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私がその男の家の家事代行を引き受けた理由のひとつ。
彼が『孔明』という名前だったからだ。
それを見たら一体どういう人物なのか誰でも少しは興味を持つだろう。
ただし、この名前の読み方は『よしあき』であり、耳で聞いただけではネタにもならない。
少し緊張はしたが、迷いはなかった。離婚した女は強いなんてどこかの誰かが言っていた気がするけれど、私自身以前には考えられないほどの積極性で、まさかのひとり暮らしの男の家に住み込みで働くという行動に出たのである。
郊外にあるのどかな山々に囲まれた少し田舎町。そこにひっそりと佇む古い一軒家がある。私は大きなスーツケースと買い物袋を持ってその家を訊ねた。
「喜多朔也さんですか?」
出てきた人物は鶯色の浴衣を着用し、寝癖をつけていた。まさに今、起きたばかりだという風貌である。その上眼鏡が鼻の上で少しずれていて、それがおかしかった。
「はい。喜多と申します。このたびは私を採用していただき、ありがとうございます。しっかり働きますのでどうぞよろしくお願いいたします」
できるだけ丁寧に、挨拶をした。しかし、孔明なる人物はじっと私を見下ろすばかりである。
パッと見て身長差20センチくらいだろうか。私は一向にしゃべってこない彼に向かって声をかけた。
「あのう、白川さん?」
「……男だと思ったのに」
ぼそりと彼がそう言った瞬間、私はすべてを理解した。
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