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「え、こっち?」
椿が不思議そうにしながら、一定の距離を保ちつつ、着いてくる。離れて欲しいというお願いは、一応は聞いてくれているようだ。
愛はそのまま進み、小さなアスレチックやブランコを横切った。公園の奥には大きめの砂場があり、その手前、愛は滑り台の前で足を止めた。滑り台はゾウの形をしており、ゾウの鼻を滑る事が出来るようだ。その胴体部分には穴が開いていて、中を通り抜ける事が出来た。足跡はその中に続いており、中を覗くと、誰かが持ってきてあげたのか、タオルケットにくるまって猫達が眠っていた。親猫に、子猫が三匹、子猫の腕の中には遊び道具になったのか、少し汚れたお守りがあった。
「あった、あれか?結構汚れてるな」
「あー、はは、オモチャになってるのかな」
椿も愛の後ろから顔を覗き込ませて、その穏やかな光景を見て笑っている。愛はお守りに手を伸ばそうとしたが、その手を椿が止めた。
「いいよ、取ったら可哀想だもん。眠ってるし」
愛は、再びお守りに目を向ける。お守りからは、桃色の着物を着た、艶やかな長い黒髪の小さな女性が、猫達を守るようにしてこちらを見上げていた。愛は化身の姿をしっかり確かめようと、眼鏡を少しずらしていたので、化身は翡翠の瞳に気づき、怯えた様子で身を引いた。
「翡翠の…!」
だが、愛の後ろに居る椿に気づくと、化身の彼女ははっとした様子で、足を止めた。何か迷うように視線を落としていたが、やがて決心するように顔を上げた。
「私はこの子達といるわ。この方が椿も前に進めると思うの」
前に進める、その意味は愛には分からなかったが、ここで会話を重ねたら、椿に変に思われてしまう。だが、化身の思いをしっかり確かめなくては、この場を去れない。その為に、恐れられると分かっていながらも、眼鏡をずらして化身の姿を直に見ている。
愛は、眼鏡越しでも化身の姿は見えてはいるが、それは自分の正体を偽っているような気がして、いつも眼鏡を取って化身と向き合ってきた。せっかく会話を重ねて心を開いてくれても、その後に、それが翡翠の瞳を持つ人間だと知ったら、化身達はショックを受けたり疑心暗鬼に陥ってしまうかもしれない、そんな不安があった。
だから、まっすぐと化身の思いと向き合う為、愛は翡翠の瞳を晒す。そんな愛だから、椿に不審がられるからといって、言葉も尽くさずに化身の彼女の願いをただ受け入れる訳にはいかなかった。
愛は眼鏡を直してから、ちらりと椿を見上げた。椿は愛が自分を振り返ったのに気づくと、照れたようにはにかんでいる。そのほわほわとした様子に、愛は暫し考え、再び化身の彼女と向き合った。
まぁ、この女子高生とは、この依頼が完了すればもう会う事もないだろう。
おかしな奴だと思われても、どうでもいい。愛はそう気持ちを振り切り口を開いた。
「…あなたは、それで本当に良いの?」
「うん、もう決めたから!」
愛は化身の彼女に尋ねた筈だが、背後から吹っ切れたような明るい声が聞こえた。愛は、君に言ったんじゃない、そう言い返しそうになり、声を出す前に唇を結んだ。椿には化身の姿が見えないのだ、自分に声を掛けたと思っても仕方ない。着いてくるなと、もっと強く言えば良かった。探し物を目の前にしている今、椿にあっち行ってろとは言えない。
どうしたものかと、こっそり頭を悩ませる愛に、化身はきょとんとして、それからおかしそうに笑った。
「ごめんなさいね、噂とは印象が違ったから。それに、椿も元気みたい」
化身の彼女は、そう微笑んだ。愛は頷く代わりに、そっと表情を緩めた。椿のおかげか、化身の彼女からは、愛を恐れる様子は伝わってこない。それとも、もう覚悟を決めているからだろうか。
「ね、この子はもう大丈夫。それにこの猫達、もうすぐ保護されるみたいなの。私は、それまでこの子達を見守っていたいの。だから、どうかそれまで、私の心を消さないで」
そう切に訴える姿からは、彼女も愛の間違った噂を聞いている事が伝わってくる。愛は小さく頷いた。
