5、境界線を越えた夜

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 なんて返したらいいかわからなくて、私はただ笑って「はい」と静かに返答した。そうすると、孔明さんも微笑んで私のグラスにお酒を注いでくれた。  私たちはそれっきりあまり会話をすることもなく、花火の音に耳を傾けながらお酒を飲んだ。  私と彼のあいだには、似て非なるものが存在している。どれだけ信頼関係が深まったところで、彼の中にある根本的な部分は変わらないだろう。  それでもこの関係がずっと続くなら、私はそれでいいと思う。  花火が止んで静かになったところに、窓の外で突然大きな声が響き渡った。 「おーい! どこ行ってたんだよ、てめえっ! さっさと来いや!」  低く怒鳴るような男の声が私の脳を貫き、ぎゅっと心臓をつかまれたように私は動けなくなった。 「大声出すなやっ! 近所めーわくだろうがっ!」 「てめえの声のほうがデカイだろっ!」 「うるせえっ!」  孔明さんが窓の外を覗いて「ああ」と苦笑した。 「酔っ払いですね。こういうイベントがあるときはだいたい酔った大人たちが大声で騒ぐから仕方ないんですよね」  どくんどくんどくん、と私の鼓動は平常を保てなくなっていた。 「毎年のことです。うちは花火の会場から近いので、酔っ払いの溜まり場になりやすいのです」  体が熱く、息がしづらくなってくる。 「花火が終わると帰宅する人たちでしばらく賑やかになると思いますが……」  ぐらりと視界が揺れて私は手もとにあったグラスを倒してしまった。転がるグラスからお酒がこぼれて畳の上に沁みわたっていく。早く拭かなきゃ、と思うのに体が動かなくて、手足が痺れて、呼吸が乱れた。  もう、また……。  なんで……?
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