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第三章 4
暴対法は、指定団体と世間の関わりをあまねく禁じている。神社仏閣も例外ではない。だが漣家菩提寺の住職は、暴対法施行から五年後に義生が逝去した際も、迷いなく供養してくれたという。
一志については、刑死という経緯もあり受けて貰えるか不安だったが、杞憂に終わった。執行日の夕方、優次が連絡したときには既に、住職は都内で宿をとっていた。
精進落としで、実は一志を担当していた教誨師と旧知の仲なのだと打ち明けられた。一志が教誨を受けていたとは初耳だった。
都心から電車に揺られて二時間弱、優次は寺を訪れた。四十九日で納骨に来たときは一面の銀世界だったが、今日は白木蓮のつぼみがほころびかけていた。
庫裏に顔を出したが、住職は留守だった。優次は坊守に手土産を渡し、墓地に向かった。
四季折々の花木に彩られた霊園の北端に、漣家の墓があった。優次は他の墓参者たちとすれ違うたび会釈しつつ、一志と義生が眠る墓を訪れた。冷たい水にタオルを浸して墓石と墓誌を清拭するうち、指先がしびれてきた。
墓誌に刻まれた真新しい戒名を、優次は感覚が無くなった指でなぞった。「志」の一文字以外に面影のない文字面は、遺体や遺骨と同様、一志の思い出を喚起しなかった。
仏花を供え、香炉皿に線香を寝かせて置いて、優次は合掌した。瞑目し、守屋の冤罪事件の顛末を、一志と義生に報告した。
笠居が優次に託したUSBメモリには、事件現場の動画が二本収められていた。一本目は死亡推定時刻、狛犬の下にハードディスクを置いた浦住が、振り向きざま男に撃たれて絶命する場面。優次はその男の顔に見覚えがあった。カジュアルな装いで一見わからなかったが、河川敷でたびたび見かけた、マヘーンドラ帰依教の信徒に間違いなかった。
もう一本は、日が昇ってから、二村が拝殿わきの茂みにモーゼルを放り投げるシーン。凶器偽装の決定的な証拠だった。
一旦は起訴された守屋だったが、捜査本部の本城ら組対サイドが追加提出したこれらの証拠により、起訴取り消しとなった。釈放された守屋は二村を絶縁しようと行方を捜したが、二村は再び姿を消していた。優次をさらい損ねたことで安威川組の怒りを買い、消されたのだろうと噂されていた。
優次は立ち上がり、姿勢を正した。こうして墓参しながらも、一志がここに居るという実感はまるで湧かなかった。
思い返せば、アクリル板を隔ててしか接することが出来なくなった一志は、存在感が希薄だった。優次が毎朝対話を重ねたのは、アクリル板の向こうの相手だったのだろうか。
優次の胸に今なお息づく、「一志」という信仰ではなかったか。
「雨岸先生」
ふいに背後から呼ばれ、優次は驚いて振り向いた。仏花を手に、笠居が立っていた。
「笠居刑事……」
思いがけない再会に、優次が目をみはった。
守屋の件がひと段落して以来、優次は笠居を探していた。まずアパートを訪ねてみたが、笠居は既に引っ越していた。次に三鷹署へ照会すると、異動したとのことだった。もちろん異動先は教えて貰えず、仁見に話したら、「そりゃ、あんなネタばらしちまったら公安はクビだろ」と同情していた。仁見から「探してやろうか?」と持ちかけられたが、私的なことで手を煩わせたくないと固辞した。
笠居の長躯に、黒のステンカラーコートがよく映えた。男は墓前に立ち、「線香、上げさせてもらっても?」と優次に聞いた。
「あ……はい、よかったら」
動揺を隠し切れない優次の前で、笠居が墓に花を供えた。長い脚を折りたたむようにしゃがみ、線香に火を灯す。
冷たい墓石よりも、手を合わせる笠居の方に、優次のなかの「一志」が共鳴した。思わず「兄ちゃん」と漏らした優次に、笠居がぴくりと反応した。
「……あっ、そのっ、ごめんなさい」
優次は泣きたいような思いに駆られた。この男は一志ではない。血を分けた兄弟の可能性があるだけの別人だ。だが、男のまとう体温が、静かな息遣いが、「一志」を鮮やかによみがえらせるのだ。
笠居は二村たちの襲撃から優次を守り、正気を失いかけた優次を助け、自らのキャリアを犠牲にして守屋を救ってくれた。礼を述べるべきだとわかっているのに、優次はただ、目の前の男を見つめることしかできなかった。