恐れられる事も、疑われる事も慣れている、今更、傷ついたりはしない。でも、こんな風に切に願われる時、心が痛む。理由もなしに心をまっさらにするつもりはない、化身が暴走でもしない限り、愛は極力、化身の心を消すつもりはなかった。それなのに、噂の中の愛は片っ端から化身の心を消してしまうようで、化身達は、本来は必要のない恐怖と覚悟を持って、愛と対峙しなければならない。それが愛には心苦しかった。
そう思うなら、翡翠の瞳を隠し通して接すれば良いのだが、愛はそんなに器用でもなく。そんな自分に対しても、愛は情けなく、化身に対しては申し訳ない思いだった。
だが、彼女の言い分や願いは分かった、愛はそれを受け入れるつもりだ。彼女からは不穏な気配はしないし、真にそれを望んでいる事だと分かる、この状態なら、無理に店に連れ帰る必要もない、猫達と居た方が安心出来るだろう。
だが、椿がいる手前、どう話をしようか。化身の彼女に声を掛けて、また椿が反応しても面倒だ。愛が悩んでいると、不意に親猫が目を覚ました。それから、化身の彼女と会話するように顔を見合せると、その前足をお守りの上に置き、抱きよせた。その様子に、愛はそっと表情を緩めた。
「あなたの大切なものを奪いはしないよ、あなたの居場所を侵しはしない」
椿には猫に語りかけているように見えただろう、実際は化身に話しかけていた。化身の彼女は愛の言葉に、その表情に、目を瞬いて愛を見上げていたが、そっと親猫がすり寄ってきたので、はっとしたようにそちらに目を向けた。これも椿からは、親猫がお守りにじゃれているくらいにしか見えないだろう。化身の彼女は親猫の頭を撫でてやり、戸惑った様子で愛を見上げた。
「…それは、私の心を消さないってこと?私、連れていかれないの?私、好きな場所にいて良いの?」
その言葉に愛が小さく頷くと、親猫が、にゃあと鳴き、化身の彼女に再びすり寄るので、愛は椿を誤魔化す為にも親猫の頭を撫でてやった。親猫には愛の思いが伝わっているのか、嫌がる素振りも見せなかった。その様子を見て、化身の彼女は瞳を潤ませた。きっと、心を消されるとばかり思っていたのだろう。それから、親猫に抱きつくと、今度は嬉しそうに愛を見上げた。
「この子が、私を一緒に連れて行ってくれるって」
愛は、良かったと心の中で呟き、微笑んで小さく頷いた。この猫はいつまでここにいるのか、椿と別れたら、一度確認しに来よう。そう決めて、愛は立ち上がった。
「じゃあ、この依頼はこれで終わりですね。手元に探し物が戻らなかったので、報酬はいただきませんから」
では、そう頭を下げて帰ろうとする愛に、椿は「え!」と、驚いた様子で愛の後を追いかけた。
「もう、さよなら?」
「仕事は終わりましたから」
「仕事…あ、待って!まだあるよ、探し物!」
「大事で思い入れのある物以外は、探しませんよ」
「すっごい思い入れある!」
「そうですか。では、どんな物ですか?」
食い下がる椿に、愛が足を止めて振り返れば、椿はあからさまに目を泳がし、「えっと、えーっとね、」と、言葉を探しているようだ。探してほしい物はないのだろう、愛は溜め息を吐いて再び歩を進めた。
「あ、マフラー返さなきゃ!返しに行くね!」
「舞子さんに渡してくれたら良いですよ、お隣でしょ?ポストにでも入れてくれて構いませんから」
「ダメだよ!ちゃんとクリーニングに出して、手渡しで届けるから」
「面倒でしょ、そのままで良いですから」
「良くないよ!」
「私がそうしてほしいんです、ほら、早く家に帰りなさい」
あしらうような愛の様子に、椿はムッと表情を歪め、走って愛の前に立ち塞がった。前を通さないと睨む椿に、愛は溜め息を吐いた。雪も降っていてとにかく寒いし、もう一度、化身の彼女と話をしなくてはならない。本当に猫達が新しい場所に移動しても連れて行ってくれるのか、その確認だけはしたかった。だから、愛は早く椿に帰ってもらいたかった。
「何ですか、忙しいんですが」
「だって、見つけちゃったもん」
「何がです?」
愛が疲れたように返せば、椿はしゃんと背筋を伸ばし、キラキラした瞳で愛を見上げた。
「瀬々市さん、好きです!付き合って下さい!」
「…は?」
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