそうだ。……二度と騎士の鎧は打たない、と」
「そうかい……」
「次はアクセサリーを作ると言っていた。剣や鎧を打つより、繊細で難しく――愉しいそうだ」
「あっはっは、アイツらしい! はっはっはっは!」
今度は笑っている。心の底から、楽しそうに。
「ありがとう、名も無き騎士サマ」
「こちらこそ。最高の仕事に、感謝を」
再び白銀の騎士が光に包まれ、気付くと剣だけを残して鎧は消え、ダークエルフの男が立っていた。
鎧は転送魔術で彼らの拠点に送られたのかな。
「失礼する」
二人はフードを被って踵を返した。僕は慌てて工房の入口へ走り、ドアの鍵を開けた。
「ありがとう、お弟子さん」
少女の声は綺麗で、見た目以上の色気があり、思わず僕の胸は高鳴った。
工房を出て、雨の中へ消えていく二人。直ぐに姿だけでなく、気配も感じることができなくなった。
隠密の魔術の類を使ったのかもしれない。だから工房に来た時、気配を感じなかったのかも。
店内を振り返ると、師匠が金貨をポケットに押し込む瞬間だった。
「あっ! ダメですよ師匠! 売り上げをくすねないでください!」
「いいじゃないか、アタシが受けた仕事だ」
「そうかもしれませんけど、鎧の修繕に使った鉱石やらの消耗品は工房の経費なんですから」
「ケチくさいねぇ……」
「さっきは『お代は要らない』って言っていたじゃないですか」
「でも目の前に金貨があれば欲しくなるのが普通ってもんだろ」
「駄目ですよ。……まったく、僕が帳簿つけていなかったら、今頃この工房は火の車ですよ……」
日頃どんぶり勘定も甚だしい師匠に対して、嫌味を言いつつ金貨を受け取る。
「それにしてもいつの間に、騎士装備の修繕依頼なんて受けたんですか?」
「数日前、スヴェンが買い出しに行っている間にさ」
「もう、なら一言声をかけてくれてもいいじゃないですか」
「悪い、悪い。あんまりにも良い剣と鎧だったんで、つい夢中になっちまってさ」
師匠の知り合いが打ったという、剣と鎧。何か思うところがあったんだろうか……。
「――師匠はもう、騎士の武具は打たないんですか?」
「……ああ、アタシはもうアレは引退した。あんな古臭いものより、今は新しいモノを打ちたいんだ」
そう言って師匠は少しだけ懐かしいような、寂しそうな目をしていた。飽きただけなのか、もっと他に理由があるのか。師匠は教えてくれない。
そういえば、僕は師匠の過去を殆ど知らない。
教えて、くれない。
「そんなことより、今日は大金が入ったんだ。いい酒を買ってきておくれ。それに上等な肉もな。派手にやろう!」
「あっ、ダメですよ。そうやってすぐ浪費するのは!」
でもそれはきっと些細なことだ。
師匠は僕を拾ってくれた。
生かしてくれた。
生きる術を教えてくれた。
それに。
今、僕はこの生活が大変だけど、とても楽しい。
それでいいじゃないか。
「じゃあ今度こそ店閉めますねー」
ドアにかかる『OPEN』の札を裏返し『CLOSED』にする。
ドワーフがいる道具屋、本日の営業は終了です。
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