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お互いに突っ立ったまま、しばらく無言でいると、なぜかカラスが飛んできて近くの柵に止まった。黒くてつやつやした大きなカラスがぎょろりとした目でこちらを見つめてくる。
やめてほしい。
「白川さん、私たちはまだ雇用契約を交わしていない状態ですので、もしあなたが不服なのでしたらこの仕事は辞退させていただくこともできます」
その提案に、彼は少し驚いたように目を見開く。
「しかし、あなたは住み込みという条件で来られたのでしょう? ここを辞めたら住むところはあるのですか?」
同情心を顔に浮かべて彼は言った。私は落ち着いて返す。
「そのときは一度実家に戻ります。けれど……」
あくまで相手の立場で提案をするが、自分の意見もしっかり伝えたい。
「もしよろしければ3ヵ月。お試し期間として私の仕事ぶりを見ていただきたいのですが?」
すぐに返事はない。
生ぬるい春の風が頬を撫でるように吹き抜けていく。
そのあいだにカラスがわざわざ鳴き声を上げて飛び立った。
カラスがいなくなり、ふたりきりになると妙にすっきりした気分になった。だからというわけではないが、私は緊張がほぐれ、彼も穏やかな表情になっていた。
「ご心配なく。公私は分けておりますので」
そう言うと、彼は笑った。
「ああ、よかった。僕も女性には興味がないので、そのあたりはご心配に及びません」
あからさまに安堵した表情をされて内心複雑だが、ここは笑顔で返す。
「それでは双方とも、まったく問題はありませんね」
「そのようですね。では、どうぞ中へ」
彼に招き入れられて、私は白川家へと足を踏み入れた。
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