一志ではない男が、優次を見つめ返した。
「ずっと考えていました」
ああ、なぜ、声まで同じ――。
「先生に言われたことを、ずっと。先生が言った通り、オレに『大事な人』は居ません。でも……」
男の言葉を、優次は息を凝らして待った。
「大事にしたい人なら居ます。オレが一方的に執着しているだけの、独りよがりな思いだ」
男がちらりと墓誌を見下ろし、再び優次と目を合わせた。彫りの深い、極夜の双眸は優次を捕らえて離さない。立ち尽くす優次を、男がはばかるような声で「先生」と呼んだ。
「オレが公安畑で最初に担当したのは、日本民主法曹団だった」
懐かしい言葉に、優次が「えっ」と声を上げた。暴対法反対派の母が、数少ない同志と連携するために身を寄せた団体だ。
「監視対象者は雨岸愛実先生で……だから、あんたのことも、ずっと見ていた」
衝撃の告白に、優次は絶句した。母がしばしば、「電話に変なノイズが入る」と気にしていたのを思い出し、今更合点がいった。
見張られていたとわかっても嫌悪感がないのは、優次がこの男を「依り代」にしてしまっているからだ。アクリル板越しに捧げつづけた祈りが、突然向け先を喪って、目の前の男に不時着した。あたかも一志に見守られていたような錯覚が、優次を甘くむしばんだ。
「いつも思いつめた顔で机に向かっているあんたが、漣一志について語るときだけ見せる表情が好きだった」
一志から、面と向かって好きと言われたことはなかった。恍惚とする優次に、男はなおも述懐した。
「法務省に司法試験の合格発表を見にきたときの、あんたの笑顔――」
男が言葉に詰まり、ややあって「なあ、先生」と優次の手を取った。
「漣一志を一途に思う、あんたが好きだ。あんたが心に描く相手が、オレと同じ姿形だと思うだけで、堪らなくなった」
熱っぽく手を握られながら、優次はきょとんとして男を見上げた。
――この男は、誰だろう?
「オレを、あんたの漣一志にしてくれていい。あんたにとってオレの価値が、この身に流れる血だけでも構わない」
どこか既視感のある告白を聞きながら、優次は男にまじまじと見入った。
この男は、一志ではない――はずがない。
優次の愛しい、心の寄る辺だ。
「先生、せんせ……ユウ坊」
男が優次を抱きすくめ、祈るように呼んだ。優次は男の心音に耳を澄ませて、「おかえり、兄ちゃん」とささやいた。
一志の公判が始まる前、優次がまだ大学生だった頃、東京拘置所の面会受付でしばしば女性同士の小競り合いを目にした。弁護士を除き、未決囚の面会は一日一人と制限されているため、一志に会いにきた女たちが争っていたのだ。見るからに「夜職」の女も居れば、女子大生やOLといった風采の娘もみられた。
そんな女たちが何人来ようと、優次が訪れれば、一志は必ず優次を選んでくれた。受付で面会票を受け取る優次に、女たちは般若の形相を向けた。
そんなことを思い返しつつ、優次は一志のまだ柔らかいものを口に含んだ。一志は専門書が散乱するヘッドボードに背をもたれ、長い両足を投げ出した。優次の狭いベッドが二人分の体温を孕み、閨の濃密な空気を醸した。
優次は唇と舌、口腔の全てをつかって懸命に奉仕した。
「っふ……ん、む……」
陰茎を口いっぱいに頬張って、裏筋に舌をぴったり添わせる。喉奥の限界まで咥え込み、唇をきゅっとすぼませて、頭全体を小刻みに動かす。そうするうちに、口のなかに独特の生臭さと苦みが広がった。優次は長さのある陰茎をするする口から引き抜いて、亀頭をちゅぽん、としゃぶって吐き出した。
「ねえ、兄ちゃん、きもちいい?」
芯を持ちはじめた竿の根元を指先で支えて、張り出した亀頭に息を吹きかけた。一志は優次を半開きの眼で見つめ、「ああ……」と低く喉を鳴らした。肯定に胸がときめき、優次は再び奉仕にいそしんだ。
ぐんぐん硬さを増すペニスに夢中で舌を這わせていたら、一志が優次の髪を撫でて、「おい」と呼んだ。優次はペニスを咥えたまま、「なあに」と聞いた。次の瞬間、一志が優次の腰を両手で掴み、軽々と持ち上げて、自分の顔をまたがせた。一志が寝そべる枕に両膝をつき、四つ這いで一志の屹立に額(ぬか)ずく、シックスナインの体勢だった。
「に、兄ちゃん、なにを……あッ」
