5、境界線を越えた夜

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 私はその場にうずくまって、少しずつ呼吸を整えた。周囲の声が歪んで聞こえて手足の先が軽く痺れる。  落ち着かなければならない。  薄っすらと目を開けると、目の前には行き交う人々の足が見える。 『お前のせいだ! すべてお前が悪い!』  呼び起こしたくない遠い記憶から、頭の中に怒声が響きわたる。 『反省しろ! 土下座して謝れ!』  私は一体何をしたのだろう? それほど謝罪しなければならない何かをしたのだろうか。 『自分に価値のないことを自覚しろ!』  私には、価値がない……。  眩暈とともにぐるぐると渦巻くどす黒い感情に、胸が苦しくなる。 「朔也さん!」  ぐいっと肩をつかまれた瞬間、うしろ向きに倒れそうになり、私はそのまま孔明さんにもたれかかった。 「あ……はい」  と私は気の抜けたような返事をした。 「大丈夫ですか? 気分が悪いのですか?」 「えっと……大丈夫、です」  孔明さんは不安げな表情をしているけれど、私は彼の顔を見て心底ほっとした。  これは現実だ。私はあの悪夢の中に今はいない。 「すみません。私も人酔いしたみたいです」  そんな言いわけを口にすると、孔明さんは少し安堵したようにため息を漏らした。 「帰りましょうか」 「え? でも、まだ……」  花火ははじまったばかりなのに。 「実はうちからも少しは見えるんですよ。無理してここにいなくてもいい」  私は孔明さんに支えてもらいながら立ち上がった。呼吸は落ち着いていて、本当にもう平気なのだけれど、やはりここは彼に従うことにした。 「はい。帰りましょう」  ほんの少しの時間だったけれど、お祭りは楽しかった。
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