プロローグ

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 霊峰のふもとに建つ、白亜の神殿。ブラウン管に映るカルト教団本部は、不気味な雰囲気を醸していた。都内で二日前に発生した無差別テロ事件への関与が疑われ、強制捜査が入ったのだ。築地総合病院の病棟で、笠居(かさい)寛人(ひろと)は父のパジャマの裾を握り、「あれが、あくのアジト?」と聞いた。父は「そうだ」とうなずいた。  霞ヶ関で働く父は、通勤途中で事件に遭遇した。地下鉄車内で散布された有毒ガスの被害を受けて、病院に搬送された。幸い症状は軽く、本日中には退院の見込みだった。同じく被害を受けた父の同僚には、未だICUで治療中の重傷者もいるという。  純白の社殿を、藍色のかたまりがみるみる覆い尽くした。鉄兜に大盾、出動服と、ものものしい装備に身を包んだ機動隊員たちだ。 「あれは?」  寛人が尋ねると、父が微笑んだ。 「正義の味方だよ」  中継のカメラが、隊員らの精悍な面差しを映し出した。  それから十四年が経ち、二〇〇九年四月、寛人は警視庁小伝馬署警備課公安係に配属された。高卒で入庁して二年、公安警察官として初の任務は、左翼法曹団体「日本民主法曹団」の女弁護士・雨岸(あまぎし)愛実(まなみ)の監視だった。  愛実は暴対法反対派の急先鋒に立ち、暴力団組員の弁護を精力的に手がけていた。とりわけ指定暴力団「(さざなみ)組」との関わりが深く、この女を監視すべきは公安よりマル暴ではと首をかしげたほどだ。  漣組は、伝説の博徒と謳われた(さざなみ)義生(よしき)を慕う男たちが集まり、自然発生的に立ち上がった一本独鈷(どっこ)の団体だった。組員約百人と規模は小さいが、カリスマ組長に男惚れした精鋭たちの集団は、斯界(しかい)で一目置かれていた。一九九六年に、国内最大の広域暴力団・安威川(あいがわ)組との抗争で義生が非業の死を遂げた後も、組員たちは十年以上にわたって泉下の親父(オヤジ)に忠誠を誓いつづけていた。  寛人が愛実を監視したのは、愛実が乳がんで急逝するまでの一年間弱だった。当時、愛実は義生の養子・(さざなみ)一志(かずし)の弁護に奔走していた。一志は二〇〇六年元旦、安威川組本家の事始(ことはじ)めに乱入し、組長以下最高幹部八名及びボディガード三十名を射殺した。十年越しで、義生の仇を討ったのだ。  寛人は漣一志に個人的な思い入れがあった。  事件当時、テレビは連日、一志の生い立ちや漣組・安威川組の因縁、事件関係者の相関図などを盛んに報道した。「ヤクザの養子」として遠巻きにされていた幼少時。仇討ちのために戦闘技術を身につけるべく、中学を卒業してすぐ海外へ渡り、年齢を偽って戦争に参加した傭兵時代。八年後、満を持して帰国し、虎視眈々と復讐の機会をうかがった潜伏期間。紹介された写真は僅かだったが、いずれも険しい表情で写る一志は、百八十センチを超える長躯も面差しも、気味が悪いほど寛人にそっくりだった。  世界には同じ顔の人間が三人存在するというが、そんな都市伝説がよもや自分の身に降りかかろうとは思いもしなかった。街中で、通行人に仰天されたことも一度や二度ではない。事件のほとぼりが冷めるまで、寛人は伊達眼鏡でカムフラージュを余儀なくされた。  事件があった年の秋に受けた警察官採用試験でも、この顔が支障をきたすのではと、寛人は気が気でなかった。幸い、面接で容姿に言及されることはなく、無事合格できた。後に聞いた話だが、採用担当者たちは寛人の履歴書に貼られた顔写真に絶句したという。一般市民の誤解を招きかねないと、警務部や地域部などは難色を示した。一方、刑事部と組織犯罪対策部は、かえって利用価値があると乗り気だったそうだ。  漣一志の仇討ちは、日本の刑事裁判において前例のない大量殺人事件だった。被害が甚大だったため、捜査は十カ月間にも及んだ。更に三年間近い公判前整理手続を経て、二〇〇九年十一月にようやく初公判を迎えた。  年明けすぐに判決が言い渡され、二週間後の控訴期限をもって一志の死刑が確定した。  シングルマザーの愛実は、大学生の息子・優次(ゆうじ)と二人暮らしだった。愛実は息子の父親の素性を明かさぬまま鬼籍に入ったが、公安は優次が愛実と漣義生の間に産まれた子だと掴んでいた。  母方の血が濃いようで、優次は愛実によく似ていた。丸くて大きな瞳に、ツンと尖った小ぶりな鼻。色つやの良い、ふっくらした唇。それらの端整なパーツが、卵型の小さな顔にすっきり収まっていた。襟足の短い茶色がかったショートヘアと、百七十センチ前後の身長も、母子共通だった。遠目からでは見間違いそうになることも間々あった。  築四十年の質素なアパートで、愛実と優次が話すのは、もっぱら一志のことだった。優次が小さかった頃、多忙な愛実に代わり、一志が優次を世話してくれたという。いつも悲愴な顔で司法試験の勉強に打ち込む優次が、一志との思い出を語るときだけ笑顔を見せた。  優次は一志を「兄ちゃん」と呼んだ。母との語らいでは穏やかに――独り寝の晩は、色を(はら)んで。 「あっ……兄ちゃん、兄ちゃ……んっ……」  公安の秘聴(ひちょう)器が拾う、優次の切なげな声。熱っぽい息遣いごと、寛人の耳孔を侵した。   秘聴器を切ろうと伸ばした指が、スイッチの手前で止まった。監視対象者(マルタイ)は愛実であり、息子の監視は任意だ。「秘聴」の大義名分は通用しない。こんなのは下衆な盗聴だ――。  頭ではわかっていても、寛人の指は神経が切れたかのようだった。  自慰に(ふけ)る優次が夜ごと思い浮かべるのは、漣一志に違いなかった。顔から背格好まで、寛人に瓜二つの男だ。そう考えると、寛人はまるで自分が優次から思われているような錯覚に陥った。  張り込み用に借りたビルの一室で、寛人は倒錯した執心を自制し、ひたすら息を殺した。  やがて桜のつぼみがふくらみはじめ、優次は大学を卒業した。愛実の墓前に卒業を報告する優次の姿をもって、寛人は約一年にわたる任務を終えた。
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