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「…また来たのか」
「もー、嬉しいくせに!ねぇ、ところでこの人は?」
彼女はそう言いながら、やや険しい眼差しを多々羅に向ける。多々羅が「最近、入りまして」と伝えると、彼女はまるで雷に打たれたかのように可愛らしい顔を衝撃的に歪め、それから、キッと愛を睨みつけ、ツカツカと愛に詰め寄った。
「どうして、愛ちゃん!私、ここで働きたいって言ったら、誰も雇わないって言ってたじゃん!」
「こいつはまだ正式に雇ってない」
「え」
多々羅にショックが飛び火した。
「それに、何度も来てれば分かるだろう。うちは特別人手を必要としてないんだ、働きたいなら他に学べる店はいくらでもある、学生なら、もっと有意義に時間を使った方が良いんじゃないか?」
あしらうような言い方に、彼女は、むっと唇を尖らせた。
「じゃ、この人は何でここにいるの!」
「仕方ないだろ、正一さんからそこまででワンパッケージでって言われたんだから」
「どういう事?」
「住み込みで家事もやってくれてるんだ」
「え、何それ、同棲!?」
クワッと、彼女が多々羅を振り返る。今にも噛みつきそうな彼女に、多々羅は思わず両手をホールドアップした。
「いや、どっちかって言ったら同居の方が正しいかな…」
多々羅が訂正するも、彼女は更に表情を歪めて、泣きそうになっていく。
「何それ何それ!まさか…え、ライバル?」
「…は?」
思わずきょとんとする多々羅に、彼女は再び愛に向き直った。
「そうなの?ねぇ、愛ちゃん!もしかして、この男の人の方が私より魅力的だって言うの?こんな…何よ!ちょっとイケメンだからって!」
一人でパニックになっている彼女に、愛は疲れたように溜め息を吐いていたが、多々羅はイケメンと言われた事に少し気分を良くしていた。
「そうかもな」
「…え、」
しかし、多々羅の気分が上がったのはそこまでだった。愛は不穏な一言を残し、さっさと応接室の奥に下がってしまった。
残された二人、彼女は当然の事ながら、ギロと多々羅を睨み上げ、ツカツカと詰め寄ってくる。
「本当に?本当に愛ちゃんとそういう関係なの?」
「ち、違う違う!あれは面倒臭がって逃げただけでしょ!俺、恋愛対象は女性だし!この前まで彼女いたし!」
「そんなの、突然男が好きになるかもしれないじゃん!愛ちゃん可愛いし!」
「いや、俺には心に決めた人がいるし!」
「それ、愛ちゃんの事?」
「だから違うってば!」
多々羅が必死に言い募れば、彼女はじっと多々羅の顔を見つめた。ちょっとでも目を逸らしたら信じて貰えそうにないので、多々羅も負けじと視線で訴えれば、彼女はややあって身を引いた。思い切り眉を寄せて唇を尖らせていたが、どうにか多々羅の言い分を受け止めてくれたようだ。
「…分かった、そういう事にしといてあげる」
まだ腑に落ちてはいなさそうだが、ひとまず引いてくれた事に、多々羅はほっと息を吐いた。
「お兄さん、心に決めた人って?なんで彼女と別れたの?その人の事、好きになったから?」
彼女は、愛への思いは本当にないか確かめようとしているのか、多々羅は再び詰め寄られ、意味もないのに両手をホールドアップした。
「いや…彼女と終わってからだよ。元々俺の事、そんなに好きじゃなかったんじゃないかな。だから、だんだんね」
「それで終わったの?微妙な感じで?自然消滅的な?」
「…的な」
すると、彼女の雰囲気が丸くなっていくのを感じ、多々羅は両手を下ろしながら、不思議そうに彼女を見つめた。
「ふーん、そっか。私も、愛ちゃんと会う前の彼氏に、さら~っと自然消滅に持ち込まれたから、気持ちは良く分かるよ」
ドンマイと肩を叩かれ、多々羅は彼女に、恋人に振られた哀れな青年と見られていると察したが、「ありがとう」と苦笑い、その気持ちを受け取った。
「あー、でもホッとした!お兄さんて良い人なんだね!」
同じ境遇を経験した者同士、それにより、多々羅はライバルではないと理解してくれたようだ。
「私、深谷椿。お兄さんは?」
「俺は、御木立多々羅、よろしくね」
「よろしく!ねぇ、多々羅さん。愛ちゃん狙ってないなら、協力してくれませんか?」
「協力?」
「愛ちゃんを振り向かせる協力!私、何度も告白してるんだけど、全然振り向いて貰えないんだよね」
「何度も?…へこんだりしない?」
「へこむよ、毎日へこんでる!」
言いながら、椿は軽やかに笑った。だが、それで平気な訳がないだろう。椿は、カウンターに置いてある漫画雑誌を何の気なしに捲る、その伏せられた瞳は寂しそうだった。
「分かってるんだ、見込みないって。でも、諦めきれないんだもん、側に居たいんだもん。愛ちゃん、いつも壁作って距離を取ろうとするけど、それ、寂しいじゃん。だから、恋じゃなくても良いからさ」
「それって、付き合いたいって言うより、店長の為にって事?」
「付き合いたいに決まってんじゃん!腕組んで、街とか歩きたい!でも、出来ないからさ、せめて、何か、違う意味で特別になれないかなって。…ま、嫌われてるけど」
はは、と笑う椿に、多々羅は「そんなことないよ」と、声をかけた。
「気休めでも嬉しいよ」
「本当だって。本気で嫌いなら、あの人もっとすげなく追い出しそうだし」
「恋人になれそう?」
「…それは、まぁ、どうだろう…」
「はは、多々羅さんて、良い人だね」
良い人だろうか、と、多々羅は首を傾げた。正直、愛の反応は冷たく、椿には分がないように見えてしまった。とはいえ、まさか本人を前にそれをはっきりと言うことは出来ず、言葉を濁した、それだけだった。
多々羅は昔から、自分の意見を言葉にするのが苦手だった。愛を前に堂々と居られるのは、子供の頃の感覚が残っているからかもしれない。
家でも学校でも出来なかった事が、瀬々市の家では出来た。愛も結子も凛人も、大人達も、多々羅を多々羅として見てくれた、多々羅を家柄や芸ではなく、一個人として。
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