優次の陰嚢が、熱く濡れた粘膜につつまれた。一志はまず袋全体をぱくりと口に含み、しぼんだ皮を吸い上げながら、なかの睾丸を舌の上で転がした。
「あっ、やんっ、ああんっ……」
優次が思わず声を上げると、一志の笑みが愛撫を介して伝わった。目の前には一志の隆々とした屹立があり、奉仕をつづけなければと焦るのに、敏感なところへ注がれる熱に気をとられて全く集中できない。かろうじて舌を伸ばしたものの、熟しはじめた陰嚢を一旦吐き出され、外気のひやりとした感触に不意を衝かれて固まった。
「ここ、好きだろ? ユウ坊」
色っぽい低音でからかわれては、ひとたまりもなかった。左右の睾丸を唇の先でかわるがわるしごかれて、優次は「あっ、あっ」と浅ましく喘いだ。
一志にかわいがられる袋の前で、まだ少しも触られていないペニスが頭をもたげた。優次は深呼吸で快感を逃がし、一志の逸物を再び咥えた。だがすぐに、アヌスのふちをぬるりとした感触で撫でられて、「ふあんっ」と悲鳴を上げた。
「……嫌か?」
小さな穴の周りを指先で撫で回しながら、一志が聞いた。周縁の浅い皴(しわ)をなめすような愛撫に、優次の腰が粟立った。
「い、いやじゃない……けどっ、久しぶり、だから……っ」
そういえば、一志と最後に交わったのはいつだったか。公判はいつ始まったのだろう。ここに居るということは、保釈されたのか。しかし母からそんな話は聞いて――。
「ユウ坊」
優次の頭にかかった靄が、一志の呼び声でさっと晴れた。
「ご……ごめん、兄ちゃ……っあッ!」
一志の中指が、優次の隘路に潜り込んだ。武骨な指がまとうぬるみはワセリンだ。優次の前に、たびたび生傷だらけで現れる一志のための常備薬。――手当の必要がなくなっても、手放せずにいるものだった。
優次は再び奇妙な感覚に囚われそうになったが、一志の中指に浅いところをまさぐられ、
たちまち意識がベッドに戻った。
「あっあっ、あーっ……」
ささやかな隆起を指先でつつき回されて、優次は嬌声を喉に詰まらせた。同時に、腹につきそうなほど勃起した陰茎を、トントン、と赤子をあやすようなリズムでしごかれた。ぱんぱんに張りつめた陰嚢をついばまれた瞬間、優次は「兄ちゃあんっ」と慈悲を乞い、絶頂した。ぱたぱたっ、と微かな音を立てて、優次のとばしりが一志の胸に滴った。
「はぁ……はぁ……はっ……」
膝をがくがく揺らし、優次は崩れ落ちそうな身体を必死に支えた。すぐに温かな腕が伸びてきて、優次をベッドに横たえた。
こうして覆いかぶさられる瞬間が、優次は何より好きだった。これから一志のものにして貰えるのだという、期待と幸福で胸がいっぱいになる。降ってきたキスを夢見心地で受け入れて、優次は一志の首にかきついた。
互いの口腔を舌で行き来する間、一志は優次の太腿の裏を掴んで、大きく足を開かせた。「そのまま開いとけ」とくちうつしで命じられ、優次は「うん」と唇伝いに返した。
開いた足の中心から、一志の利き手の中指が再び侵入してきた。つぷん、と微かな引っ掛かりはまだあったが、優次のアヌスは先ほどより柔らかく一志の指を迎え入れた。最初の絶頂を経て、浅いところのふくらみが丸みを帯びていた。その円周をたどる指先の動きが、優次の下肢にじわじわと熱を集めた。
深かったキスが、唇の表面をこね合わせるくちづけに変わった。一志は優次の前立腺を執拗にいじくりながら、優次の唇から頬、耳元へとキスを移ろわせた。
「……気持ちいいか?」
どこか不安げな響きに違和感を抱いたのは、一瞬だけだった。優次がうなずくと、一志は再び深く交わるキスをくれた。
内側からのオーガズムを煽られながら舌を吸われて、優次は切なげな声を漏らした。二度目の射精を求めて、ペニスは既に芯を持っていた。優次が自ら勃起に手を伸ばすと、優次の手ごと一志が握り込んだ。前回とは打って変わって、反り返った竿を下腹部に押しつける強引な愛撫だった。ぐりぐりと容赦なく圧力をかけられて、優次のペニスは早くも二度目の吐精に至った。
ほぼ時を同じくして、さんざん蓄積された前立腺への刺激が閾値を越え、弱い電流のような雌の絶頂が優次の身体を駆け抜けた。
「ふぁ、あ、は……っ」
尿道に残った僅かな滴りまで搾られて、優次が切なげに身をよじった。アヌスに埋もれた一志の指は、依然としてまるいふくらみをいじり回した。じんわりと持続するオーガズムにたゆたい、優次はうっとりと喉を反らせた。一志がキスを解き、優次の喉仏を甘噛みした。
ぬちぬちと、淫靡な音がベッドシーツを伝った。いつしか一志の人差し指も優次のなかに入り、二本の指がはさみを切るような動きで隘路をほぐしていた。体温で緩んだワセリンが内壁になじみ、熱くとろけた粘膜が一志の指を舐めしゃぶった。
「兄ちゃん……にいちゃ、ん……」
愛撫に身をゆだね、優次が恍惚と呼んだ。丹念に指を動かす間、一志は優次の耳や首筋、胸元などに無数のキスをくり返した。
上気した肌に薄く色づいた乳首を唇に含まれ、小さな粒を歯列のあわいですり立てられると、もどかしい快感が優次のなかにくすぶった。一志の指を咥えるすぐ上でペニスが緩い角度を持ち、頼りなげに揺れていた。さすがに三回目とあっては沸点まで未だ遠く、内側からの刺激と上半身への愛撫のみでは、焦れったさばかりがつのった。
優次がふと視線を落とすと、一志の長い太腿の間に、堂々たる屹立がうかがえた。長さも太さもある逸物は、先走りで濡れ光っていた。優次はごくりと生唾を飲み込み、「にいちゃあん」と甘え媚びた。
「にいちゃ……ん、もう、いれて」
拗ねたように尖らせた唇でキスを誘い、優次がねだった。キスはすぐに与えられたが、間近に捉えた一志の顔は、困ったように眉根を寄せていた。
「まだ、だめだ。痛い思いさせたくねえ」
ちゅくちゅくと二本の指を抜き差ししながら、一志がさとした。優次は「やだ、もう欲しいもん」と駄々をこねてすすり泣いた。
「にいちゃん、おねがい、おねが……」
優次の懇願は、一志の舌に絡めとられた。熱くて長い舌が優次の口腔を泳ぎ、舌先で奥歯をつついた。親不知を抜いた後の陥没が埋まり切らない、ぽつんと空いた穴をえぐられた瞬間、優次の腰が大きく跳ねた。
「ひぁああっ……!」
途端にそそり立った優次のペニスが、一志の腹に突き当たった。不意にもたらされた直接の刺激を、優次は浅ましく腰を揺らして貪った。一志は一瞬戸惑ったように静止したが、舌先を再びくだんの陥没へ戻した。
「んっ、む、に、にいひゃ……ッ」
抜歯痕を舐められながら、優次は一志の腹の上に熱を放った。白く透き通った精液が、一志の割れた腹筋をさらさらと濡らした。
一志の長い指が、粘液にとろむ穴から出ていった。突然ぽっかり空いた内腔が収縮する間もなく、熱の塊が優次のなかを満たした。指とは比べ物にならない圧迫感が、にわかに優次の呼吸を奪った。
「……ユウ坊」
挿入をなかばで一旦止めて、一志がささやいた。「苦しくないか?」とくちうつしで問われ、優次はかぶりを振った。気遣う声の響きがともなう、漠然とした違和感――。
「き……キス、して」
優次がねだるだけ、欲しいだけ手に入る、愛しい人のくちづけ。下腹部いっぱいに一志の熱を、確かな存在を実感しながら、優次は目の前の温かい身体にすがりついた。
呼吸を分かち合うキスのかたわら、一志が優次を深々と穿ち、おもむろに突き上げた。緩慢な揺れのなかで、一志の亀頭が内壁越しに精嚢を突くたび、優次の萎えた陰茎の先端からピュク、ピュクッと白いしぶきが噴いた。
ほどなく、優次の身体の芯から、じんわりと温もりが伝播した。キス越しに聞こえた一志の押し殺した喘ぎが、優次の胸を切なく締めつけた。最奥に注がれた億のいのちが――愛しいひとの、いのちのたねが、優次を官能の境地へ追いやった。
柔らかくなった陰茎を優次のなかに留めたまま、一志が優次を抱き締めた。顔じゅうに淡いキスの雨を降らされて、優次はこそばゆさに身をよじった。
一志の肩越しに、古いポストカードが見えた。一志が海外から送ってくれた年賀状だ。荒涼とした戦地で、鉄条網の防衛ラインを背に、ぼろの戦闘服をまとった一志が立っていた。ライフルを背負い、しゃれこうべを抱えて。
「せ……」
目の前の男が何事か言いかけて、優次の頬に手を当てた。写真の一志と同じ、黒く澄んだ瞳のなかに、優次の顔があった。みっともなく涙を流す自分を見ていられず、優次はぎゅっと目を閉じて顔を逸らした。
とめどなく伝い落ちる涙を、男が唇で拭った。優次が再びねだったキスは、塩辛くて、温かかった。
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